子供の頃の思い出F
親友だったH君@ 焚き火(後半)

『焚き火(前半)』の終わりに書いたように、私とH君は「来週の日曜日に、また焚き火をすること」を約束しました。

で、私はその日を楽しみに待ち、当日には午前中の早い時間(たしか9時頃)にH君の家に行きました。

焚き火をしたくてウズウズしており、H君が玄関に現れるとすぐにお寺に行こうとしました。

ところがH君は、「少し待ってくれないか」と言うのです。

私は(H君もすぐに行きたいだろう)と考えていたので、やや拍子抜けする思いでした。

仕方なく玄関で待つ事にしたのですが、どうも何かの準備を、H君の母がしているらしいのです。

(一体、何だろう?)と不思議に思っていたのですが、10分くらいすると、H君は満足そうな顔で現れました。

H君の手には、団扇と、アルミホイルに包まれた細長い物体があります。

彼は「よし、行こう」と言い、私たちは寺の焚き火に向かいました。

お寺に着くと、この間と同じ場所に焚き火があり、前回と同様に消えかかった状態で放置されていました。

火はほぼ消えており、わずかにモヤモヤとした薄い煙が出ているだけです。

外から見た限りでは灰しかなく、煙さえ上がってなければ完全に消えていると思える状態でした。

このお寺の住職は、ずぼらな性格なようで、こまめに火を見る事をしないのでした。

この日は、住職は竹のホウキを持って、落ち葉を集めていました。

私たちが焚き火を占領しても、住職は特に何も言わずに落ち葉集めを続けて、
落ち葉を境内の数ヵ所に集め終えると、居なくなってしまいました。

さて。

私たちは、さっそく焚き火に向き合ったのですが、火がとても弱い状態なので、
それを盛り上げるのになかなか苦労しました。

灰の中に埋もれているわずかな火種を探し、それに燃えやすい乾いた落ち葉を当てて、
「フーッ、フーッ」と息を強く吹きかけます。

そうして、次は燃える落ち葉を活用して、枯れ木に火を移しました。

10分ほど苦闘して、ようやく火を一人前の状態まで持って行きました。

火力を高めて一安心したところ、ここでH君は驚くべき行動に出ます。

私が(なんだ、これは?)と不審に見ていた、アルミホイルに包まれた謎の物体を、
『焚き火に埋め始めた』のです。

私が驚いた表情をしているのを見たH君は、「焼き芋を作ってみようと思う」と説明するのでした。

その謎の物体が芋である事に、初めて気付きました。

私は、『焼き芋』というものは、食べた事も見た事もありませんでした。

「焼き芋〜、石やーき芋〜」との、流しの焼き芋屋の放送で、焼き芋という食べ物が存在する事は知っていましたが、それだけの関わりだったのです。

知識が無いので、H君の行動を見ているしかなかったのですが、彼は「石を入れた方が、熱が伝わる」と言って、焼き芋を入れた後には大きな石(大人のこぶし程度の大きさだった)も5個ほど追加しました。

そうして芋と石を、焚き火の中に置き終えると、「後は火を強くすればいい」と言い、
私に協力を求めてきました。

芋と石を入れると、焚き火は1.5倍くらいの面積に拡張されて、火力はかなり弱まっていました。

私は、H君の知識に感心しつつ、一緒になって火力を強めるために枝と落ち葉を投入して
いきました。

で、前回と同じに焚き火をしていったのですが、今回は芋が中にあるので、格段に難しい
作業になりました。

最初のうちは、適当に枝を投入していましたが、15分くらいして一度芋を取り出して
みたところ、火が入っている芋とぜんぜん入っていない芋があり、

『芋に均等に火が入るようにするには、焚き火全体にバランス良く火が付くように、
 調整する必要がある』と判明します。

焼けていない芋が多かったので、火力を強めてみたところ、それから20分くらいして
取り出してみたら、黒こげになっていました。

私たち2人は、予想以上の難しさに、しばし絶句しました。

私は、(H君は諦めるだろう)と思ったのですが、H君は少し考えた後に「もう一度、
芋を持ってくる」と言い、いったん家に戻っていきました。

焚き火の面倒を見ながら待っていると、再び手にアルミホイルに入った芋を持って、
H君は現れます。

私たちは、今回は失敗しないために、真剣に意見交換をします。

そうして『入念に芋と石を配置すること(焚き火の真ん中に、芋と石が交互になるようにして、固めて配置した)』、『火力は強くなりすぎない程度にするため微調整し続ける事』を決定しました。

集中力を維持しながら30分ほど作業をし、恐る恐る芋を取り出してみると、ホクホクの
いい感じの芋が現れました(^-^)

さっそく食べてみたのですが、「これまで食べたものの中で、一番うまいのではないか」
と思うほどの、信じられない位の美味でした。

当時は、こんなに美味しい理由について分かりませんでしたが、今から振り返れば、
ガスや電気ではない『自然の火力による焼き方』だったからでしょう。

私はこの後に、キャンプで飯ごうで米を炊く経験などを経て、「薪による調理は、別格の味になる」と理解します。

もちろん、「自分たちで焼いたこと」「野外で食べたこと」「親友と食べたこと」も、
美味しく感じた理由の1つです。

私たちは、無心に焼き芋を食べ、それが昼食となりました。

腹を満たした後には、さらに焚き火を続けます。

燃料を確保するために、私たちは住職が放置していった、いくつかの場所に点在する落ち葉の固まりに赴き、両手ですくってきては焚き火に投じました。

今から振り返ると、私たちは純粋に楽しむためにしていましたが、きっちりとお寺をキレイにするのに貢献していましたねー。

午後も3時をまわる頃になると、焚き火の脇に置いてある枯れ枝も残り少なくなり、
薪不足に陥ります。

仕方がないので、境内を見回り、地面に落ちている枯れ枝を探しては、焚き火に投じました。

夕方になって暗くなる頃には、境内の枯れ枝もほぼ無くなり、燃やすものが無い状態となりました。

私とH君は、達成感を感じながらも、残念に思いました。

帰宅する際に、H君は「燃やし尽くしたから、今年はもう終わりかな」と言いました。

私は賛同しつつも、(まだ可能性はあるんじゃないだろうか)と希望的な観測を持ちます。

地面には枝も葉もない状態でしたが、(これからまだ落ちて来るのではないか)と考えたのです。

しかし、境内の木々には全くといっていいほど葉は残っていませんでした。

それを見つつ、(いや、諦めてはならない。どこかから落ちて来る可能性はある。)と、
私は思うのでした。

私は帰宅してからも、焚き火の楽しさを噛みしめていました。
目を閉じると、焚き火の情景が浮かぶほどです。

それまでにも、釣りを初めてした時などに、頭から離れなくなる事がありました。

焚き火をしたくてたまらなかったので、数日後に暇だったので、1人でお寺に行き、
焚き火の所を確認しに行きました。

焚き火があれば、少しの間遊ぼうと思ったのです。

すると、焚き火はなく、近くに枯れ枝もなく、地面に燃えカスが残っているだけで、
「祭りのあと」感が猛烈にありました。

私は悲しくなり、「こんなのは間違っている! 何とかしてやる!」と思うのでした。

そうして、とある事件を主導する事になるのです。

その話は、番外編として、次回に書きましょう。

(続きはこちらです)

(2014年3月12〜13日に作成)


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