(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
JFK暗殺の計画は、フーバーFBI長官が知ってしまった。
サントス・トラフィカンテは、裕福な亡命キューバ人のホセ・アレマンに、ケネディ兄弟の
不正行為や協定を守る能力の欠如を話し、「JFKは暗殺されることになっている」と明かした。
「ジミー・ホッファが暗殺計画で主要な役割を果たす」とも明かした。
アレマンは、FBIに情報提供をしている者で、FBIに報告されてフーバー長官の知るところとなった。
フーバーは、1964年11月4日までにJFKを暗殺するように求めた『暗殺契約』を、
カルロス・マルセロが出している事も知った。
マルセロとホッファが親密な事も知った。
フーバーは、手元の情報を分析し、「マルセロが主要な容疑者であろう」と推測した。
しかし彼は、JFK暗殺の計画をケネディに報告しない決心をした。
ケネディ兄弟はフーバーを解任しようとしていたが、フーバーは地位を維持したかったからだ。
彼は、すでにJFKの性的不品行の情報を集めて脅迫したが、失敗に終わっていた。
フーバーは、ジョンソン副大統領の調査書類という、切り札を持っていた。
ジョンソンは、ビリー・ソル・エステスと農務省との係争の隠蔽に関係していたし、
ボビー・ベイカー事件もあった。
これらの情報と、フーバーとの長年の友情を考えると、ジョンソンが大統領になればフーバーを留任するはずだ。
唯一の危険性は、JFKが暗殺された後に、ジョンソンが事件の調査を推し進めることだった。
だが、フーバーは調査をしない方に賭けた。
そして、JFKが暗殺されると、隠蔽工作の主要メンバーとなったのである。
リチャード・ニクソンが差し迫ったJFK暗殺について知ったのは、親友のフーバーからだった。
暗殺の前夜には、2人は揃って石油王クリント・マーチンソンの自宅で行われた会議に出席していた。
その会議の議題の1つは、ケネディが暗殺された場合の2人の政治的将来だった。
ケネディ兄弟は、1963年初頭に、いくつかの致命的な決断を下した。
その1つは、64年の選挙の副大統領候補から、ジョンソンを外そうとした事だ。
もう1つは、フーバを辞めさせようとした事だ。
ジョンソンは、副大統領の地位のおかげで、刑事告訴から免れていた。
彼は、ボビー・ベイカーとの親交により、マフィアとの繋がりが明るみにでた。
ベイカーは、マフィアやチームスター企業と繋がっていた。
1963年9月に、ベイカー/レビンソン・スキャンダルが発覚し、ラスベガス・カジノを経営するマフィアとジョンソンの繋がりが暴かれた。
カジノ建設費を出したのはジミー・ホッファで、監査役はマイヤー・ランスキーとレビンソンだった。
民主党の保守派の下院議員たちは、ホッファを起訴したことを理由に、ロバート・ケネディを弾劾したが、これによりホッファとジョンソンの密接さが明白となった。
(ジョンソンは、民主党保守派の重鎮です)
63年初秋には、ビリー・ソル・エステスの不動産取引をめぐって発生した謎の死について、調査が開始された。
そして、不可解な死にジョンソンが関係しているのが浮かび上がった。
(4名が不審な死を遂げている。
ヘンリー・マーシャルは、エステスの広大な綿花作付けの割り当てについて調査中に
射殺された。
ジョージ・クルーティレックは、FBIの取り調べをうけた後に、一酸化炭素中毒で
亡くなった。
ハロルド・ユージン・オアは、テキサスのアマリロ社の社長だが、一酸化炭素中毒で
亡くなった。
ハワード・プラットは、エステスの肥料供給者だが、一酸化炭素中毒で亡くなった。)
フーバーFBI長官は、CIAとマフィアのカストロ暗殺計画を、62年5月に探り出した。
彼は、CIAの行うアメリカ国内での非合法活動にも気付いていた。
一例として挙げられるのが、『秘密郵便監視プログラム』で、CIAは興味を抱いた人物の郵便は開封していた。
これは明らかにアメリカの法律に違反している。
皮肉なことにCIAのこの作戦は、FBIが「郵便監視作戦を始めたい」と郵政機関に要請した時に発見した。
FBIは63年2月に発見したが、フーバーとCIAの実質的なトップであるリチャード・ヘルムズは、ある提携をして解決した。
「お互いに、相手の不法行為を見逃して隠蔽すること」で合意したのだ。
FBIとCIAの提携は、ケネディ暗殺を熱望する者たちにとって、重要な意味があった。
(2016年4月8日、同15日に作成)