前書き

(『決定版二〇三九年の真実』落合信彦著から抜粋)

ヴェトナム戦争を始めたのはケネディだと主張する人々がいるが、アメリカがヴェトナムに介入し始めたのは1950年代の初めだ。

アメリカのCIAは、フランス軍をサポートするという口実で介入した。
(当時のヴェトナムは、旧宗主国のフランスと戦争状態でした)

ヴェトナムが南北に分けられた後は、CIAは南のゴディン・ディエム政権を支援した。

ケネディが大統領になった時、(前任者の)アイゼンハワー政権によって4千人の軍事顧問団がヴェトナムに送り込まれていた。

CIAと米軍はケネディに、「正規軍を送り込もう」と進言した。

しかしケネディは拒否して、軍事顧問団の増強は認めてその数は1963年には1.5万人に達した。

63年9月に、ケネディは記者会見で軍事顧問団の撤退を臭わせた。

さらに10月31日の会見では、「今年の末までに千人の軍事顧問団を引き揚げる予定である」と話した。

この直後、マクナマラ国防長官は同じ事をくり返した上で、「65年までに軍事顧問団の全員を引き揚げる」と発表した。

この発表の22日後に、ケネディは暗殺された。

彼が生きていたら、ヴェトナムは小さな紛争に留まっていただろう。

そしてアメリカ社会は八つ裂き状態にならなかった。

ケネディが倒れてから1年後の64年10月に、ソ連トップのフルシチョフは失脚した。

キューバのミサイル危機後、ケネディはソ連に最恵国待遇のステイタスを与え、小麦の輸出などで支援していた。

このサポートが無くなり、フルシチョフも倒れて、米ソのデタント・ムードは崩れ去ってしまった。

ケネディの死は、歴史の動きを冷戦に逆戻りさせ、ギアはシフト・ダウンしてしまった。

一体、誰がどのような目的でケネディを殺ったのか。

この答えを出すことは、私のライフワークの1つなり、色々な人に取材を重ねた。

14年の歳月がかかった取材をまとめたのが、本書『二〇三九年の真実』である。

ケネディ没後30周年の今(1993年)、本書は新たな装い(決定版)で世に出されることになった。

(2017年4月4日に作成)


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