(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
トレーシー・バーンズと別れたあと、私は電話でコーリーに連絡した。
彼の部隊は、すでにキューバのミサイル基地のコントロール・センターを攻撃する準備ができていた。
彼は、翌日の夜に攻撃することを了承し、攻撃を命じた。
10月10日になると、バーンズに呼び出された。
バーンズはコントロール・センター攻撃について、結果を話した。
「 コーリーの仲間が失敗し、多大な損害を与えることはできたが、コントロール・
センターは破壊できなかった。
CIA長官が大統領に説明した。
送り込まれた12人のうち、唯ひとり生き残っていた男が、昨夜にハバナで拷問に
かけられて死んだ。 」
「 かわいそうに…。 で、次は何をするんです? 」
「 目下のところ、どうする事もできない。
コーリーの仲間が、キーティング上院議員に説明した。
キーティングは情報をたずさえて、ケネディ大統領と会見したが、
何のコメントも受け取れなかった。 」
「 一体どうなっているんですか?
目の前に危機が存在している事実を、頑として認めないとは。 」
「 世論調査では、もうすぐある国政選挙で、民主党は下院・上院の両方で支配力を
失うだろう。
ケネディ兄弟は、自らフルシチョフと闘い、キューバから核弾頭を撤去することで、
民主党を勝たせようとしている。
これは事実上のクーデターだし、ケネディ兄弟が巧みに仕組んでいるようだ。 」
「 アメリカ大統領が、議会で民主党の過半数を保つために、この国を核戦争の危険に
さらしていると言うんですか?」
私はすっかり肝をつぶし、嫌気がさした。
バーンズは、話を続けた。
「 世論調査では、アメリカ人は2対1の割合で、共産主義の脅威が続く場合は
アジアへ大規模な介入をすることに賛成している。
ケネディ政権の方針とは正反対だ。
ケネディは大きな困難に陥っていて、民主党の勝利のためにどこまでやるか
誰にも分からない。
CIAは、ケネディの狂気を止めるために、あらゆる手段を取る決意をした。
今日の午後、情報をポール・スコット記者にもらした。
信じられん話だが、ロバート・ケネディは『この話を活字にしたら、投獄する』と
スコットを脅かした。
だが、スコットは活字にした。
さしあたり、君はコーリーのための特殊装置の作成にかかってほしい。
彼はもう一度、ミサイル基地を襲撃しようとするかもしれない。 」
その後、U2偵察機の写真で、基地の証拠を手にすると、とうとう大統領はミサイル危機を公式に認めた。
キーティング議員が何ヶ月も言い続けていた事実を、コーリー、イギリス、CIAが2年前から知っていた事実を、やっと認めたのだ。
ケネディは、ニクソンが数ヶ月前に主張していた、「キューバの海上封鎖」を命じた。
そして、選挙の活動中にずっとソ連と交渉を行い、この国を不安と恐怖のどん底に陥れて、
絶好のタイミングで交渉の成功を発表した。
ミサイルとソ連アドバイザーをキューバから引き揚げることに、フルシチョフは合意した。
JFKは空前の人気となり、選挙で民主党は勝利した。
ケネディは、キューバのIRBM(中距離弾道ミサイル)の撤去と引き換えに、
トルコにあるアメリカのミサイル削減に合意した。
さらに、キューバへの「不干渉」にも合意した。
これにより、アメリカやその同盟国はキューバ侵攻が不可能となった。
CIAは、この決定を認めず、再びキューバ侵攻を計画した。
今回は、コスタリカから出発する予定だった。
この侵攻を成功させるため、1963年1月にコーリーは、キューバ紙幣の偽造作戦を再開するように求めた。
私はバーンズに連絡し、作戦再開の承認を得た。
私はケネディも承認していると思っていたが、まもなくそれが早合点だったと知った。
ケネディは、「キューバ不干渉」を実行するために、亡命キューバ人の作戦を中止するようにCIAに迫っていた。
CIAは、ケネディの指揮下を離れて活動していた。
亡命キューバ人たちは、キューバにIRBMが残存しているのを知っていた。
(エルミニオ・ポルテル=ヴィラ博士は、準中距離弾道ミサイルが1966年まで
キューバにあったと証言している)
ハンソン・W・ボールドウィンは、アトランティック・マンスリー誌1963年4月号の記事で、「まだキューバにミサイルがある」と書いた。
この事実は、ケネディ兄弟によって潰された。
ケネディは国民を欺いていた。
アメリカ国民は、キューバ危機後もミサイルが存在していることを知らなかった。
JFKは、キューバ亡命人のカストロ打倒を支援するために設置された、
すべての訓練キャンプやゲリラ基地を、CIAに放棄させた。
CIAの撤退にもかかわらず、反カストロのアントニオ・ベシアーナが率いる亡命キューバ人たちの部隊は、戦いを続けた。
ベシアーナは、SNFE/ALPHA66戦闘グループの指揮官であった。
このグループは、キューバ軍の駐屯地と、2隻のソ連貨物船を、攻撃した。
ベシアーナはCIAの助言でワシントンで記者会見を開き、ケネディのキューバ政策を変えようとした。
ケネディは激怒し、「そのような襲撃がアメリカ領土で着手されないために、必要なあらゆる手段をとる」との声明を3月30日に発表した。
4月5日には、フロリダ海峡の警備を強化し、反カストロ活動の抑止を試みた。
だが4〜5月には、亡命キューバ人たちのキューバ襲撃が相次いだ。
その一方で、CIAの計画するキューバ侵攻は、63年12月に決行と予定された。
私はかなり後になって、この侵攻作戦も2回目の紙幣偽造作戦も、マフィアによって資金供給されていた事を知った。
(2016年4月7〜8日に作成)