宙組時代のショー「レヴュー伝説」
(2016.2.28~29.)

熱心な花總まりのファンである私は、彼女が宙組時代に出演した作品は、全て観劇しました。

その中で最も素晴らしいショーだと思ったのが、『レヴュー伝説』です。

このショーを久しぶりにビデオ映像で見たのですが、やっぱりまりさんの出ている場面はとても楽しめました。
宝塚史上でも上質なショーだと思うし、花總まりの素晴らしさを知るのに好適な作品ですね。

私はこのショーを観劇した時、「良いショーだなあ。見終えた時の気分がとても良い。」と感動しました。
華やかで嫌味がないし、役者たちがとても輝いて見えた。

気に入ったので、その後ビデオ映像を何度も見ました。
そして、他作品との違い、優れている点を理解しました。

傑出している点はいくつかあるので、列記してみます。

①作品全体を通して暗さがなく、爽やかな気持ちで観られる

②ストーリーが最初から最後まで在り、脚本がしっかりしている

③実質的な主役は花總まりで、トップスターの和央ようかは脇役に留まっている

④宝塚における花總まりの最後期の作品で、彼女の演技は円熟している

⑤未沙のえるが出演していて、要所で味のあるサポートをしている

この5つの特徴により、質の高いショーになっています。

まりさんの出てくる場面は、どの場面も見応え十分で、たくさん出てくるので深く満足できる。

ここからは、この5つの点(この作品の長所)について、1つずつ詳しく説明していきます。

まず、「①作品全体を通して暗さがなく、爽やかな気持ちで観られる」です。

宝塚のショーは、明るく爽やかなのが前提なのですが、実際にはドロドロした暗い場面が多い作品もけっこうあります。

観終わった時に、心がぽかぽかとしている作品は、意外なほど少ない。

宝塚のショーって、悪魔やマフィアやジゴロがよく登場するのです。

別に出てきてもいいけど、良い場面になっていると感じることは、ほとんど無いです。

この作品は、全体を通して上品さがあり、悪い奴が登場しないので、様々な場面を見ていっても不愉快になる瞬間がありません。

開演から終演まで、違和感を持つ瞬間なく気持ちよく観劇できた、数少ない作品の1つです。

次に、「②ストーリーが最初から最後まで在り、脚本がしっかりしている」です。

宝塚のショーは基本的に、ストーリーがありません。

各場面は孤立していて、繋がりがないのです。

ところが稀に、しっかりと脚本が書かれていて、場面ごとの話が繋がっていく作品がある。

レヴュー伝説は、これに該当します。

各場面が繋がっていくので、観ている側は入り込めます。
全体を通して固定の登場キャラがいるので、感情移入できる。

これは大きいですよ。

さらに評価できるのは、①の説明で述べたように、ストーリーが暗くない事です。

ストーリーはきちんとあるが、そこにはドロドロしたものはない。
登場人物が皆、可愛い。

結果として、傑出した爽やかさを持つ、楽しい作品に仕上がりました。

一般の宝塚ファンがどう思っているのか、あまり知りませんが、私は芝居もショーもクオリティに満足できない事が多いです。

役者たちにはあまり不満はないが、脚本、演出、音楽、衣装には、「これ酷いな」と思う事も結構あります。

特に脚本は、作品の命といっていいが、宝塚ではなかなか良いものに巡り合えません。

惰性でつくっている(上演している)と感じる作品もあり、ベルバラなんてその代表でしょう。
面白くもないのに、何度も再演する。

ベルバラは、作・演出を担当する宝塚歌劇団・理事長の植田紳爾氏を持ち上げるために、繰り返し再演されてきたのですが、初演の頃は面白く感じたのかもしれないが、今みたら演出が古臭くて仕方ないです。

「役者たちは素晴らしいのに、作・演出が陳腐なので、感動できない。」

宝塚歌劇団を観劇した時に、こう思ってブルーな気持ちになった事が、何度あったか。

「花總まりなんて、日本全体でも屈指の女優じゃないか。それなのにこんな低レベルの作品で才能を消耗させられるなんて。」と、何度思ったか。

だからこそ、まりさんが大きくフィーチャーされ、十分に能力を発揮できる良質な脚本だった時は、無性に嬉しかった。

ここで、話は次の③に繋がります。

次に、「③ 実質的な主役は花總まりで、トップスターの和央ようかは脇役に留まっている」です。

宝塚では、男役が主役であり、女役はあまり活躍しません。

しかし、演出家・脚本家によっては、役者の実力を重視して作品をつくり、セオリーを崩すことがあります。

花總まりが凄い女優だというのは誰もが認めていたので、演出家によっては、彼女に実質的な主役の座を与えて作品をつくってました。

レヴュー伝説も、そのコンセプトで作られています。

作・演出をした草野旦さんは、「花ちゃんを主役にした方が良い作品になる」と考えたのだと、私は思っています。

率直に言って、この判断・決断はとても正しい。

花總まりが宙組で組んだトップスター(男役の序列1位)の姿月あさとと和央ようかは、実力の点で花總まり(女役の序列1位)に到底およびませんでした。

良い作品をつくるのを最優先するならば、花總を主役にするのがベストの選択です。

この事実(分析)は、多くの宝塚ファンや宝塚関係者は認めないでしょう。

「男役のトップスターは神聖な存在」とされていて、「トップスターは必ずしも実力で1番ではない」というのを(公式の場では)認めないからです。

私は、タブーというものに縛られない(権威にビビらない)性格をしています。

だから、「くだらない伝統を持ちやがって。素直に事実を認めて、実力者ならば女役でも大胆に起用しろ」と思っていました。

私の気持ちに、草野さんは応えてくれた。

だから、レヴュー伝説を観た時は、とても嬉しかったですよ。

次に、「④ 宝塚における花總まりの最後期の作品で、彼女の演技は円熟している」です。

花總まりという女優は、デビューした頃から実力が高くて、天才です。

でも、彼女は才能だけで食いつなぐ人ではない。
ずっと進化を続けてきた、努力を怠らない人です。

私が高く評価するのは、単に才能があるからではなく、進化を続けるストイックさと謙虚さを持っているからです。

彼女は宝塚時代にも、着実に向上を続けていました。

だから、後期の作品の方が、充実した演技をしています。

レヴュー伝説では、まりさんは病気で余命いくばくもない極貧の女性ですが、一時的に華やかな女性に変身する。

そのストーリーを、宝塚のショーらしく、楽しく可憐に演じています。

彼女の素晴らしい所は、どんな場面でも何を表現したいのか、どんな人物なのかが、明確に伝わってくる事です。

ビジョンを持っているし、それを的確に表現できる能力もある。

そのため、まりさんが登場すれば、すぐに観客はどんな場面・状況なのかが理解できます。

だから、彼女を中心に置いて、彼女にストーリーを語らせる役を任せれば、間違いは起こらない。

正直な話、相方の和央さん達がもっと良い演技をすれば、さらに良い作品に仕上がったでしょう。

主役のまりさんの輝きと伸びやかさに、周りの役者が付いていけてないです。

この作品では、まりさんと対等に渡り合える実力を持っていた出演者は、未沙のえるさんだけでした。

ここで、話は⑤に繋がります。

最後は、「⑤未沙のえるが出演していて、要所で味のあるサポートをしている」です。

未沙さんは、宝塚史上でも屈指の演技達者です。

長いこと専科というポジションで在籍し、重要な脇役を担当し続けた人です。

率直に言って、宝塚では実力不足なのに大役を任される人も多いです。

それは、実力よりも縁故や人気や財力(チケット購入力)が優先されるし、舞台にデビューして数年の人でも時には将来性を見込まれて大きな役を振られるため、仕方ない。

正直なところ、この『ドロドロした、実力と関係なく役が振られていく、透明性の全くない人事』は、宝塚の最大のタブーになっています。

この悪制度により、どれだけ多くの才能が潰されてきたか。

未沙さん等の実力の高い専科の役者たちは、そんな危うさを持つ宝塚歌劇団を、底辺で支えてきました。

もし彼女達が居なかったら、宝塚の芝居もショーも、クオリティが低くなりすぎて客層を維持できないでしょう。

レヴュー伝説と、それとセットで上演された芝居「ホテル・ステラマリス」で、未沙さんはいつも通りに素晴らしい演技をしています。

彼女はもう退団してしまったのですが、在団している間は「未沙さんが出演している作品ならば、他の役者がいまいちでも何とかなる。今回の出演陣は弱いが、未沙さんが出るならば観に行こうか。」と思った事もありましたね。

これで作品解説を終わりにしますが、作品の内容を語るよりも、宝塚論に近いものになってしまいました。

1つだけ断言できるのは、「レヴュー伝説での花總まりの場面は、どれも素晴らしい」です。

彼女の円熟した輝く演技を、観られる作品です。


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