子供の頃の思い出E
コンピュータ・ゲーム@ ゲームセンターとS君の思い出(前半)

私が小学生だった頃は、『コンピュータ・ゲーム』が世に登場した時期でした。

今から思うと、随分と面白い時期だったと思います。

黎明期(勃興期)だったので、クソゲーも含めて、実にたくさんのスタイルの作品が現れました。

当時は少人数で作っていたからでしょうが、個性的で笑える作品がたくさんあり、
子供ながらに「大人にも、変なセンスの人が一杯いるんだなあ」と、妙に安心感を覚えたものです。

家庭用のものには、ゲームウォッチ、ファミコン、ディスクシステムなんかがありました。

そして、業務用(アーケード用)もありました。

元々は、コンピュータ・ゲームは業務用が中心であり、ファミコンなどの家庭用は
「最新技術を投入して機械を小さくし、家庭でも業務用レベルのゲームを出来るように
 しました」
 という触れ込みで登場したのです。

この業務用コンピュータ・ゲームが集まっている場所が、『ゲームセンター(略してゲーセン)』です。

みんな知っていると思うので、細かい説明は不要だと思います。

ゲ−センは、私が5歳くらいの時に大ブームになり、その後は社会に定着します。

一時期は、家庭用ゲームの爆発的な普及に押されて、衰退していました。

現在では住み分けができて、また復権していますね。

そういえば、私が小学1〜2年生の時に同じクラスだったF君は、父親が大のゲーム好きで、中古の業務用ゲーム機を20〜30万円くらいで購入して、家に置いていました。

私はF君の家で、初めて業務用ゲームをプレイしましたよ。

F君の家のリビング(窓際の明るい場所)に、それは置いてあり、50円を投入しなければプレイできないため、プレイの度に50円を「チャリン!」と投入するのでした。

50円は、お金の集まるポケットが開放してあるので、すぐに回収できます。

最初は「インベーダー・ゲーム」が置いてありましたが、途中で「パックマン」に変わりました。

当時の30万円は、凄い大金だったので、(こういう事にお金をつぎ込む人も、
世の中にはいるんだなあ)と思いましたね。

私は多くの少年少女と同じく、コンピュータ・ゲームが大好きだったので、ゲーセンにも
興味しんしんでした。

特に、小学3年生くらいの時に、漫画で『ゲームセンター・嵐』という作品が現れると、
その作品にはまってしまい、ゲームセンターに強く憧れるようになります。

この作品は、アーケード・ゲームをとても面白そうに描いていました。
読んでいると、プレイしたくなるのです。

ちなみに、私は貧乏だったので自分では漫画を購入せずに、いつも友達の家で読んでいました。

今から振り返ると、とても沢山の友達にお世話になっていましたね。

当時は、まったく自覚はありませんでした。まあ、子供なので当たり前ですが。

あの頃は、コンピュータ・ゲームが最新の世界だったからか、漫画の題材として
コンピュータ・ゲームを扱う事がかなりありました。

現在だとコンピュータ・ゲームをする大人は、「マニア」と呼ばれて蔑まれる感じがありますが、当時は「最先端を追う切れ者」という印象でした。

それくらいに、コンピュータ・ゲームは、まぶしく新鮮な存在だったのです。

当時も一般の大人社会は、「コンピュータ・ゲームをする大人なんて、幼稚だ」と
思っていたみたいですが、
私たち子供社会ではコンピュータ・ゲームをする大人を、「あの人は、話が分かる」と
尊敬していました。

子供たちはゲーセンに強く憧れていましたが、当時のゲーセンは暗いイメージがあり、
実際に不良やあやしい感じの大人のたまり場でした。

今から振り返ると、なぜあんなにも不良のたまり場だったのか、不思議ですね。
他にたまる場所が無かったのでしょうか?

あの頃は、コンビニもまだ出現していないし、行く場所がなかったのかな。

周りの大人や学校の先生は、「ゲーセンには危ない人がたくさん居るので、行ってはいけません」と言っていました。

実際に、かつあげなどの事件の噂も耳に入ってきました。

ゲーセンに行った事がばれた場合は、先生からのお叱りもあります。

私は、憧れを持ちながらも、「お金も無いし、危ない場所らしいし、高校生くらいになったら行こう」と思っていました。

現在では、ゲーセンはきれいで明るい感じに変身しています。
家族連れで仲良く遊ぶ姿も、見られます。

今の子供たちには、当時の殺伐とした雰囲気は想像できないでしょうね。

そんな感じで、ゲーセンに興味を持ちつつも、私は距離を置いて過ごしていました。

そうした中、小学5年生の2学期に、私は友人のS君に誘われて、突如ゲーセン・デビューをする事になります。

それが、今回のメインの話です。

ゲーセン・デビューの話の前に、まずS君の事を説明しましょう。

彼は、とても面白い奴で、変わった性格をしていました。
ここで書きたくなるようなネタを提供してくれた、ステキな奴です。

S君は、転校生でした。

小学3年生の時に、私の居る学校に転校してきて、クラスメイトになります。

確か、2学期の最初の日に転校してきたと思います。

S君は、天然パーマで髪の毛がクルクルしており、短髪なので仏像みたいでした。
目はぎょろっとしており、眼光に力があるタイプでしたね。

彼が私のクラスに来て、先生に「今日から新しく仲間になる子です」と紹介されるのを
見た時には、
(こいつは、ふてぶてしい面構えで、頑固そうだな)と思いました。

彼は身体から、「負けないぞ!」というオーラを出していて、非常に気負っていました。
戦闘モードに近いテンションなのです。

大抵の転校生はおどおどするものなので、(ちょっと、いつもとは違うぞ)と思いました。

彼は、登場の最初から印象的でした。

普通の転校生は、新しい環境になじめるか不安で、
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
 という感じの、謙虚な姿勢で最初のあいさつをするものです。

ところが、彼は違いました。

先生から「自己紹介をしなさい」と言われたS君は、

「僕は、足が速いです。50mを8秒5で走れます。」

 と、自慢調であいさつをしたのです。

その時は、クラスの男子達は皆が驚きました。

というのも、小学3年生では8秒台を出すのはかなり難しくて、私の学年でダントツに
足の速かったM君ですら、8秒5を出せるか微妙だったからです。

私を含めた男子生徒たちは、「本当だろうか」「あいつは凄い奴なのかもしれない」
「いや、あいつはきっと嘘をついている」などと、囁き合いました。

私たちは、とりあえず体育の授業で短距離走をする日を、待つ事にしました。

S君が現れてから1〜2週間した頃に、体育の授業で短距離走が行われました。

私のクラスの男子生徒たちは、口には出しませんでしたが、S君の走りっぷりに
興味を集中させていました。

そして、いよいよS君の走る番になり、彼は走り出します。

10mほど走ったくらいで、私たちの「ああ〜」というため息が、一斉に出ました。

目視だけでも、8秒5のスピードではない事が明らかだったために、失望の声がもれたのです。

タイムは、9秒0くらいでした。

元気のいい悪ガキ・グループは、「お前、嘘をつくなよ。遅いじゃないか。」と
苦情を言いました。

私は、S君は謝るだろうと思ったのですが、驚く事に彼は、「嘘じゃない、今日は調子が
出なかったんだ。前はちゃんと8秒5で走れた」と返答しました。

そのS君の言葉は、誰にも信用されませんでした。
調子がどうとかいうレベルで、9秒0が8秒5になる事は無いと、分かっていたからです。

私は、この期に及んでも強気なS君を見て、(こいつは、なかなか凄い奴だ)と、
逆に感心しました。

おそらくS君は、(強気に出ないと、なめられてしまう。最初が肝心だ)などと考えていたのでしょう。

しかし結果的には、S君の作戦は大失敗でした。

S君の出した9秒0は、かなり速い方で、本来なら「あいつは、結構やるぞ」と思われる
タイムです。

しかし虚勢をはったために、「あいつは、嘘つきだ」との評価しか得られず、
完全にマイナスのイメージが定着してしまいました。

この授業の後から、S君は「8秒5(嘘つき野郎)」というあだ名を付けられてしまい、
クラスメイトから総すかんを食らう事になります。

S君は、寂しそうに背中を丸めて、休み時間になっても椅子にぼんやりと座っている事が多くなりました。

私は、(半分は自業自得だな)と思いながらも、S君に同情します。

私は子供の頃から、可哀相な境遇にいる人を見ると、放っておけないのです。
性格なのでしょうが、無性に助けてあげたくなるのです。

私は、誰からも相手にされないS君に声を掛けて、色々と話をしました。

S君は、最初は驚き警戒していましたが、すぐにとっても嬉しそうに話し始めます。

で、どんどん仲良くなっていき、放課後に一緒に遊ぶようになりました。

彼の態度や物腰から、かなり我儘なところがあると、すでに気付いていました。

遊ぶようになると、彼はすぐに我儘な言動をするようになりましたが、(転校してきた
ばかりだし、こっちが折れてあげよう)と、大抵は私が我慢しました。

今から思うと、本当にいい奴ですね、私は。

彼と遊ぶようになって驚いたのは、彼が『インドア派だった』という事です。

彼は運動神経が良い方だったし、強気な性格だったため、(きっと外で遊ぶタイプだろう)と私は感じていました。

しかし、外で遊ぼうと誘っても、ぜんぜん乗ってこないのです。

私は、(外で遊べば、俺の友達を紹介できるし、新しい環境にも溶け込めるじゃないか)
と思い、彼にもそう言ったのですが、「興味ない」とあっさり却下されました。

仕方がないので、私が彼の家に行って、遊ぶ事になりました。

彼の家は一軒家で、建てたばかりでとてもキレイでした。
たぶん、新築の家を建てて、それで引っ越してきたのでしょう。

どうも、両親が共に働いているらしく、遊びに行っても親がいない事が多かったです。

それで、彼はずっとファミコンをしているのです。

それも、『ドラクエT』をプレイしているのでした。

当時は、ドラクエUが出てから暫くした頃で、クラスの皆が熱心にプレイしていました。

私は、「みんなドラクエUをやっているよ。なんでTなのさ」と訊ねます。

すると彼は、「Uは、もうクリアーした。Tはまだやってないから、今プレイしているんだ」と言うのです。

その理屈は分かりましたが、(皆と同じものをやった方が、仲良くなるための話題作りに
なるじゃないか)と思い、そう伝えました。

すると彼は、再び「興味ない」と言うのです。

私は、呆れました。

私はドラクエUに夢中でしたが、ドラクエTも名作だし、(まあ、いっか)と思って
彼に付き合う事にしました。

それで彼がプレイしているのを横で見ていたのですが、彼は一向にコントローラーを
離そうとしないのです。

普通、何人かでファミコンをする場合、順番にプレイしていきます。
それが、暗黙のルールなのです。

私は当然、「俺にもプレイさせろよ」と言いました。

すると、「嫌だ」と言うのです。

(こいつ、相当に我儘な奴だな… 友達でいるのを辞めようか…)と、一瞬思いました。

でも、彼は転校生という弱い境遇であり、友達ができていない事も熟知していたので、
(ここは、こっちが譲ってあげよう)と決めました。

そうして、それから1ヶ月半くらいの間に、7回ほど遊びました。

いつも彼の家に行き、彼がドラクエTをプレイするのを横で眺めるのです。

当然なのですが、だんだんと飽きてきました。

私は何度も、「たまには、外で遊ぼうよ」と言いましたが、1回しか聞き入れてくれませんでした。

私は、ボランティア精神で、何とかつらいのを耐えていきました。

(きついなあ… さすがに限界か…)と思い始めた頃に、彼はようやくクラスになじんできて、友達ができ始めます。

私は、彼が学校で友達と談笑する姿を見て、「よし、俺の役目は終わったな」と、
親鳥がヒナが大きくなって巣立つのを見届けた後のような、すがすがしい気分になりました。

私は満足感と達成感を覚えつつ、彼の家に行くのをやめました。

今から思うと、S君があそこまで外で遊ぶのを嫌がったのは、転校してきて周りの環境が分からないため、怖がっていたのだと思います。

でもこの時は、そういうS君の心理は、理解できませんでした。

私は、この後に転校を体験して、新しい環境になじむ大変さを身に染みて味わいます。
そうして、彼と同じ様に、外で遊ぶのをおっくうに思う経験をしました。

自分は知らない場所ばかりで、油断すると迷子になるのに、他の子達は自分の庭のように遊んでいる。
このギャップは、かなりきついものがあります。

この感覚は、転校や遠い場所への引越しをした事のない人には、なかなか理解できないでしょう。

さて、その後ですが、S君とはほとんど一緒には遊びませんでした。

私と彼は、性格も趣味も大きく違っていました。

5年生になる際のクラス替えで、彼と別のクラスになると、さらに疎遠になります。
彼がどうしているかも、すっかりと分からなくなりました。

そんな中、5年生の2学期が始まったある日に、ばったりとS君と再会しました。

どこで会ったのかは、憶えていません。
薄っすらと、遊んだ場所から帰宅する途中にばったり鉢合わせた記憶があるのですが、
はっきりしません。

それで、雑談をあれこれとしたのですが、S君は「最近は、俺はゲーセンに通っているんだ」と言うのです。

前述した通りに、私たちは『ゲーセン禁止令』の中で暮らしていました。

私は、「えっ! 行っているの? 怖い場所だと聞いているけど?」と、すぐに疑問を呈します。

すると彼は、

「大丈夫だよ。特に問題はないよ。

 何度も通っているけど、一度もトラブルは経験していない。」と答えました。

私は、「そうなのかー」と驚きました。

私は、(S君の行くゲーセンは、安全な所なのかも)と思い、「実は、ゲーセンにずっと行きたいと思っているんだ」と言いました。

するとS君は、「今度の日曜日に行くつもりだから、一緒に行こうよ」と誘ってきます。

さらにS君は、私が少し考えてから、
「行くのはいいけど、俺はお金を持っていないから、プレイができないなあ」
 と言うと、
「じゃあ、俺がプレイしているのを見ていればいいじゃないか」と、親切な提案をしてきます。

嬉しくなり、「じゃあ、日曜日に行こうぜ!」と約束しました。

私たちは、日曜日の朝10時に、行きつけの駄菓子屋で待ち合わせる事に決めました。

私は、(ついに、ゲーセンに行けるんだなあ)と期待でいっぱいになります。

そして、憧れのゲーセンでステキな内容のゲームたちに触れる時間を、何度も想像して、
1人でニヤニヤしました。

そうして、約束の日にゲーセンに行ったのですが、私にとっては、とても苦い思い出になるのでした。

この話は、後半で詳しく書いていきますね。

(後半はこちらです)

(2013年10月19日に作成)


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