マリーナ・オズワルドの話 オズワルドについて

(大統領の検屍官 シリル・ウェクト著から抜粋)

1991年11月のある夕方、マリーナ・オズワルドから電話が来た。

(マリーナは、リー・ハーヴィー・オズワルドの妻です)

マリーナは、あるテレビ番組への出演を依頼されたが、気が進まず私に代役を頼んできたのだ。

私は引き受け、この機会を逃すまいと、リー・ハーヴィー・オズワルドについて色々と聞いた。

マリーナは、オズワルドが殺されてから3年後に、ダラスの建築請負業者と再婚している。

マリーナ

 「 リーは、私にとっても謎です。

  リーはどうしようもない夫で、初めは『母親は死んだ』と言っていました。
  でもある日に突然、母親が現れたんです。

   あの人の事は、どうしても理解できませんでした。 」

リー・ハーヴィー・オズワルドは、1939年にニューオーリンズで生まれた。

父親は、彼が生まれる2ヵ月前に亡くなっている。

母親は、何度も再婚した。

リーは17歳で海兵隊に入隊するが、友人もほとんどいない孤独なものだった。

しかし軍の高官は、リーを極めて知的な人物と見なし、おとり捜査官か情報提供者になるように誘った。

1959年に、リーはソ連に亡命します。

ソ連政府は、リーに市民権を与え、ミンスクのアパート・仕事・政府給付金を提供した。

同年に、リーはマリーナと出会い結婚した。 (マリーナはロシア人です)

 マリーナ

 「 リーはあまりにロシア語が上手かったので、初めは他の共和国の人かと思ったわ。

   彼がアメリカ人と知った時はショックでした。

   でも、あの人に惹かれて、デートを重ねて結婚しました。 」

1962年6月に、オズワルド夫妻は女の赤ん坊を連れてアメリカに帰国します。

夫妻はダラスに腰を落ち着け、アメリカ政府は引っ越し費用まで負担している。

リーはソ連に亡命し、親共産主義者としてマークされていたはずだ。

なぜアメリカ政府は支援したのだろうか。

マリーナ

 「 ロシア市民は、アメリカに行く許可をもらうのは至難の技でした。

   だから、申請が認められた時は、心底びっくりしました。

   段取りは、すべてリーがやってくれたんです。書類は全部あの人が持って
   いました。 」

(オズワルドが特別の人物として遇されていたのは、間違いないです。

 当時の状況で、アメリカとソ連の両方から厚遇されるのは、普通では考えられない。)

マリーナ

 「 アメリカでは、リーはいつもロシア語で話しかけてきたから、私は英語を学ぶ必要を
   感じませんでした。

   でも英語を話せなかったから、友達はできませんでした。 」

リーはしばしば怒りを爆発させて、マリーナに暴力をふるった。

リーはニューオーリンズに仕事を探しに行ったが、63年10月にクビになりダラスに戻ってきた。

そして、マリーナの友人であるルース・ペインの口利きで、テキサス教科書倉庫で仕事にありついた。

マリーナはペインとアーヴィングに住み、リーはダラスでアパートを借りた。

ケネディ暗殺の日の朝、目撃者たちによるとリーは紙に包んだ細長いものを持っていた。

「カーテンの棒だよ」とリーは説明した。

暗殺の90秒後に、リーが倉庫ビルの2階でソフト・ドリンクを飲んでいるのを、警官は見つけた。

リーは息も切れておらず落ち着いているため、警官は見逃した。

リーは倉庫ビルを後にし、自分のアパートに向かう市バスに乗った。

だが、すぐにバスを降り、タクシーに乗ってアパートに近くまで行った。

リーはアパートに戻ると、上着を替えて、ピストルを持ち、アパートを出た。

目撃者によると、リーはアパートから6ブロック離れた場所で、ダラス署のティピット巡査から身分証の提示を求められた。

リーは無視し、ティピットが近づくと銃を撃って殺した。

その後、数ブロック歩いてテキサス劇場に金を払わずに入った。

警察は劇場内でリーを逮捕した。

そして、ケネディ大統領暗殺とティピット殺害の犯人と発表した。

ケネディ暗殺の数時間後に、警察が家まで来て、マリーナを連行した。

マリーナ

 「 誰もが、(リーの妻なため)私をソ連のスパイだと思っていました。

   でも違います。 」

マリーナは、2〜3分だけリーとの面会を許された。

マリーナ

 「 あの人は、とても怯えており、些細でつまらない話しかしませんでした。 」

 (この後、リーはジャック・ルビーに殺されてしまった)

1979年に下院の暗殺調査委員会が開かれると、マリーナは初めて「夫は狂った単独犯の
狙撃者ではなかった」と信じられるようになった。

マリーナ

 「 今では『夫は犯人ではない』と信じる事ができます。

   あの人はお人好しだったんです。

   悪い連中と付き合っているのは自覚していましたし、家に銃を取りに戻ったのは
   自分の身を守るためだったんでしょう。

   リーは頭の回転が良くて、ごまかすのが上手い人でした。

   でも、同じ人間がここまでと思えるほど、バカな事もやりました。

   私が知っているリーは、心底JFKを愛していました。

   彼は陰謀を知っており、誰が犯人か知っていたと思います。

   身代わりにされると分かった時には、すでに手遅れだったんでしょう。 」

(2014年12月25日に作成)


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