子供の頃の思い出②
ビックリマン・シール③ 都会と田舎のタイムラグに驚く

ビックリマン・シールについて様々な思い出を作っていた頃から、はや数年が経ち、私は中学1年生になっていました。

中学の新しい生活に追われる中で、ビックリマンに情熱を傾けた日々を完全に忘れ、ビックリマンが存在した事すら忘れていました。

そうして3学期に入った冬のある日のこと、私は何気なく、近くのスーパーマーケットにお菓子を買いに行きました。

店内に入り、ぶらぶらとお菓子コーナーに向かったところ、お菓子コーナーの入り口に「ドーン」と目立つ扱いで、ビックリマン・チョコの箱があったのです!

もう何年もその姿を見ていなかったので、「おお! ビックリマンだ、懐かしいなあ。まだ存在していたのか。」と驚きました。

ブームの流れに乗って爆発的なヒットをするお菓子は、ブームが去ると消えるのが定番なのです。

そうしたお菓子を数多く見てきた私は、ビックリマンがまだ生きているのにびっくりし、幽霊を見たような心境になりました。

最初は、「これは幻か?」と自分の目を疑いました。
確認するために、さっそく1つ手に取ってみました。
すると、間違いなくあのビックリマンです。

箱やパッケージを見ると、明らかに描かれているキャラクター達が変化していました。
私の知っているキャラは、一人も居ません。

「むっ、世代交代している」と、自分の頃とは変わってしまった寂しさと、しぶとく生き延びるところに実力を再確認して誇らしく思うのとが交じった、不思議な気持ちになりました。

次に気づいたのは、『お菓子の大きさが、1.5倍くらいに拡大していること』でした。

私が買っていた頃よりも、明らかにパッケージが大きくなっており、サワサワと外から中身のお菓子を触ってみると、大きいのが確認できました。

私は、「ほお、やるじゃないか。サービス精神を見せてくれるわい。」と嬉しくなり、久々に購入してやろうかと思い始めました。

そして、「よし。どうせなら、昔みたいに箱の中からじっくりと1つを選んでやる」と思い、手にしていたのを箱に戻して、買うのをどれにするか物色し始めました。

あれこれと手に取り、候補を絞りこんでいきました。
良いシールが入っていそうなオーラの出ているのを、見つけ出そうとしました。

しかし、ここで私は、とんでもない事実に気づきました。

何気なく値札を見たところ、何と!
1個50円だったのです!!

目を疑いましたよ。
『ビックリマン・チョコ=30円、ビックリマン・アイス=50円』という、鉄の掟が破られていたからです。

私は怒りに身体を震わせて、「ビックリマン・チョコは30円なんだぞ!!!」と、心の中で絶叫しました。

少年時代の思い出を冒とくされた気がして、大変に不愉快でした。

思わず叩きつけるようにして、手にしていたビックリマン・チョコを箱の中に戻しました。

ビックリマン・チョコは、子供にとってはシールがメインのものです。

そういうものを、お菓子を少し増やしただけで、一気に倍近くまで値上げするなんて、子供達への裏切りです。

「ロッテの野郎、下らない商魂を見せやがって。俺たちをバカにしているのか」と、激しくイライラしました。

怒りの収まらないままに、その場を離れて、他のお菓子たちを物色しました。
ビックリマンを買う気は、完全に失せました。

そうして、いつも買うお菓子たちを観賞しつつ、「どれにしようか」とお菓子コーナーをゆっくりと巡回しました。
この日は時間があったので、完全に満足できるメンバーを買い揃えようとしたのです。

巡回を始めて2分ほど経った頃でしょうか、自分でもひどく驚いたのですが、徐々に『ビックリマンのサクサクした食感』が頭に浮かんできて、どうしても頭から離れなくなってきました。

一度は買う気になったので、脳内にあの懐かしい味が醸成されてしまい、それを食べないではいられない感じに、なってしまいました。

私は、「くっ、何という事だ。どうする、やっぱり買うか?」と迷いました。

「裏切り者だと確信した商品を買うのは、自分を曲げることになる。
だが、食べたい。

食べたいとはいえ、わずか1分前に怒りを爆発させた商品を買うのか? それは信念に反する。
でも、食べたい。

たかが50円のお菓子じゃないか。深く考えずに、欲しいなら買えばいいのではないか?
だが、あいつは裏切り者だ。私たちの思い出を壊したんだぞ。」

こんな問答を、頭の中で繰り返しました。

2分ほど真剣に迷いましたが、買うことを決断しました。

「買わないほうが格好良いが、ここで買い逃すと2度と食べられない可能性もある。ならば思い切って買ってしまえ。」、こう思ったのです。

私は苦笑しつつ、ビックリマンの箱に近づき、1つを無造作に取りました。

さて、家に帰ると、さっそくビックリマン・チョコを食べました。

予想通りにサイズは1.5倍ほどあり、食べでがありました。
味や食感に変化はなく、私は満足しました。

シールについては、何の興味も無かったので、食べ終わってからチェックしました。

すると、何と! 「キラキラ・シール」なのです。

思わず、呆然としました。

人生初のキラキラ・シール入手を目の当たりにして、
「なぜ、今になって…。もう意味ないし。あの頃に手に入れていたら、英雄になれたのになあ。」と、しみじみと思いました。

キラキラ・シールを見つめつつ、「『人間は欲が無い時に、大当たりをする』というけど、本当なんだなあー」と思いましたね。

しばらく感慨にふけった後、裏面の解説文も読んでみましたが、相変わらず訳の分からない事が書いてあり、ちっとも理解できません。
懐かしさを感じつつ、苦笑しました。

その後、思い出の品を収納している小さな引き出しに、そっとシールをしまい込みました。

それからしばらくして、春休みになりました。

東京在住の私と弟は、毎年のように学校が長期の休みになると、自分達の田舎である北海道の小樽に行っていました。
母方の祖父母が小樽に暮らしているので、そこに長期滞在するのが定番になっていました。

私たちはそれほど行きたい訳ではないのですが、母が「行きなさい」とうるさいのです。

そんなわけで、この春休みも、北海道に帰省しました。

何で母がそれほど北海道に行かせたがるのか、長い間、私は理解できませんでした。

「田舎の祖父母と過ごす事が、教育上で大切だ」などと考えているのかと想像していたのですが、そのうち『私たち子供が居なくなると、自分が楽だからだ』と知りました。

それを知った時は、もの凄く脱力しましたねー。
「大人って、こんなにも物事を適当に決めているのか……」と、かなり呆れました。

行きたい気はほとんど無かったのですが、まあ慣例どおりに北海道で休みを過ごしました。

いつもはのんびりと家で過ごすのですが、その年は祖父母の友人であるMさんの家族と、1泊2日でスキーに行くことになったのです。

Mさんは彫刻家をしており、あまり売れていないのもあって、私の祖父が作品を買ったりして支援していました。

そうした縁で、Mさんとは家族ぐるみの付き合いがあったのです。

Mさんは、芸術家によくいるタイプの実に飾らない人で、私たち対してもぜんぜん偉ぶりません。

なので、私は彼を好いていました。

Mさんとは、この1~2年前に「川釣り」にも行っていました。

この川釣りは、とても面白い体験だったので、別に記事にしようと思います。

スキーの小旅行には、Mさんの子供2人も来ました。

2人ともに男子で、小学校の低学年くらいです。
男同士なので、Mさんは私に、「面倒を見てやってくれ」と言うのでした。

私は年下の面倒見が良いので、快く引き受けることにし、彼らは徐々に懐いてきました。

そうして、無事にスキー旅行を終えて、Mさんの車で帰路についていた時の事です。

私は子供2人と、かなり打ち解けて話せるようになっていました。

そこで、「学校では、何が流行っているんだい?」と、爽やかに聞きました。

そうしたところ彼らは、驚く事に「ビックリマンが流行っている」と言うのです。

私は、てっきり『ビックリマン・シール②』に書いたO君のような、ブームが去ってからも集め続けているマニアックな連中なのかと思いました。

それで「まだ集めているのかよ。もうブームは終わっているだろ。マニアックだなあ」と、少しバカにするような口調で言ったのです。

すると2人は、憤慨したような表情を見せて、「そんな事ない! 学校のみんなが集めている。」と、力説するのです。

私は最初は信じられず、「それは無いだろ~」と言って否定し、苦笑してました。

でも、彼らは真剣な表情であり続けて、嘘をついているとは思えません。

私はすっかり驚いてしまい、隣に座っている弟に、
「おい! もしかしてまた流行っているのか!?」と尋ねました。

弟は1歳年下で、小学校を卒業した直後なので、小学校の事情に詳しいはずです。

私は中学校に上がって1年が経っていたので、(もしかしたら、俺が知らないだけで、小学生では再び流行っているのか)と思ったのです。

質問を受けた弟は、いかにも困ったような表情をし、「いや、全く流行っていない。影も形もない。」と返事をしました。

その言葉が出たあと、車内は突如として凍ったようになりました。

いきなり空気がピーンと張りつめてしまい、零下20度くらいの寒さです。
温かい車内から、いきなり外に放り出された感じでした。

このままの状態が続くのは、あまりに苦しい。
なんとかしなければならないと、強く感じました。

Mさんが助け舟を出してくれるかと期待しましたが、どうも彼もショックを受けている様でした。

私は(俺が何とかするしかない)と悟り、脳をフル稼働させました。

(一体どういう事なんだ…)と、焦りを覚えつつ真剣に考えました。

そして、やがてピンと来たのです。

私は以前に、『都会と田舎では、流行りに時間差がある。都会で流行ったものは、2年くらいすると田舎でも流行る』というのを、耳にしていました。

(どうも、これらしいぞ…)、私は直感しました。

この情報を聞いた時は、「明治や大正の頃ならともかく、今はTVもあるし、そんな時間差なんてあるはずないよ」と思いました。

しかし、この現実を目にして、まだ存在しているらしいと気づかされました。

私は車内の空気を和ませるために、「まあ、地域ごとに流行りの違いはあるよ。そうなのか、こっちはビックリマンかあー」と、陽気な口調で言いました。

そして、色々と今のビックリマンの世界について、彼らに質問しました。

2人の子供は、自分たちがハマッている事柄なので、すぐに口数多く説明を始めました。
するとMさんも、落ち着きを取り戻しました。

車内の温度は元に戻ってきて、私は一安心しました。

子供2人はキャラについて熱心に説明してくれましたが、こっちが本当は興味が無いこともあって、頭に入らずにちんぷんかんぷんです。

でも聞いているうちに、彼らが真剣に集めているのが伝わってきて、「昔は俺もこうだったなあ」と思いました。

彼らの情熱に心を動かされた私は、何気なく「そういえば、過去に集めたシールがまだ家にあるなあ。そんなに集めているなら、あげようか?」と発言しました。

すると、再び空気が一変しました。

やや不機嫌になっていた2人は、態度を激変させて、「ぜひ欲しい」と身を乗り出すように言うのです。

私が、「古いシールだから、友達に見せても分からないんじゃないか?」と言うと、2人は「古いシールは凄いレアなので、持っているだけで尊敬されるんだ」と目を輝かせながら答えるのでした。

私は(そんなもんかなー?)と半信半疑でしたが、「うーん、そうかあ。じゃあ、あげようかなあ」とつぶやくと、彼らは『期待と尊敬心で一杯の表情』で見つめてきます。

それは、今回の小旅行で一度も見なかった、彼らが完全に心を開いた瞬間でした。
態度に、情熱と真摯さが溢れていました。

彼らの熱い眼差しを受けとめていたら、自分が『かつてのビックリマン戦争で活躍した伝説の勇者』になったような気がしてきて、実に良い気分になりました。

私は上機嫌になり、「分かったよ。東京の家に帰ったら、シールを送ってあげる」と約束しました。

一部始終を聞いていた弟も、同じくシールをプレゼントする事を約束しました。

東京に帰ると、さっそく押入れを捜索して、思い出の品の入ったプラスチック・ケースを探しました。

その中には、記憶通りにビックリマン・シールが入っていました。

私の所持シールは10枚ほどで、記憶していたほどの量ではありませんでした。
さらに、悪魔シールばかりでした。

よく憶えていないのですが、すでに誰かにあげてしまった後だったのかもしれません。

思い出の箱から取り出すまでは、あげる気マンマンでした。
その気持ちには、一点の曇りもありませんでした。

ところが、過去に何度も見つめたシール達を眺めているうちに、すっかり懐かしさで胸が一杯になり、「やっぱりあげるのはよそうかな」と思い始めました。

当時は愛着のなかった悪魔シールたちは、時を経て美しい思い出になり、愛しい奴らに変身しているのです。
人相の悪い面子が揃っているのに、なぜかシールが輝いて見えました。

私は、乙女座だからか、整理整頓して思い出の品を取っておくのが大好きなのです。

なかなか物を捨てられないし、思い出の品となるとさらに捨てられません。

自分のシールを見ているうちに、「これは大切な思い出だ。無くしてはいけないはずだ。」との想いが高まってきました。

そこで弟に、「やっぱり、あげるのを辞めないか?」と相談しました。

弟が賛同してくれれば、問題なくトンズラできるし、約束を破る罪悪感も分かち合って半減する。
これは、大きな要素です。

「お兄ちゃんも、そう感じていたか。僕もこの大切な思い出の品を無くしたくない。」との返事を期待してました。

しかし弟は、「約束したじゃないか、僕はちゃんとあげるよ。お兄ちゃんはケチだからねー」と、私の心底を見透かしたような視線で、バカにするように言うのでした。

思わずムッとし、「俺だってあげるよ。約束を破るはずないだろ」と応えました。

……成り行き上、あげざるを得ない状況となりました。

勇気をふりしぼる事で、なんとか悪魔シールばかりの10枚はふんぎりがつきました。

問題は、しばらく前に手に入れた「キラキラ・シール」の1枚です。

私は、『生涯で唯一のキラキラ・シールまであげてしまうかどうか』で、悶々と悩みました。

(弟はどうするのだろう?)と様子を窺うと、彼は持っている全てのシールを、あっさりと封筒に入れました。

そのため、『後は、私がシールを封筒に入れて、宛名を書けば完成』という状態に、一気に追い込まれてしまいました。

弟は、私に比べてはるかに思い出の品に淡白で、むしろ新しい物を次々に買うことに執着するタイプです。

(あの野郎…、あっさりと決断しやがって。)と、私はイライラしました。

焦りを感じつつも、(ここは冷静に判断するんだ、焦ったら後で後悔するぞ)と自分を戒めました。

そうして、悩み続けました。

決断できないままに日数が過ぎていきましたが、5日ほどすると母が「まだ送らないの?」と不審そうに言ってきました。
弟も、遠くから軽蔑するような目で見てきます。

私は、(いや、俺がダメなんじゃない。むしろ、あっちが淡白すぎるんだ。物を大切にするのは、良い事のはずだ…)と、自分を慰めました。

悩みに悩み抜いたすえ、1週間が経ったあたりでようやく決断しました。

「これだけ悩むのだから、とても大切に想っているのだ。
このキラキラ・シールだけは、取っておこう」

これが最終結論です。

私は、弟や母の目を避けるようにして、思い出の品を収納している小さな引き出しに、そっとシールをしまい込みました。

シールの入った封筒を送り出した後は、善行をした達成感で一杯になりました。

1枚だけ隠し持つかたちとなったため、ほんの少しだけ罪悪感もありました。

「あれだけ欲しているシールをプレゼントしたのだから、お礼の手紙でも来るだろう」と期待していたのですが、完全に音沙汰なしです。

「大切な物をあげたのに、それはないだろ」と、がっかりしながらも、「小学校の低学年だから仕方ない」と諦めました。

こうして、私の持つビックリマン・シールは、1枚を残すのみとなったのでした。

以上で、ビックリマンのエピソードは終了です。

この後は、私の人生にビックリマンは関わってきていません。

ネットで見ると、未だに細々と生息しているらしいですね。
コレクターもいるみたいです。

キラキラ・シールは、今でも大切にとってあります。

ビックリマン・シールは、集めていた人が沢山いるはずです。
みんなは、どうしているんですかねー。

(2014年1月10~11日に作成)


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