第1次のニューディール政策

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

従来は、アメリカの新大統領は3月に就任していた。

しかし、それでは政治的な空白が生まれるとして、1月初旬に就任する事が決まった。

この法律の批准は1933年の4月で、フランクリン・ローズヴェルトは3月に就任する最後の大統領となった。

彼が就任する直前の33年2月には、全国で銀行不安により、銀行の休業が起きていた。

フランクリン・ローズヴェルトは、全国の銀行を一時的に閉鎖して、政府保証をしてから再開させるという非常手段を取った。

そして、「復興金融公社(RFC)」に銀行株の購入を認めた。

これにより、金融不安は収まった。

フランクリンは、『炉辺談話』という、ラジオ放送で国民に直接語りかける新手法を用いた。

彼は民主党候補として大統領に選ばれたが、共和党からも閣僚を選び、超党派の人事を行った。

労働長官には女性を起用したが、これは初めての事だった。

33年3月上旬からは、「百日議会」と呼ばれる長期の議会を行い、10以上の重要法案を成立させた。

農業対策では、農産物の価格を上げるために、生産を削減して補償金を交付した。

補償金の確保のために、加工税が新設された。

この農業政策では、アメリカで初めて、農業に計画性(統制性)が導入された。

これは、重要な転換となった。

各州に失業者対策の資金を与えて、総額で5億ドルの資金を投じた。

巨大なダム建設など、大掛かりな公共事業を行った。

返済が不可能になった住宅ローンに、融資を行った。

34年には、証券規制のために、「証券取引委員会」を設置した。

公共事業局(PWA)も設置して、30年代末までに60億ドルを支出していく。

さらに、労働者の最低賃金と、労働時間を規定した。

これを守る企業には、ブルーイーグルのマークの使用を認めて、ブルーイーグルを取得するように全国的なキャンペーンを行った。
ここでは、挙国一致の論理が使われた。

そして、労働者の団結権と団体交渉権を認めた。

ローズヴェルトが個人的に入れ込んだのは、植林と国立公園の整備だった。

そこに、失業した若者を投入した。

(2013.6.18.)


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