子供の頃の思い出③
けん玉② 大会にて神を見る

けん玉教室に通い始めて1年以上が経ち、私は2級に合格してかなり自信も付いてきました。

4年生になり学童クラブは卒業しましたが、弟はまだ3年生で学童参加者だったので、私は児童館にしょっちゅう遊びに行き、けん玉教室にもよく顔を出していました。

そんなある日に、けん玉教室の先生は、「今度、けん玉大会に出るぞ。みんな、頑張るんだぞ。」と、いきなり言いました。

私は、「えー! けん玉なんて懐かしい遊びに、大会なんてあるんだ。世の中には、俺たちみたいな変わり者が他にもいるのか!」と驚きましたよ。

先生が「大会に向けて練習をするぞ」と言うので、大会のある2週間後の日曜日に向けて皆で練習を始めました。

私たちは全員が大会参加は初めてだったし、どうも先生もそのようでした。

先生はとにかく「練習しておけよ」としか言わず、「大会ではこれが大事だから、重点的にやっておけ」などのアドヴァイスは一切しません。

なので、とりあえず色々な技をいつもよりも練習しておきました。
自宅でも、練習をしました。

大会では、各団体が技を披露する事になっているらしく、先生は「ウチは、もしかめを披露するから、それを練習しよう」と言いました。

それで、もしかめを全員で練習したりもしました。
もしかめは、ウチの教室では基本練習の1つだったので、特に真新しい感じもなく、普通に練習を重ねました。

さあ、2週間後の日曜日になり、大会の当日が来ました。

その日は児童館に8時集合で、「8時なんて、学校よりも早いじゃんかよ~」と思ったのですが、頑張って早起きして弟と児童館に向かいました。

今回の大会は、小学生の大会でしたが、どうしたものかウチの教室からは5~6年生がまったく参加せず、私が最上級生で、かつ4年生は私だけでした。

何人か先輩も教室にいたのですが、飽きて辞めてしまったのか、忙しくて参加できなかったのか、1人も来ませんでした。

「まいったな、ガキ共の面倒をみなければいけないじゃないか」と思ったのですが、元来から優しく年下の面倒見が良い私なので、その役目を担うことにしました。

小学1~3年生のちび達は、児童館のグラウンドをちょろちょろと走り回っていました。

しばらくすると、全員が集まったらしく、先生は「出発するぞー」と言いました。
総勢で12名ほどです。

それで、皆で大会の行われる会場に向かいました。

私は、15分くらいで会場に着くと考えていました。
大会といっても、ウチを入れて3団体くらいが集まるような小規模なものを予想していたのです。

そうしたところ、何時まで経っても会場に着かず、延々と歩いていくのです。

そのうちに、私が一度も行った事のない地域に入り、どこにいるのかすら分からなくなりました。

やがて、1~2年生あたりは、「疲れたよー」とか「トイレに行きたいー」などと言い出しました。

私は、「頑張るんだ、もうすぐだから」と適当な答えでごまかしつつ、(まだ着かないのかよ、おかしいなあ)と思い始めました。

先生は、そういった私たちの戸惑いに、まったく気付いていないようでした。

疲れを見せている子供には、声をかけたり頭をなでてあげたりしたところ、元気になりました。

トイレに行きたがる子には、手のうちようがなかったです。

男の子の場合、立ちションをさせる手があるのですが、先生がどんどん先に行ってしまうため、立ちションをさせている間に置いていかれる危険がありました。
知らない地域に入っていたために、置いていかれると致命的になります。

今から思うと、私がナイスなフォローをしていなかったら、迷子が出ていた可能性があったように思います。

先生はまだ25歳くらいで、初めてのけん玉大会への参加でもあり、入れ込んでいたのでしょう。

結局、1時間ほども歩き、ようやく会場に着きました。
私は、「軽い遠足じゃねえかよ、先に言っておいてくれよ」と思いました。

とにかく会場に着いたので、「ほっ」としました。

会場の外観は憶えていないのですが、中に入ると小学校の体育館のような感じでした。

私は心底からびっくりしたのですが、会場内には子供たちが溢れていて、座る場所がないほどでした。

「けん玉の人口って、こんなに居るんだ…。小規模の大会だと思っていたのに…。聞いてないよー。」と思い、いきなり緊張してきました。

私たちは、会場に着いたのが一番遅かったらしく、各団体はもう場所とりを終えていて、すぐに開会式が始まりました。

おえらいさんのする開会式の挨拶は子供には何の面白みもないので、私は話を一切聞かずに、きょろきょろと辺りを見回していました。

見たところ、15~20団体くらいが来ており、子供の総数は300人くらいでした。

私は3団体くらいの大会を予想していたし、「よしっ。俺のスーパーテクニックを見せて、会場を席巻してやろう」と意気込んでいたのですが、まわりの子供達の数を見て、すっかり自信を失ってしまいました。

今から思うと、私は完全にけん玉を舐めていましたね。

私の認識では、けん玉は「終わった遊び」であり、伝統芸能的なもので細々と生き延びている存在でした。

私は、「もう終わった遊びを、俺はしてあげているんだ。俺が盛り上げてやってるんだぞ、感謝しろよ。」という心境でいました。

会場を埋め尽くす子供たちを見て、「あっれ~、おかしいな。こんなはずじゃないのに。俺が大会の主役になるはずが、どうも想定と違うぞ。」と、びっくり仰天でした。

いよいよ大会が始まりました。

私は、どんなルールなのかと期待していたのですが、拍子抜けするほどシンプルなルールでした。

そのルールは、『皆が立ち上がり、審判の掛け声と共に、全員で一番簡単な技から順番に技を行っていって、失敗した者は脱落してその場に座っていく』というものです。

驚く事に、技は一発勝負で、失敗したら即アウトでした。

技は、大皿に球を乗せるという、一番初歩の技から始まりました。

4つ目くらいの技で、「とめけん」という、剣先に球の穴を合わせて、球を差し込む技になりました。

私は、いつもなら「とめけん」は90%くらいの確率で成功していたのですが、緊張してしまい手が激しく震えて失敗しました。

かつて見た事がないほどに自分の手がブルブル震え、全く思い通りにけん玉を操れない姿を見て、「これが俺なのか? なんでこんな状態になる?」と、すっごくショックを受けました。

その後、弟らも脱落して、ウチの教室の子は早々と全員が座る状態になりました。

私は、「こんなはずじゃないのに…。世の中は広いなあ」と感じましたね。

今から思うと、私達は初めての大会参加だったから、皆が実力を出せていなかったですね。
他の団体の子には、何度も大会に出ている子がいるようでした。

最終的には、残った子達が10人くらいになったところで、その子達は壇上に上がり、衆人の注目を集める中で競技しました。

どういう子が優勝したかは、憶えていません。
私は、自分が早々と脱落したショックから、しばらく放心状態でした。

その後は、『各団体が技を披露する時間』になりました。

どうもそっちの方が大会のメインだったらしく、大幅に時間をとって、各団体は壇上に上がって5分くらいづつ日頃の成果を発表していきました。

私たちは「もしかめ」を披露して、全員で一斉にもしかめを「カチッ、カチッ」と繰り広げました。

私たちの教室ではもしかめは基礎的な技だったのですが、他の教室ではそうでもないらしく、「おおっ」と驚いている団体もいました。

それぞれの団体ごとに、得意としている(いつも練習している)技が違うのだと、その時に知りました。

私たちは、各団体の実力を観ていったわけですが、その中でやたら上手い団体が1つだけいました。

ほとんどの団体は全員を参加させて、大勢で一斉に技を披露していたのに、その団体は少数精鋭のスタイルをとり、5人くらいしか登場しません。

それで、最初からかなり難しい技を行い、どんどんと難しい技に移行していくのです。
いかにも舞台演出に慣れているという感じでしたね。

観ているほうは、その妙技に引き込まれました。

途中からは、人数を3人に減らして、『より上手い奴だけを残して、クオリティの高い技を見せるぞ』という気迫を感じさせました。

その辺りからは、私たちが10回に2回くらいしか成功しない難しい技を行い、7割くらいの成功率を誇って、見る者を唸らせてくれました。

私は、「やるじゃねえか。魅せてくれるぜ。」と感心しました。

その3人はみんな上手かったのですが、中でも大柄の女の子が別格のレベルで上手く、私は途中から「こいつ、上手いぞ」と注目し始めました。

彼女は、私よりも2歳くらい年上の感じで、おそらく6年生だったと思います。

彼女はミスが少なく、難しい技になってからも、ほぼ100%の成功率でした。

演技時間も最終にさしかかると、3人は、技の名前は忘れてしまいましたが、スーパー難しい技にチャレンジを始めました。

その技は、『けん軸を水平に寝かせて、お尻の部分に球を乗せる』という技です。

通常のプレイで持つ部分(けん軸)のお尻の所(中皿の近く)は、少し波打っていて、2つのでっぱり(小さな山)があります。

その山に、球の穴をはめ込むようにして、球をそおっと乗せる技があるのです。

この技は激烈に難しく、私はかなり練習しまいたが、1度も成功した事がありませんでした。

けん玉教室の仲間たちも練習はしていましたが、私は2回しか成功した瞬間にお目にかかった事がありません。

その2回の時は、「おおっ、すげー! やったじゃないか!」などと、皆で盛り上がるほどの奇跡的な技でした。

私たちは、「この技は、奇跡が起きないと出来ない。これは神技である。」という認識を共有していました。

そんな技だったので、それにチャレンジする事に、まず素直に驚きました。

3人がその技を始めると、「はっ、はっ、はっ」という笑い声が、会場のあちこちから響きました。

「無理に決まっているだろー、無謀な事をしてんじゃねーよ」という、嘲笑でした。

私は、笑う事はせずに、彼女らのチャレンジ精神に感嘆しました。

「皆が注目している中で、この技をやるなんて、すごい根性をしているなあ」と、尊敬心が沸き起こりました。

3人のうち2人は、どうみても成功するのは無理そうでした。

それに対して、例の女の子はかなり良い線にいっているのが、ひと目見て分かりました。
球を乗せた時に、0.5秒くらいは安定しているんですよ。

普通は、安定する場所にうまく球を置けず、ぜんぜん安定せずに球は即座に落下します。

「こいつ、もしかしたらいけるかも…」と、私は彼女の一挙手一投足に大注目しました。

彼女は、真面目で大人しそうなタイプで、髪は肩くらいだったような気がします。
顔は憶えていません。

スカートではなく、短パンを履いていました。
まあ、スカートだとけん玉は厳しいですから、当然です。

彼女は、とにかくものすごく集中しており、会場の嘲笑など耳に入らず、技に入り込んでいました。

それで、3回目くらいのチャレンジの時に、球が「すぽっ」といい感じにはまり込んで、私たちは「ドキッ!!」としました。

その瞬間に、会場は「シーン」と完全に静まりかえった。

けん玉には、『3秒ルール』というのがあります。

球をどこかに乗せてキープするような技は、3秒間そこにキープできないと、技が成功した事にならないのです。

私たちは皆、彼女が球を安定させた瞬間に、心の中で「1、2、3」と数えていました。
それゆえの、沈黙だったのです。

3秒が経った瞬間に、会場全体から「おおっー!!」というどよめきが起きました。
みんなが、完全に感動していました。

私は、「この奇跡的な技を、これだけプレッシャーのかかった状態で成功させるなんて、本当にすごいぞ」と、心から感動しました。

彼女を女神のように感じて、一気に憧れを持ち、「彼女と友達になりたいなあ」と思いました。

私はそれまで、「女の子は運動神経が鈍いし、しょせん男の子とは勝負にならない」と思っており、心から女の子を尊敬した事がありませんでした。

勉強ならばともかく、体力や運動神経では女は劣っていると盲信していました。

しかしこの瞬間に、女の子でもすごい人がいると気付き、彼女を自分のヒーローとして認識しました。

今から思うと、この時に今生で初めて、『年上の女性への憧れの感情』を持ちました。

彼女と友達になりたくなり、「このままけん玉を続けていけば、彼女と友達になる日が来るのかなあ」と思いました。

それで、「よし、俺ももっとけん玉を頑張ろう」と思いつつ、帰路につきました。

大会に参加して満足感で一杯だったため、私達も先生もご機嫌であり、和気あいあいの雰囲気で児童館に戻りました。

その後ですが、少しの間はけん玉について気合が入っていました。

大会に参加した事で、けん玉にはもっともっと上の世界があると知り、意欲が高まったからです。

でも、教室に自分よりも上手い奴がいなくなった事と、他に面白い事があったために、徐々にけん玉をしなくなっていきました。

けん玉を続けていたら、彼女に再会できたかは、今となっては謎です。

振り返ると、この大会は、私のけん玉キャリアのハイライトでした。

1年半くらいしか打ち込まなかったけど、同学年にはけん玉をしている人が1人も居なかったのもあり、「俺は、誰からも注目されないのに、情熱的に取り組んでいるんだぞ」といったプライドを持っていました。

だから、真剣な想いもありました。

あの後も続けていたら、どうなったんですかねー。
確実に上手くなっていったと思いますが、上手くなってもせいぜい段位が取れるくらいで、ほとんどメリットがない感じだったんですよ。

上手くなったら、学校の成績が上がるとか、女の子にもてるとか、海外旅行に行けるとかだったら、精進したと思います。

とにかく、上手くなっても学校や友達に知られる事もなく、誰かに褒められる事もなく、モチベーションを維持できませんでした。

あの女の子が同じ教室にいて、「あら、上手くなったじゃない」などと言って、頭をなでてくれたりすれば、頑張れたと思います。

けん玉は、地味だけど、はまると面白い遊びでした。
ストイックに一人で練習しないといけないので、忍耐力とか集中力を養えた気がします。

夏に汗をだらだら流しながら練習したのが、いい思い出です。

(2013年8月18日に作成)


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