子供の頃の思い出① ゲームブック

エッセイのページがなかなか増えないのが、前から気になっています。

しばらく前から、「う~ん、何かをシリーズにして投入したら、数が増えるかな。」と考えていました。

そして、「そういえば、あまり私の人生体験を記事にしていないなあ。よし、私の過去の面白そうな話を記事にしよう。」と決めました。

失恋の話もいいなあと思ったのですが、まず『子供の頃に体験した話』をいくつか書く事にします。

このシリーズを読めば、私が人間臭いやつなのだと分かるでしょう。

人によって、面白いネタとそうでないネタが出てくると思うので、興味の無いネタの場合はスルーしちゃって下さい。

「子供の頃の思い出シリーズ」の第1回目は、『ゲームブック』です。

私はこいつが大好きだったのですが、今ではほとんど死滅してしまいました。

たぶん2度と本格的な復活する事はないと思うので、ノスタルジックなオマージュとして記事にしたいと思います。

ゲームブックとは何か。

これを説明するのは、文章では難しいです。

「1冊の本に、300~500位の小さな記事を書き、それを繋げて1つの物語にする」

「読者は、選択肢ごとに自分で進む先を選び、小さな記事を読み進めていく」

「サイコロを使って、ランダムな要素を出したりもする」

「1冊の本を、1つのゲームにしてしまう。最後のページに辿り着けば、ゲーム・クリアーになる。」

内容はこんな感じなのですが、ダメだ…上手く説明できない…。

もしゲームブックを知らない方は、ネットで調べてみて下さい。

すんません。説明しきる自信がないです。

ゲームブックが世に広く出てきたのは、私が小学3年生くらいの頃です。

当時は、ファミコンの人気が出てきた頃で、ファミコンの作品をゲームブック化するのが流行っていました。

あの頃はTVゲームのデータ容量があまり無くて、TVゲームの1作品を1冊のゲームブックにするとちょうどいい感じだったのです。

私が初めてやったゲームブックは、「ドラゴンクエストⅡ」でした。

これは、かの有名なドラゴンクエストⅡを、ゲームブックに移植した作品です。
上下に分かれていて、全2巻でした。

プレイをしたのは、私が小学4年生の時です。

秋のある日に、この作品を弟が友達から借りてきたのです。

私は学校から帰宅して、弟がプレイしている姿を目撃したのですが、その瞬間には何なのかが分かりませんでした。

「おい、何だよ、それ」と私は声をかけて、横に座りのぞきこみました。

最初は理解するのに時間がかかりましたが、『本で遊べるファミコン・ソフトみたいなもの』と気付きました。

本好きだった私は、「こんなものがあるのか! 面白そうじゃないか」と、目をキラーンとさせたのです。

最初は弟がプレイし終わるのを待っていたのですが、弟は本をあまり読まない奴だったので、簡単な漢字も分からない様子だし読むのは遅いしで、全然進まないのです。

私はイライラして我慢できなくなり、「少しやらせてくれ」と話して、20分ほどプレイしました。

すると、めちゃくちゃ面白かったのです。

弟に本を返した後、私は考えました。

「弟がプレイを終えるまで待つと、3日はかかってしまうだろう。
それまで我慢するのは無理だ。

ならばどうする?
弟を腕力で脅して奪い取る道もあるが、それはもう卒業したい年頃だ。
何か良い手はないか?」

私は、弟からよく腕力にものを言わせて色々とぶんどっていました。

でも、ちょうどこの頃(小4の頃)に、「腕力で自分の思い通りにするのは、どうも気分が悪い。親にも怒られるし、これからは対話で解決を図ろう。」と決心していました。

そこで、弟に対して優しい声音で、「お前が休憩している間に、俺が読んでいいか?」と聞きました。

弟の短い休憩中にだけ借りるという、大人な態度です。
それまでの私には考えられない、大幅な譲歩であり、心の中で(俺って、何て良い奴なんだ)と思いました。

私は、かつてないほどの優しさを示したつもりでした。

ところが弟は、「だめ! 僕が借りてきたんだから、僕が読み終わるまではお兄ちゃんは読んじゃだめ。」と言ったのです。

私は思わずカッとなり、(こんにゃろう、ぶん殴ったろうか)と一瞬思いました。

しかしすぐに、(いや待て、それだと今までと変わらんぞ)と思い直しました。

弟としては、半ば強引に20分ほど本を奪われていたので、その後に私から優しい提案をされても信用できなかったのでしょう。

私が慈愛に満ちた表情で語りかけたのに、(こいつは信用できん)という態度を崩しませんでした。

私は困ってしまい、あぐらをかいて解決策を10分ほど考え込みました。
そして、「これだ!!」とピーンと来たのです。

どんなアイディアだと思いますか?

それは、『朝早く起きて、弟が寝ている間にプレイをし、クリアーしてしまう』というものです。

冷静に見ると、非常にせこいですね。

せこいのですが、弟と争わないための精一杯の道でした。

私は、弟がプレイしているのを横目で見ながら、「待っていろ、もうすぐプレイしてやるからな」と野望を燃やしました。

他の事をしながらも、私の意識は弟の手の中にあるゲームブックに常にありました。

そのまま数時間が経ち、就寝の時間になりました。

「ようやく寝る時間になったか。あと少しだぞ、寝て起きたらプレイできる」と安心しました。

ところが、初めてやったゲームブックがあまりに面白いので、私はすっかり興奮していました。
そのために、なかなか寝付けなかったのです。

「いかん! こんな事では、朝早く起きられないぞ」と思い、気張って何とか寝ました。

人間というのは、強い目標を持っていると、自然に身体が働いてしまいます。

きっちりと、朝の4時くらいに起きました。

そーっと、隣で寝ている弟の様子をうかがいました。

しっかりと寝ているのを確認してから、弟の枕下にある「ドラクエⅡのゲームブック」を静かに確保しました。

そして、プレイを始めました。

たまに弟が寝ているかを確認しつつ、着実に進めて、弟が起きるまでに上巻をクリアーしました。

一気に、弟が進めた所よりも先まで進んだのです。

下巻をプレイし始めてしばらく経った所で、弟が起きそうになったので、もとの場所に置いて、ばれないようにしました。

その後、朝食をしてその日は休日だったために、弟はプレイを再開しました。

弟は本を読みなれていないので、苦戦をしているんですよ。
読めない漢字があるのです。

仕方ないので、一緒にプレイをしてあげる事にしました。

すでにクリアーしているのに、初めてのようなふりをして、一緒にプレイしました。

いい奴なのか悪い奴なのか、微妙ですねー。

その後、弟が上巻をプレイして下巻は空いているので、「そっちの空いている方を読んでいいか?」と聞いたら、読むのを手伝ってあげたからでしょうが、「いいよ」との返事でした。

それで、下巻を読み、クリアーしました(^-^)

これ以来、私はすっかりゲームブックにハマってしまいました。

我が家には、ファミコンが小6になるまでありませんでした。

ファミコンは、当時の子供たちにとっては、『聖なる道具』みたいなもので、私が小4くらいの頃になると、急激に各家庭に導入されていきました。
まあ、いまのニンテンドーDSみたいな位置づけです。

私と弟は、何度も母親に「ファミコンを買ってくれ!」と嘆願したのですが、却下され続けました。

小6の時に、母親の事情で引っ越して、転校を余儀なくされた際に、罪滅ぼしとごまかしのために、母親はついにファミコンを買ってくれました。

ファミコンを買うまでは、それの代用品としてゲームブックを活用していました。

ファミコンを持ってからも、ソフトが高くてなかなか買えなかったので、安いゲームブックで代用して、飢えをしのぎました。

当時、ファミコンのソフトは6000円~10000円くらいしました。
まだ中古市場もあまりなく、子供にとっては年に2~3本くらいの購入が限度でした。

それに対しゲームブックは、1冊500円~700円くらいで、お小遣いを貯めれば手の届く金額でした。

私は、ゲームブックに出会った小4から中1までの4年間に、50冊くらいの作品を購入してプレイしました。

私は本が大好きな子供だったので、親戚たちはそれを考慮して、誕生日プレゼントには図書券をくれる人が多かったのです。
その図書券の半分くらいは、ゲームブックに投入しました。

中2の頃になると、ゲームブックに飽きてきたし、スーパーファミコンが登場してそのクオリティに魅了されました。

スーファミの内容と比べると、ゲームブックは見劣りする感じがありました。

ファミコンとゲームブックは、五分五分の実力だったんですけどねー。

今から振り返ると、ファミコンからスーファミになった時の進化率は、凄かったですね。

画質や音質が、一気に4倍くらいになった気がしましたよ。
コントローラーも、ボタン数が大幅に増えて別物になりました。

今のPS2からPS3への進化などとは、比べられないくらいの劇的な進化でした。

ゲームブックは、私が離れた頃から、急速に失速してしまい、いつの間にか消えてしまいました。

気がついたら、書店から居なくなっていました。
最盛期には、書店の1コーナーを占めていたんですけどね。

ある日、久しぶりにゲームブックでも買ってみようかと思い書店に行ったら、数冊しかなくて大ショックを受けた事があります。

さてここで、私はたくさんのゲームブックをプレイしたので、それらの中で思い出深い作品を、紹介したいと思います。

まず、当時のゲームブックには、大きく分けて4種類がありました。

①ファミコン・ソフトを移植したもの
 (低学年向けで、青い背表紙のもの)

②ファミコン・ソフトの移植とオリジナル作品の両方を扱うシリーズ(高学年向けで、赤い背表紙のもの)

③海外の著名な作品を翻訳したシリーズ

④それ以外の作品

先ほど触れた「ドラクエⅡ」は、①の作品です。

①は、小学生向けのものが多く、感動的な作品は無かったです。
良作もありましたが、本の厚みはなく(ページ数が少なく)、小粒なものが多かったです。

②は、中学生以上を対象としている感じで、①よりも難しい作品が多かったです。

このシリーズには傑作が多く、私は買うのを楽しみにしていました。

中でも傑作だったのは、『ドルアーガの塔(3部作)』と『スーパー・ブラックオニキス』という作品です。

この2作品は、私がプレイしたゲームブックの中で、一番楽しめた作品です。

これは、どちらも鈴木直人という作家の作品で、しばらく前にネットで検索したところ、鈴木さんは「日本で最高のゲームブック作家」という評価を得ているようです。

スーパー・ブラックオニキスは、とある街を探索していく話なのですが、かなり複雑な構成になっていて、クリアーするのに時間がかかりました。

でも、クリアーするまでずっと楽しく、クリアーした時の達成感も素晴らしいものがありました。

ドルアーガの塔は、上・中・下の3巻になっていて、大作でした。

コンピュータ・ゲームの同名タイトル作を元にしているのですが、仲間を登場させるなど大胆なアレンジをしており、別の作品に(コンピュータ・ゲームよりも遥かに壮大な作品に)仕上がっています。

特に下巻は、本の厚さがはんぱじゃなく、ゲームブックというよりも辞書みたいな外見です。
値段も高くて、買うかどうか少し迷った記憶があります。

この作品には、メスロンという魅力的なサブ・キャラが出てくるのですが、そのキャラは人気が出たらしく(私も好きなキャラでした)、その後に鈴木さんの別の作品で主人公に採用されました。

私は、TVゲームでは「ウィザードリィ系のダンジョンに潜る作品」が大好きです。

でも、なぜ好きなのかが分からず、「俺って、根暗なのか?」と長いこと思っていました。

しかしある時にふと、「これはゲームブックの影響だ」と気付きました。

ゲームブックというスタイルは、ダンジョン探索タイプのストーリーと、めちゃくちゃ相性がいいのです。

ゲームブックは、ページごとに少しづつ展開をしていくのが特徴ですが、それはダンジョンを潜り進めていくのと非常に噛み合うのです。

『ドルアーガの塔』と『スーパー・ブラックオニキス』は、ダンジョンをマッピングをしながら探索していく内容です。

私はこの作品を通して、少しづつダンジョンを制覇していく達成感や、マップが完成していく満足感に目覚めてしまったのです。

そして、その自覚が無いままに、気付いたらダンジョン探索のTVゲーム(主にアトラス作品)を、愛する者になっていました。

次に「③海外の著名な作品を翻訳したシリーズ」ですが、これにも傑作がいくつかありました。

このシリーズは、海外の作品を翻訳して紹介するスタイルで、有名な作品もリストアップされていたようです。

私には、海外作品に特有のドライな感じ(これは今のXbox作品にも共通するテイストですね)にはあまり馴染めず、面白い作品もありましたが、感動するところまではいきませでした。

一番面白かったのは、タイトルは覚えていないのですが、「自分がバットマンみたいな変身するヒーローになって、悪の組織を倒す」という内容の作品です。

この作品はとても難しくて、結局はズルをしてページを読み進んで、何とかクリアーしました。

最後に「④それ以外の作品」ですが、これについては、色々なタイプの作品がありました。

その中で印象深いのは、ゲームブックの流行る以前からあった、「君ならどうする」とかいうタイトルのシリーズです。

これは、今から考えると、ゲームブックの元祖だったのかもしれません。

サイコロを使ったりはしないのですが、自分でページを選んで進むのはゲームブックと一緒でした。

確か、ページ数は少なく、200項目くらいの小品ばかりだったと思います。

今でも覚えているのは、お化け屋敷みたいな謎の館を探索する本で、途中で黒猫が出てくるのですが、その場面がとても怖かったです。

ゲームブックは、自分でサイコロを振ったりして進んでいくので、自由にズルを出来るのも特徴でした。

私は真面目な人間ですが、ゲームブックに関しては、ばんばんズルをして、どんどん進めていくタイプでしたね。

ひどい時になると、サイコロを1つ振る場面で、2つ振る事すらしていました。

ゲームブックが大好きなので、ゲームブック用に6個くらいサイコロを持っていましたが、そのうちの1つは通常の6面体ではなく、12面体くらいのやつで、そいつを使うというズルも行っていました。

改めてこうやって振り返ると、美しい思い出ばかりですねー。

何? 美しくない? 弟を騙したり、ズルをしたりと最低だ?

でも、私にとっては、とっても美しい思い出です~(^-^) 
誰も傷つけていないですし。

もっとも今だったら、ゲームブックを読みたくても弟が終えるまで我慢するだろうし、ズルをしないでじっくりとプレイするでしょう。

大人になるというのは、我慢や忍耐力を身に付ける事なのですね。

エッセイのページでは、こういった美しい思い出を綴っていこうと思います。
楽しみにしていて下さい。

(2013年7月14日に作成)

(以下は2013年10月4日に追記)

最近、ダンボールに詰めて田舎の祖父母宅に送って、長い間しまいこんでいた「思い出のゲームブックたち」を、現在住んでいる家に戻す事をしました。

そうして20年ぶりくらいで、かつて遊んだ作品達を、表紙だけですが見つめてみました。

とてもとても懐かしかったです。ええ、懐かしかったですとも。

上記している「スーパー・ブラックオニキス」については、本を開いて少しプレイもしてみました。

私はすっかり忘れていましたが、この作品は『パーティ・プレイで進めていく』という画期的な作品です。

これは、本当に凄い事だったのです。
ゲームブックは、主人公が1人で孤独な冒険をするのが、鉄則だったのですから。

この作品をプレイした時に、「おおっ! ゲームブックなのに、ドラクエⅡ・Ⅲみたいにチーム編成で冒険をしていくのか!」と衝撃を受けたのを、思い出しました。

この作品は、中の挿絵がかっこいいのも印象的だったのですが、いま再び見てみても傑出した絵ですね。

個性があるし、とても場面を上手く描いています。

「鏡 泰裕さん」が絵を担当しています。
鈴木直人さんのあとがきによると、当時は新進気鋭のイラストレーターだったようです。

私は知らないのですが、現在では有名になられているのでしょうか?

やっぱり、スーパーブラックオニキスは大傑作ですねー。
本を開いてパラパラとめくるだけで、私のようなゲームブックの達人だと、力をひしひしと感じます。

柔道の達人が、相手の立ち方や構えを見るだけで強さを感じるのと一緒です。

この作品は、マッピングをしないとクリアーできない作品で、方眼紙を用意して地図を作成しないといけません。

なので、時間がある人でないとプレイできない作品ですが、興味のある方は中古で手に入れてプレイしてみて下さい。

面白さは、私が約束します。


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