ハント対リバティ・ロビー裁判④
ヴィクター・マーチェッティの証言

(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)

ウィリアム・コーソンの証言録取の後、今度はハントの弁護士ウィリアム・スナイダーのオフィスで、ヴィクター・マーチェッティの証言録取が行われた。

私はそれに立ち合ったが、事前にマーチェッティに「協力的であるように見せるため、冷静かつ礼儀正しく答えてくれ」と注意していた。

彼は強く迫られると怒ってカッとなる性格だと、私は気付いていた。

証言録取が始まると、数分も経たないうちにマーチェッティは助言を忘れて、スナイダーの質問に対し激怒し始めた。

休憩時間に入ると、マーチェッティに態度を改めるよう頼んだ。

しかし証言録取が再開されると、さらにとんでもない事態になった。

まずスナイダーが「記事の情報源はコーソンだったのか」と訊くと、マーチェッティは「そうです」と答えた。


コーソン氏がCIAの極秘情報に通じているのは、おかしいと思いますが。


コーソン氏は(CIA幹部の)ジェームズ・アングルトンの親友でした。
彼は、CIAと国防総省の情報部門のほとんどの幹部を知っています。

コーソン氏は、長年にわたり色々な情報を私に提供してくれました。

質問が続いてゆくと、だんだんと情報源としてA・J・ウェーバーマンの名前が登場し始めた。

そしてCIAメモの情報源が、突然にウェーバーマンになってしまった。

マーチェッティは、「CIAメモの存在はウェーバーマンから聞き、コーソンからウェーバーマンの情報は正しいと聞いた」と説明した。

さらに「私の記事が掲載され、ハントが取り消しを要求してきた後で、情報の確認をコーソンに頼んだが、コーソンはジェームズ・アングルトンに接触し、アングルトンは『自分が書いたメモだ』と述べた」と細部まで述べた。

この説明は、マーチェッティが私やカートにしてきた話と違っていた。

そしてコーソンは「そんなメモの事実はない(記憶がない)」と証言している。

目の前でマーチェッティの信頼性が崩壊し始めたため、私は無力感を味わった。

35年の弁護士生活で、このような経験があったか思い出せないほどだった。

ところが事態はさらに悪化したのである。

スナイダーは、「どのようにしてCIAメモを知ったかを、ウェーバーマンに聞いたか」と質問した。

マーチェッティは、「ウェーバーマンは最初は(暗殺調査)特別委員会のスタッフであるゲートン・フォンジから聞いたと言ったが、その後に実はエド・ロペスからメモの話を聞いたと言った」と説明した。

エド・ロペスは、米下院の暗殺調査特別委員会で調査官だった人物だが、マーチェッティは直接話したことはないと認めた。

マーチェッティの証言を聞いていて、彼の記事はそれ自体では弁護が不可能だと分かった。

新たな証拠を私が収集できなければ、弁護が成り立たない。

帰りぎわにスナイダーは、「75万ドル(の賠償金)で和解に応じないか」と私にもちかけた。

私は答えた。「いや、第1ラウンド開始だ」

(2018年11月28日に作成)


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