ビル・ボナーノは、マフィアに入会し、ボナーノ・ファミリーに入る

(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)

私(ビル・ボナーノ)はアリゾナ大学を卒業した後、朝鮮戦争が始まったので強制的に軍隊入りをした。
私は軍隊生活が気に入ったが、朝鮮戦争が終わったので除隊した。

その後は、付き合っている不良グループと一緒に、メキシコで銃を売りさばき始めた。

銃は(ボナーノ・ファミリーが拠点の1つにしていた)アリゾナ州では合法であり、買うのは簡単だった。

それをメキシコに運べば、警察や軍の上層部が高値で買ってくれた。

ある日、われわれ5人は車に銃を詰め込んでメキシコに入った。

顧客はメキシコ軍の大尉だったが、カネを払おうとしなかった。

ケンカした後に我々は車に乗り国境を目指したが、大尉らは我々を追いかけてきた。

国境の税関に捕まってしまい、アメリカの裁判所に出頭することになった。

すると父(ボナーノ・ファミリーのボスであるジョゼフ・ボナーノ)が、フランク・ラブルッツォ叔父(私の母の弟)を派遣して、容疑は取り下げられた。私の仲間も助かった。

フランク叔父は、父のファミリーでグループ・キャプテンとして活動していた。

私は、父の仕事に関わり始めて、メッセージや書類や現金をさまざまな場所に運ぶことになった。

私がマフィアに入る宣誓式を行ったのは、1954年の春で、場所はニューヨークのブルックリンの大きな倉庫だった。

出席者は、ニューヨーク・マフィアのボスである、ジョー・プロファッチ、トミー・ルッケーゼ、フランク・コステッロ、アルバート・アナスタシアである。

(※上の4人にジョゼフ・ボナーノを加えた5人が、当時のニューヨークの5大ファミリーのボスである)

さらにバッファロー、ミルウォーキー、シカゴ、フィラデルフィアのボスも出席した。

多くの場合、入会者が所属するファミリーのボスは、そこには顔を出さない。
(つまりジョゼフ・ボナーノは参加しなかった)

入会の儀式が終わると、我々はイタリアン・レストランに移動し、パーティを行った。

多くの者がやってきて、人数は70人以上だった。

私がボス達を観察してすぐに気付いたのは、私の父やプロファッチのような古株と、コステッロやルッケーゼといったアメリカナイズされた者には、明らかな違いがある事だった。

古いリーダー達は慎重な態度で、外見も素っ気なかった。

一方コステッロやルッケーゼは、外見的には開けっぴろげに見えたが、実態はそうではなかった。

フランク・コステッロは、究極の政治屋であり、私が会った誰よりも人に取り入るのが上手かった。

冗談をとばして親し気に人の背中を叩き、相手を殺そうと企んでいる時でさえその相手を気遣っているように質問できる人だった。

彼は着る物や整髪に大金をかけていた。

ウィリー・モレッティという筋肉質でごつい消火栓みたいな男が、コステッロの右腕だった。
モレッティはいつもコステッロの側にいた。

トミー・ルッケーゼは、背が低くて、早口でしゃべり、手も足も常に動いていた。

大金持ちのような服装をしていたが、常にコソコソした感じがあった。

アルバート・アナスタシアは、自分のボスだったヴィンチェント・マンガーノの失踪と、マンガーノの弟の殺害の黒幕であると、皆が信じていた。

彼は、短期で頭が少しイカれているとの評判で、1951年にボスのマンガーノが行方不明になったので、その後を継いでいた。

アナスタシアが継いだ時は、他のファミリーはアナスタシアが後継者になるのを認めたがらなかったが、私の父が「他のファミリーの出来事には関わるべきではない」との論を展開して、彼らを説き伏せた。

だからアナスタシアは、父に恩義を感じていた。

アルバート・アナスタシアは、普段はとても穏やかで、妻と子供を溺愛していた。

彼と私は長年の知り合いで、私がマフィアになる2年前に、父にこう言ったことがあった。

(上記した)アリゾナでの銃密売で私が捕まった時、彼は父に対し「俺に預けたらどうです。俺のファミリーに入れるんですよ。俺たちが彼を真っすぐにしてやりましょう」と言ったのだ。

父は丁重に申し出を断った。

(2022年11月5~6日に作成)


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