(アメリカの時代 ウォルター・ラフィーバー著から抜粋)
ケネディが就任した当時の中南米では、貧困が蔓延していて、カストロの革命(キューバ革命)が拡がりそうな雰囲気でした。
アメリカの海外援助のうち、中南米向けは7%以下で、援助で利益を得ていたのはアメリカ企業でした。
このままではまずいと思ったケネディ大統領は、中南米諸国に対して、「進歩のための同盟」を提案します。
この同盟は、1961年8月に、キューバを除いた諸国で組織されます。
そして、10年間で1000億ドルが開発のために投じられる事になりました。
(アメリカが200億ドル、中南米諸国が800億ドルを担当)
ケネディは、援助の見返りとして、土地改革と税制改革を要求しました。
援助金が、貧しい人々の利益になる事を求めたのです。
しかし、計画はすぐに頓挫します。
1970年までに、中南米は1961年よりも貧しい状態になってしまいました。
この失敗の理由は、次のものです。
@ 中南米諸国では、一部の金持ちエリートが優良な土地を独占しており、彼らは開発費を
自分たちのために使った。
そしてアメリカの役人たちは、それを黙認した。
A アメリカの議会は、中南米で土地の再配分を行う事に反対した。
B 中南米のエリートたちは、貧しい人々に食べさせるための食糧ではなく、
コーヒーなどの輸出品に投資をした。
アメリカは、「マーシャル・プランの成功体験」を信じていたが、西ヨーロッパと中南米は
全く異なっていたのです。
破壊された工業を立て直す資金を必要としていた西ヨーロッパに対し、中南米が必要としていたのは「政治改革」でした。
1960年代の半ばには、中南米は年率55%の経済成長をしましたが、豊かになったのは
一部の人だけでした。
人々は怒り、テロと革命が、ベネズエラ・コロンビア・ボリビア・グアテマラと、続けて起きます。
そして1970年までに、13の憲政政府が軍事政権に替わりました。
(2014.3.23.)
(世界歴史体系 アメリカ史2から抜粋)
ケネディ政権は、平和部隊を設置し、途上国への技術支援を重視しました。
悪化していた中南米との関係を改善するため、61年3月には「中南米諸国に土地改革を促し、そのための援助をする」と発表しました。
10年で200億ドルの援助をする事になりましたが、土地改革は実施されず、
むしろクーデターによる軍事政権が多く作られました。
(2014.1.22.作成)