倫理の基にある原理は、「機能性」だ③
真に重要なのは、倫理ではなく機能性だ

ニール  あなたは、「倫理は、臨機応変に変わるものだ。 絶対に変わらない倫理など無い」
     と言いますね。

 神   倫理は、状況に応じて変化するし、文化によって違うものだ。

     人々は、倫理の教えが現実に合わないのを発見すると、ほとんどの場合は倫理を
     簡単に変えてしまう。

     例えば、大抵の人は、「正直に生きるのが正しい」という倫理を持っている。

     だが、税金はごまかす。
     そして、「これはこれで構わないのだ。皆がやっている」と言う。

     しかし、倫理を変えたならば、信念も変わったのだ。

     倫理とは、信念の表現だからね。

     彼らは、偽善者であり、まったく信念を持っていない。
     ただ、信念を持っていると信じたいだけだ。

     当人たちは満足だろうが、こうした行為は世界を狂わせる。

ニール  すると、倫理は必要ないのですか?

 神   あなたは、すぐに「30秒のダイジェスト版」を作ろうとするが、
     私が言っているのはそういう事ではない。

     私は、こう言っているのだよ。

     『 あなた方は、倫理と呼ぶ社会的な仕組みを創ってきた。

       そして倫理は、しょっちゅう変化してきた。

       だが、あなた方は変化を認めようとしない。
       それは、自分が正しいと思いたいからだ。 』

     あなた方は、「機能的な失敗」に、「倫理の堕落」というレッテルを貼ろうとする。

     そうして、批判的な判断を下して、自分の対応を正当化する。

     自分の対応を「倫理的な義務」と呼んで、「自分は倫理的に、こうせざるを得ない」
     と主張する。

     死刑が、いい例だ。

     あなた方は、「神の法や倫理から見て、死刑は正当だ」と言う。

     それによって、社会がとくに安全になるわけでもないのに。

     要するに、報復なんだよ。 目には目を、という事だ。

ニール  そうですね。 報復を「正義」と呼んで、印象を和らげようとしています。

 神   真に重要なのは、『機能性』だ。

     行動や対応が、目的に照らして有効かどうかだ。

     この視点で考えれば、まったく違った見方で、物事を見ることになる。

     そうなれば、暴力と破壊の悪循環から出られる。

     死刑の例でいえば、死刑は犯罪防止に役立っているだろうか? 機能しているか?

ニール  犯罪防止には、役立っていません。

     死刑が多い国や死刑が多いアメリカの州の犯罪率は、特に低くない事が、統計的にはっきり
     しています。

 神   「暴力(殺人)を無くすために、暴力(殺人)に訴える」というのは、本末転倒だよ。

     そうした行為は、狂気の行動を誘発する。
     各地で起こっているテロが、よい証拠だ。

(『新しき啓示』から抜粋)


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