サウジアラビアの王族(政府)は、
イスラム過激派を支援してきた

(『ぬりつぶされた真実』幻冬舎から抜粋)

サウジアラビアによるイスラム組織への援助は、アラムコが出資して1963年に創設された「イスラム世界連盟」と、イスラム銀行の連合体を中心に行われた。

1970年に石油価格が高騰すると、サウジの収入は急増した。

そしてサウジは、イスラム組織をさらに援助するようになった。

サウジの王族たちは、イスラム運動に行き当たりばったりに出資してきた。

例えばソニーの株主であるユースフ・ジャミール・アッ・ラティーフは、アルジェリアのFISのアフマド・シモズラグに100万ドルを贈った。

1973年に設立された「イスラム開発銀行(BID)」は、資本の25%をサウジ政府が持っている。

BIDは、パキスタンが1988年に核実験をして経済制裁をうけると、財政援助をした。

サウジアラビアのジェッダで、1978年に「国際イスラム救援組織(IIRO)」が設立された。

この団体は、表向きはイスラム共済組織だが、予算の34%が特別プロジェクトに充てられており、イスラム過激派に資金を渡していた。

IIROは120カ国に進出しており、CIAはオサマ・ビンラディンがIIROの組織網を活用していると確認している。

オサマの妹と結婚したムハンマド・ハリーファは、IIROのフィリピン支部を設立した人物である。

IIROのヨーロッパ本部は、ムハンマド・サリーム・ビンマフフーズおよびムハンマド・ファッラによって設立された「国際開発財団(IDF)」の本部と、同じ住所である。

ビンマフフーズは、オサマのテロ活動を資金援助していた、と言われている。

ファッラは、イエメン出身の武器商人で、サウジの軍事プロジェクトに深く関わっていたと言われている。

サウジのアブド・イブラーヒム王子は、妻のムナイヤを介して1990年代に財団を設立した。

その財団のケニヤ支部は、オサマと結びつきがあった。

イブラーヒム王子は、1989年末にBCCIから1.3億ドルの借金をしている。

イスラム過激派へのサウジの支援は、2つの銀行が媒介となっていた。

ムハンマド・サウード王子が設立した「DMI銀行」と、「ダッラ・アル・バラカ銀行」である。

DMI銀行は、1981年7月29日に、スイスのコワントランで設立された。

83年10月には、ムハンマド・ファイサルが社長になった。

この男は、ファイサル元国王の息子で、トルキー・ファイサル王子の兄である。

DMIの子会社たちは、湾岸諸国とスーダンで巨大な権力を持っている。

ダッラ・アル・バラカ銀行は、サーリフ・カーミル(ファハド国王の義理の兄弟)が、1982年に設立した。

サーリフ・カーミルは、スーダンのアル・バラカ銀行の頭取で、スーダンの国立開発銀行の取締役も務めている。

さらに、スーダンのファイサル・イスラム銀行とアラブ・インヴェストメント社の設立者の1人である。

(スーダンは、1990年代前半にオサマ・ビンラディンが住んでいた場所で、彼はスーダンでビジネスをしていた)

(2014年7月31日に作成)


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