著作権について考察する・創作について考察する

先日にアメーバ・ブログを始めたのですが、アメーバのスタッフから『著作権についてのお知らせ』のメールが来ました。

私が記事を作成するにあたって新聞などから文章を引用・抜粋したり、自分の記事についてリンク・転載をフリーにしているため、「この人は著作権を分かっていない」と認識されたようです。

警告文のような脅しの入った高飛車な文章で、「著作権を守れ」と言ってきました。

この件によって、私は『著作権』というものを再考させられました。

今回は、そうして考えついた事を書きます。

まず思ったのは、『著作権というものは、あいまいな定義に基づいている』という事です。

例えば、文章や作曲について考えてみても、誰もが他の作者から影響を受けているし、「ここからは、自分のオリジナルです!」と断定するのは、事実上不可能だと思います。

冷静に世の中を見てみるならば、どの様な創造物(創作)も、その内容の85%くらいは「他の人の生み出したアイディアや様々な情報からの影響(引用)」なのではないでしょうか。

つまり、「これは私の完全なるオリジナル作品です」と言うのは、根本的に無理なのではないかと思うのです。

昔は、著作権というものは無くて、自分が気に入った本は(印刷技術が未発達なので)自分で書写して手元に置いたし、自分が気に入った音楽は耳コピーをしたり演奏者に弟子入りして教わっていました。

つまり、優れた作品や思想は、みんなの共有物だったのです。

著作権が生まれた経緯を考えてみると、『音楽家や作家や科学者などが、自分が努力して創り上げたにも関わらず、権力者や企業家に権利を持っていかれてしまう』という不条理・不平等が背景にあったと思います。

要するに、「弱い立場にある人々を守る目的」で、出てきたのだと思うのです。

それがいつの頃からか、権力者や企業家が自分の利権を守るために、著作権を振りかざすようになってきているが、現状なのではないでしょうか。

私が愛してやまない霊的な世界観(神との対話などで語られる世界観)では、創造行為をこう説いています。

『あらゆる創造はすでに行われており、私達が創造だと解釈している事は、実は思い出しているに過ぎない』

これを、予備知識なしにパッと読んだ人は、「???」となるでしょう。
この概念の根幹には、「時間は幻想であり、本当は存在しない」という考え方があります。

(この概念に興味が出た方は、神との対話やバシャールの本を読んでみて下さい。
神との対話については、私のウェブサイトでは専門ページを設けて大きく取り上げています。)

実際に、自分が何かの創作を行ってみると、「創作の過程では、理屈では説明がつかない過程も出てくる」と気付きます。

こういう状態を、俗に「降りてくる」とか「ひらめき」とか「天才の輝き」などと言います。

このような不可思議な(神秘的な)状態を、今まの私たちは『凄い創造を偶然にした』と解釈してきました。

しかし、『すでに創造されているものにアクセスして、この世界に呼び出した』と解釈する事も可能なのです。

私は、自らの創作行為を観察すると、後者の解釈の方が正解だと思えるのです。

以前の私は、何かを創作しようとする時に、「自分で生み出す必要がある」と考えていました。
その結果、創作が大変に困難でした。

しかし現在は、創作をする際に(この文章を書いている今もそうですが)、「すでにあるものを、形になるように呼び出している」と考えています。

この考え方だと、創作行為が大変に気楽になり、実に簡単に創作が行えるのです。
これは、私にとって大変に大きな気付きでした。

この創作への新しい概念・理解を使えば、『著作権などというものは、表面上のまやかしである』と思えるようになります。

要するに、誰もが創作を行えるし(実際に誰もが、自分の人生を創造・創作しています)、『それはみんなで分かち合うものだ』と確信できるようになるのです。

私は、「これからの時代は、全てについてみんなで分かち合っていく事が大切だ。それが本当は自然な事であり、人々を幸福にする道なのだ」と、確信しています。

「これは俺の著作物だ」「このフレーズは俺のフレーズに似ているから、盗作だ」なんて、よく考えてみたらどうでもいい事ではないでしょうか?

他の人が自分の文章や音楽やアイディアを、口ずさんだり、真似したり、引用したりするのは、尊敬し愛しているからじゃないですか。

私は、自分の文章をいくらでも転載・引用・抜粋してもらいたいです。

それは、自分が世の中に影響を与えている事(リスペクトされている事)の、一番の証明だと思っています。

(2013年3月18日に作成)


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