コンピュータ・ゲームについて考察する(ゲーム業界への提言)

つい先日に、『プレイステーション4が、今年中に(2013年度中に)発売される』とのニュースが出ました。

私は、PS3などの現行機を持っていませんが、もともとTVゲーム好きなので、「ほー、もう出るのか。どんな感じなのかな。」と思って、軽くネットで調べてみました。

すると専門用語ばかりで、さっぱり文章の意味が分かりません。
しばらく前に、パソコンを買い換える関係から、コンピュータの専門用語を多少勉強したのですが、それでも全然分かりませんでした。

大きな視点から見ると、これは問題な気がしますね。
もっと普通の人に分かるように、解説した方がいいと思いました。

コンピュータ・ゲームは、高スペックになるに従って専門用語が多くなり、パソコンのようにマニア以外にはよく分からない(ついていけない)部分が増えてきていると思います。

高スペックになるのは素晴らしい事であり、問題なのは普通の人への説明・解説に力を入れていない事です。
ぜひ分かり易い説明を、心掛けてほしいですね。

読んでもよく分からなかったのですが、分かった事を短くまとめると、『PS3の8倍の処理能力、表現能力がある』みたいです。

(正直、あまり確証はないです。本当によく分からなかったので…。)

PS4が出るというニュースを見て、改めて『コンピュータ・ゲームとは、自分や社会にとって何なのか」を考えてみたくなりました。

そこで、とりとめなく色々と考えて、書き連ねてみたいと思います。

まず「社会にとって何なのか」という事ですが、コンピュータ・ゲームについては賛否両論が昔からあり、その状況は変わっていないですね。

もっとも、肯定派は確実に増えました。
コンピュータ・ゲームは、登場した当初は否定派の大人が大勢を占めていましたが、年々減少していると思います。

肯定派が増えている理由は、コンピュータ・ゲームを楽しんで育った世代が大人になり、彼らは大人になってからもコンピュータ・ゲームに愛着を持っているからだと思います。

私は、賛成派でも反対派でもなく、ニュートラルです。
つまり、賛成派の言っている事にも共感できるし、反対派の言っている事にも共感できます。

賛成派は、「子供に楽しみを与えているし、社会にも娯楽を提供している」とか「教育に悪影響があると言うが、良い影響も与えている」と言います。

反対派は、「子供が外で遊ばなくなり、体力やコミニケーション能力が低下する」とか「暴力的な表現が多く、子供に悪影響がある」と言います。

(反対派には「勉強をしなくなる」という意見もありますが、これはコンピュータ・ゲームじゃなくても何かに熱中すると、そうなります。コンピュータ・ゲームだけの現象ではないです。)

私は、自分がコンピュータ・ゲームを楽しんできた者として、どちらの意見も正しいと感じます。
何でもそうなのですが、コンピュータ・ゲームも人生を豊かにする「道具の一つ」であり、良い方向にも悪い方向にも使えるものなのです。

冷静に見つめると、これだけ社会に浸透したコンピュータ・ゲームを、追放するのは無理です。

私達がコンピュータ・ゲームに関して、これから力を入れていく方向は、「良質の作品を世に送り出すこと」に尽きると思います。
これをすれば、反対派もかなり矛を収めると思います。

「良質の作品とは何なのか」については、私が最近のコンピュータ・ゲームに感じている事と密接に繋がっているので、次に私とコンピュータ・ゲームの関係について書きます。

「私にとってコンピュータ・ゲームとは何なのか」という事ですが、私はファミコン世代であり、今でも5日に1回くらいは据え置き型の家庭用ゲームを気分転換に楽しんでいるので、大切なものの一つです。

学生時代には、スーパー・ファミコンを1日に8時間くらいやっていた日もありました。

振り返ってみると、「信長の野望シリーズ」などで歴史上の人物について知ったことと、「ドラクエシリーズなど」でワクワクする冒険を味わえたことが、最大の収穫でした。

非常に冷静に自分を振り返ると、生き方や価値観などについては、特に良い影響を受けなかったです。
私は、映画や本やマンガからは、自分の人生の進むべき指針を得ることができましたが、TVゲームの作品からはそのような大きな影響は受けませんでした。

これはTVゲームの初期では、マシンの能力不足のため「表現に制約があった」ためだと思います。

そして高スペックになってきてからは、「クリエイター達が、すばらしいメッセージを伝えようとしないから」だと思います。

最近は、学生時代のように熱中してプレイする事はなくなりました。

その理由はいくつかあるのですが、「夢の追求と勉強で忙しい」という理由を除くと、「伝えているメッセージに魅力を感じない」というのが、最大の理由です。

私はTVゲームの創成期から、ユーザーとして接してきました。

ずっと接してきているから分かるのですが、コンピュータ・ゲームは「技術的には大進化している」のですが、『伝えているメッセージは全然進化していない』のです。

正直なところ、これにはかなり幻滅しています。

私はRPG作品が好きなのですが、どの作品も「悪を暴力で倒す」「善と悪の対決」「世界が滅亡に瀕して、それを救う」「悪の親玉は実は神のような存在で、神殺しをする」といった感じです。
そこには、世界についての深い洞察・考察・哲学がありません。

RPGの要の一つが敵対勢力との「戦闘」とはいえ、あまりに代わり映えの無い世界設定に、呆れてしまいます。

私は『神との対話シリーズ』によって、

○ いかなる暴力も、真の解決には繋がらない

○ 真の悪は存在せず、悪業は無知から生ずる

○ 神は、人に何の強制もしない。
  すべての人類の問題は、人類が自ら招いている

○ 悪魔は存在せず、人間が自分たちで想像したものにすぎない

といった考え方を知りました。

この深い考えが、現在の世界では、まだ主流でないことは知っています。
しかし、数多い作品のうちいくつかは、この様な深みのある価値観や世界観を訴える作品があってもいいと思うのです。

実は、作品のメッセージの多様さという点では、ファミコンやスーファミ時代の方が豊かだったと思います。

ハードが高スペックになるにつれて、開発費が高騰し、売り上げが確実に見込める「安全パイ」の作品が増えてしまいました。

PS4に限らず新しいマシンは、出来るだけソフト開発を容易にする工夫が必要だと思います。

「新型マシン向けのソフトは開発費がかかりすぎる。そのために、売り上げを見込める続編ものばかりになっている」と、しばらく前によく指摘されていました。
ハードメーカーは、耳を傾けたほうがいい意見だと思います。

マシンはどんどん高スペックになってきていて、今回のPS4の宣伝でも「グラフィックが格段に向上している」と訴えています。

しかし美麗なグラフィックで「人を殴る」「人を殺す」「おっぱいの揺れを見せる」などを表現されても、少なくとも私は嬉しくとも何ともありません。

グラフィックの向上をアピールするには、「身体の動き」や「物質の描写」が有利というのは、よく理解できます。
でも、本質的に大切なのは「心の表現」ではありませんか。

その事をいつも肝に銘じて、作品つくりをしてもらいたいです。

私が愛している『神との対話』では、「罪と罰、神による審判、暴力による解決などの、古い文化的な物語は、捨ててしまいなさい」「愛を表現する、新しい文化的な物語を創りなさい」と説いています。

私はこの提言にインスピレーションを得て、『私の提案』のページに「芸術表現を、もっと愛に溢れたものにしませんか」との記事を書きました。

この提案を、私はコンピュータ・ゲーム業界にもいたします。

暴力が支配する荒廃した世界ではなく、愛に溢れた世界を表現しましょう。

若い世代に、愛の素晴らしさを伝えよう。

私は、コンピュータ・ゲームにはすばらしい可能性があると感じているし、人々に強い影響を与えることができる(現に影響を与えている)と思っています。

だからこそ、愛を最大限に表現し、愛のすばらしさを遺憾なく伝える作品を創ってほしいのです。

クリエイターの中には、もう何十年もゲーム業界に居て、40~60歳くらいになっている人もいます。

それらの人達が、私が子供の頃プレイしていた作品と同じメッセージを、飽きずに発信している姿勢には、甚だしく疑問を感じています。

クリエイターの中には、「今の子供達に共感される作品を創る必要がある」と言う人が多いです。

これは、正しい意見だと思います。

しかし、自分の方が子供達よりも多くの人生体験をしているのですから、それを作品で発信する(作品に注入する)のが当たり前だと思います。

「子供の価値観や感性に迎合する」のではなく、『子供達にも理解できるように、分かり易く、自分が人生で感じてきた事や学んだ事を表現する』という姿勢が、とても大切だと思うのです。

単なる刺激を追及したもの(人をばんばん殺すような作品)や、表面的なウケ狙いの作品(エロやお決まりパターンに走った、安易な作品)は、この高スペック時代にはもったいないし、画質がアップすればするほど害毒を撒き散らしてしまうと思います。

ゲーム業界の方々はぜひ、「何を表現し、何を伝えるのか」を、しっかりと考えて下さい。

私は、「コンピュータ・ゲームは人々を変えられる、すばらしいツール」だと信じています。

(2013年2月27日に作成)


『エッセイ』 目次に戻る

『日記』 トップページに行く

『私の提案』 トップページに行く

『神との対話』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く