子供の頃の思い出⑦
親友だったH君① 焚き火(後半)

『焚き火(前半)』の終わりに書いたように、私とH君は「来週の日曜日に、また焚き火をすること」を約束しました。

で、私はその日を楽しみに待ち、当日には午前中の早い時間(たしか9時頃)にH君の家に行きました。

焚き火をしたくてウズウズしており、H君が玄関に現れるとすぐにお寺に行こうとしました。

ところがH君は、「少し待ってくれないか」と言うのです。

私は(H君もすぐに行きたいだろう)と考えていたので、やや拍子抜けする思いでした。

仕方なく玄関で待つ事にしたのですが、どうも何かの準備を、H君の母がしているらしいのです。

(一体、何だろう?)と不思議に思っていたのですが、10分くらいすると、H君は満足そうな顔で現れました。

H君の手には、団扇と、アルミホイルに包まれた細長い物体があります。

彼は「よし、行こう」と言い、私たちは寺の焚き火に向かいました。

お寺に着くと、この間と同じ場所に焚き火があり、前回と同様に消えかかった状態で放置されていました。

火はほぼ消えており、わずかにモヤモヤとした薄い煙が出ているだけです。

外から見た限りでは灰しかなく、煙さえ上がってなければ完全に消えていると思える状態でした。

このお寺の住職は、ずぼらな性格なようで、こまめに火を見る事をしないのでした。

この日は、住職は竹のホウキを持って、落ち葉を集めていました。

私たちが焚き火を占領しても、住職は特に何も言わずに落ち葉集めを続けて、落ち葉を境内の数ヵ所に集め終えると、居なくなってしまいました。

さて。

私たちは、さっそく焚き火に向き合ったのですが、火がとても弱い状態なので、それを盛り上げるのになかなか苦労しました。

灰の中に埋もれているわずかな火種を探し、それに燃えやすい乾いた落ち葉を当てて、「フーッ、フーッ」と息を強く吹きかけました。

そうして、次は燃えた落ち葉を活用して、枯れ木に火を移しました。

15分ほど苦闘して、ようやく火を一人前の状態まで持って行きました。

火力を高めて一安心したところ、ここでH君は驚くべき行動に出ました。

私が(なんだ、これは?)と不審に見ていた、アルミホイルに包まれた謎の物体を、『焚き火に埋め始めた』のです。

私が驚いた表情をしているのを見たH君は、「焼き芋を作ってみようと思う」と説明するのでした。

その謎の物体が芋である事に、初めて気付きました。

私は、『焼き芋』というものは、食べた事も見た事もありませんでした。

「焼き芋~、石やーき芋~」との、流しの焼き芋屋の放送で、焼き芋という食べ物が存在する事は知っていましたが、それだけの関わりだったのです。

知識が無いので、H君の行動を見ているしかなかったのですが、彼は「石を入れた方が、熱が伝わる」と言って、焼き芋を入れた後には大きな石(大人のこぶし程度の大きさだった)も5個ほど追加しました。

そうして芋と石を、焚き火の中に置き終えると、「後は火を強くすればいい」と言い、私に協力を求めてきました。

芋と石を入れると、焚き火は1.5倍くらいの面積に拡張されて、火力はかなり弱まっていました。

私は、H君の知識に感心しつつ、一緒になって火力を強めるために枝と落ち葉を投入していきました。

で、前回と同じに焚き火をしていったのですが、今回は芋が中にあるので、格段に難しい作業になりました。

最初のうちは、適当に枝を投入していましたが、15分くらいして一度芋を取り出してみたところ、火が入っている芋とぜんぜん入っていない芋がありました。

それを見て、『芋に均等に火が入るようにするには、焚き火全体にバランス良く火力が付くように、調整する必要がある』と気付かされました。

焼けていない芋が多かったので、火力を強めてみたところ、それから20分くらいして取り出してみたら、黒こげになっていました。

私たち2人は、予想以上の難しさに、しばし絶句しました。

私は、(H君は諦めるだろう)と思ったのですが、H君は少し考えた後に「もう一度、芋を持ってくる」と言い、いったん家に戻っていきました。

焚き火の面倒を見ながら待っていると、再び手にアルミホイルに入った芋を持って、H君は現れました。

私たちは、今回は失敗しないために、真剣に意見交換をしました。

そうして『入念に芋と石を配置すること(焚き火の真ん中に、芋と石が交互になるようにして、固めて配置した)』、『火力は強くなりすぎない程度にするため微調整し続ける事』を決定しました。

集中力を維持しながら30分ほど作業をし、恐る恐る芋を取り出してみると、ホクホクのいい感じの芋が現れました(^-^)

さっそく食べてみたのですが、「これまで食べたものの中で、一番うまいのではないか」と思うほどの、信じられない位の美味でした。

当時は、こんなに美味しい理由について分かりませんでしたが、今から振り返れば、ガスや電気ではない『自然の火力による焼き方』だったからでしょう。

私はこの後に、キャンプで飯ごうで米を炊く経験などを経て、「薪による調理は、別格の味になる」と理解しました。

もちろん、「自分たちで焼いたこと」「野外で食べたこと」「親友と食べたこと」も、美味しく感じた理由の1つです。

私たちは、無心に焼き芋を食べ、それが昼食となりました。

腹を満たした後には、さらに焚き火を続けました。

燃料を確保するために、私たちは住職が放置していった、いくつかの場所に点在する落ち葉の固まりに赴き、両手ですくってきては焚き火に投じました。

今から振り返ると、私たちは純粋に楽しむためにしていましたが、きっちりとお寺をキレイにするのに貢献していましたねー。

午後も3時をまわる頃になると、焚き火の脇に置いてある枯れ枝も残り少なくなり、薪不足に陥りました。

仕方がないので、境内を見回り、地面に落ちている枯れ枝を探しては、焚き火に投じました。

夕方になって暗くなる頃には、境内の枯れ枝もほぼ無くなり、燃やすものが無い状態となりました。

私とH君は、達成感を感じながらも、残念に思いました。

帰宅する際に、H君は「燃やし尽くしたから、今年はもう終わりかな」と言いました。

私は賛同しつつも、(まだ可能性はあるんじゃないだろうか)と希望的な観測を持ちました。

地面には枝も葉もない状態でしたが、(これからまだ落ちて来るのではないか)と考えたのです。

しかし、境内の木々には全くといっていいほど葉は残っていませんでした。

それを見つつ、(いや、諦めてはならない。どこかから落ちて来る可能性はある。)と、私は思うのでした。

私は帰宅してからも、焚き火の楽しさを噛みしめていました。
目を閉じると、焚き火の情景が浮かびました。

それまでにも、釣りを初めてした時などに、頭から離れなくなる事がありました。

焚き火をしたくてたまらなかったので、数日後に暇だったので、1人でお寺に行き、焚き火の所を確認しに行きました。

焚き火があれば、少しの間遊ぼうと思ったのです。

すると焚き火はなく、近くに枯れ枝もなく、地面に燃えカスが残っているだけで、「祭りのあと」感が猛烈にありました。

私は悲しくなり、「こんなのは間違っている! 何とかしてやる!」と思うのでした。

そうして、とある事件を主導する事になるのです。

その話は、番外編として、次回に書きましょう。

(続きはこちらです)

(2014年3月12~13日に作成)


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