フィニアス・ニューボーン・Jrの「A World of piano!」

フィニアス・ニューボーン・Jrは、偉大なジャズ・ピアニストです。

素晴らしいテクニックを持っており、華麗なプレイを見せてくれます。

傑出したピアニストなのですが、知名度はあまり高くありません。

その理由は、マイルス・デイビスみたいな大物のバンドに参加した事がなく、ずっと自分がリーダーで活動したからでしょう。

フィニアスは、とても誇りと自信を持っていたようで、誰かのバックで演奏するのを潔しとしませんでした。

彼ほどの実力があれば、引く手あまただったと思うのですが、有名ミュージシャンのバックで演奏する姿を見せていない。

フィニアスの師匠は、間違いなくアート・テイタムです。

もの凄いテクニシャンであること、自分がリーダーの立場でプレイするのにこだわったこと、ホーン奏者と共演しないこと、独奏も多くしていること。

共通点ばかりです。

アート・テイタムは、ジャズ・ピアノ史上で最高のテクニシャンとされていますが、私も「超絶的にすごい」と思う。

技巧に溺れるきらいはあるが、数々の名演を遺しています。

弾きすぎずに、メロディを大事に丁寧に演奏した時は、誰もテイタムに勝てない。

そういう伝説のピアニストです。

そんなテイタムに、最も肉薄し、独自の色も加えていたのが、フィニアス・ニューボーンです。

一般的には、アート・テイタムの後継者は、オスカー・ピーターソンとされています。

だが私は、テイタムとピーターソンは決定的な違いがあると思う。

その違いとは、「リズム感」です。

テイタムのリズムには、強烈なうねりがあります。

黒人独特のタイム感覚を発揮していて、時には大胆にリズムを崩します。

これに対しピーターソンは、リズムにうねりが無く、単調かつ平板なのです。

率直に述べますが、私は彼のリズムに心が踊らないし、すぐに飽きてしまいます。

日本のジャズ・ファンやジャズ・ミュージシャンには、ピーターソンのファンが多い。

「彼こそ、最高のジャズ・ピアニストだ」と言う人も、かなり居ます。

その一方で、「ピーターソンのプレイはつまらない」と言う人も、多い。

私は、こっちのタイプです。

ピーターソンのリズムって、メトロノームみたいなんですよ。

ず~と同じテンポ・感覚で進むので、人工的な感じがするし、音が燃え上がらない。

本人と共演者がノリノリの表情で大げさな身振りで演奏していても、私の心はワクワクせず、置いていかれた心境になり、むしろ寂しい気持ちになる。

私は、ピーターソンを愛好する人は、人間臭いリズムを求めないタイプなのだと思ってます。

あの機械みたいなリズムを楽しめる人は、私とは感覚が異なります。

機械的なリズムを好むから、テクノ・サウンドなど打ち込み系サウンドと相性が良さそうなのですが、なぜか熱心なピーターソンのファンは「ジャズは別格の芸術」と信じていて、他の音楽を軽蔑する人が多い。

私は、ピーターソンのファンとは、どうも馴染めません。

そうした経験を重ねてきたので、相手がピーターソン好きと分かると、身構えてしまう。

話はフィニアスに戻りますが、「フィニアスのリズムの感覚は、テイタムと似ている」と思います。

人間らしい揺らぎとかタメがあり、黒人らしい粘っこさもある。
リズムに活力があり、血が通っている。

『アート・テイタムの後継者は、ピーターソンではない。フィニアス・ニューボーンである。』

私は、こう思うのです。

この言葉を、1度だけでいいから、熱心なピーターソン・ファンの耳元で、鼓膜が破れるくらいの大声で叫びたい。
すっごく胸がスカッとするはず。

音色についても、フィニアスの方が翳りとか渋みがあり、テイタムに似ていると思います。

ピーターソンの音色は、からっとしすぎていて(乾きすぎていて)、どうも馴染めない。

フィニアスの方が遥かに芸術を表現していると思うのですが、知名度や一般的な評価ではピーターソンが何倍も上回っている。

実に残念です。

そろそろ、アルバムの内容に入りましょう。

ここで紹介する「A World of piano!」は、フィニアスが30歳頃の作品です。

まだ若手の年齢ですが、テクニックは完璧なレベルにあり、プレイは円熟の境地にある。
彼は天才なのだと分かります。

共演者も良くて、名手として名高いポール・チェンバースとフィリー・ジョーがサポートしています。(A面のみ)

私は、このアルバムをLPレコードで入手したのですが、その時にはフィニアスについて全然知りませんでした。

レコード・ショップでパタパタとLPを物色していて、千円位で良さそうなアルバムを探していたところ、このアルバムに目が留まった。

ジャケットの表面にはフィニアスの顔が「ドーン」とでっかく出ていて、その顔つきが良い。
なんか、やってくれそうな顔をしている。

裏面を見たら、共演者はポールとフィリー・ジョーじゃないか。
この2人ならば、間違いはない。

私は購入を決めました。確か千円だったと思う。

そして、家に帰って聴いたところ、生涯愛していける作品だったというわけです。

この後、何枚もフィニアスのアルバムを聴きましたが、これ以上のものには出会っていません。

このアルバムは、フィニアスの作品で最も素晴らしいと思うし、無数にあるジャズ・ピアノのアルバムの中でも屈指の出来だと思います。

テーマにおけるリズム・アレンジと、ピアノのアドリブが、とにかく良いんですよねー。
だから、何度聴いても飽きがこない。

A面の参加メンバーと録音日は、次のとおりです。

フィニアス・ニューボーン・Jr(p) ポール・チェンバース(b) フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)  1961年10月16日に録音

B面には、別のベース奏者とドラムス奏者が参加しています。

私はA面ばかり聴いているので、ここでもA面の4曲だけに絞って紹介します。

まず、1曲目の「Cheryl」です。

この曲は、チャーリー・パーカーの作曲ですが、彼のヴァージョンとは全然違う色になってます。

パーカーはブルーなムードで演奏しましたが、ここでは華やかで少しクールな味を付け加えた、力強い演奏に仕上げてます。

最初に聴いた時、パーカーのヴァージョンを聴き込んでいたので、えらく違う解釈にしているのに驚きました。

「こんなに原曲と変えちゃうの!」と思った。

フィニアス・ニューボーンが何者か知らなかったし、「ここまで大胆な解釈をできるとは…。根性あるな、こいつ。」と思った。

そして、何回か聴くうちに、『信じられないほどのテクニックを持っている』と気付いた。

フィニアスは長尺のアドリブをとっていますが、そこでは沢山のリズムを織り交ぜています。

ピアノは歯切れの良いリズムで弾くのが難しい楽器だし、複雑なリズムを交ぜるとテンポを維持しづらい。
多彩なリズムを活き活きとした表情で、正確さを保ちつつ出していくのは、名人でないと出来ません。

難しいリズム・フレーズを次々と繰り出しているのに、バックの2人と全くズレないフィニアスを聴き、「この人、異常な世界を築いとるぞ」とびっくりした。

それ以外にも、例えば2曲目や4曲目では、両手で同じメロディを弾いていく「オクターブ奏法」を、めちゃくちゃ速く弾いている。

圧倒されたのは、色んなテクニックを駆使しているのに、そこに無理がない事です。

普通のピアニストだと、少し苦しそうに弾く難しいフレーズでも、淡々と当たり前にこなしていた。

さらに、リズムには呼吸感があり、ただ正確なだけではない。

細かく聴いていくと、1つ1つの音にきちんと表情がある。

で、「やばいよ、こいつ」と目を見張った。

さらに聴いていくと、それぞれのフレーズが練られており、1つとして無駄なものがなく、美しいものばかりだと気付いた。

その頃には、「凄いピアニストだ。今まで知らずにいて、ごめん。愛してるよ。」と思うようになっていた。

共演しているポールとフィリー・ジョーの調子も良くて、3人に一体感がある。

すっごくスウィングしていて、とにかく気持ちがいいのです。

ジャズ史上の名手であるポールとフィリー・ジョーを、完全に従えている姿は、貫禄にあふれています。
只者じゃないぞと、一気にフィニアス・ニューボーンの名前を深く認知してしまった。

「オスカー・ピーターソンに似た、テクニックを誇示するスタイルだが、ピーターソンの10倍くらい良い。演奏にスリルがあるし、滑らかなリズムを出している。」と感心しましたよ。

「こんなに凄いのに、なんでジャズの巨匠たちのバンドに参加していないのか」と不思議な気もしました。

この曲のフィニアスは、とにかく格好良い。

聴けば、誰もが納得できると思います。

次は、2曲目の「Manteca 」です。

この曲は、ラテンのリズムを取り入れていますね。

イントロはベース・ソロで始まりますが、ポール・チェンバースなので格調高く芸術の響きがする。

フィリー・ジョーは、硬派でキレのあるサポートをしています。

フィニアスのアドリブに入ると、リズムはジャズの4ビートになります。

私が凄いと思うのは、『速いテンポの曲なのに、フィニアスの音の彫りが深いこと』です。

大抵のピアニストって、アップテンポだと音が軽くなり、沈み込まなくなるんです。

上の方でシャラシャラやってる感じになり、ベースやドラムスの助けが無ければ説得力に欠けてしまう。

ところがフィニアスは、音に強い説得力があり、ベースやドラムスに助けられるというよりも、むしろグイグイと引っ張っていく。

これは、バド・パウエルなど一部の天才にしか出来ない事です。

私はフィニアスの音を聴きながら、「ああ、この人は天才なんだな。バドみたいな特別なピアニストなんだ。」と感得した。

演奏に素晴らしいドライブ感があるのは、ポールとフィリー・ジョーのサポートが最高なのも大きいです。

この2人は、本当に凄いミュージシャンで、誰と共演しても相手を活かすプレイをし、個性を主張しながらも相手の邪魔にならない。

音には芸術の響きが常にあり、彼らが録音に参加しているとそれだけで高級感が出てしまう。

次は、3曲目の「Lush Life」です。

1~2曲目と違い、ゆっくりしたテンポで落ち着いて弾いていく、バラード演奏です。

だが、華麗なフレーズをこれでもかと入れてくるし、豪華さにあふれた重厚な内容ですね。

演奏する側からすると、バラードだと1つ1つの音がくっきりと出てしまうので、難しいフレーズを沢山入れるのは勇気がいるんですよ。

テンポが速ければ、ミス・トーンが出ても、リズムに勢いがあるので誤魔化せる。

でもテンポが遅いと、ミスすると誰でも聴き分けられるし、演奏がそこでブツ切りになってしまうのです。
だから、絶対の自信がないと、練習してきたフレーズでも出すのが怖くなる。

ここでのフィニアスみたいに、挑戦的なバラード演奏をして、なおかつゆったり感をちゃんと出せていると、それだけで尊敬してしまいますね。

めっちゃ難しい事だと分かっているので。

こういう勇気ある演奏ができるのは、精神面も大きいと思う。

フィニアスに限らず、巨匠と呼ばれるジャズ・ミュージシャンは、ミス・トーンを出しても平然としていられるのです。

マイルス・デイビスなんて、しょっちゅうミス・トーンを出すのに、全く動じない。

演奏に集中しきっているから、無駄な思考が介在せず、気にならないのだと思うが、その精神的なタフさにはいつも敬服しますよ。

技巧をこらしたバラード演奏をするという点では、オスカー・ピターソンも同じなのですが、私は「フィニアスの方が色気がある」と思います。

音の表情に温かみとか自然さがあり、人間味を感じる。

すでに触れましたが、ピーターソンのリズムには馴染めません。

フィニアスの生み出すリズムの方が、私はリラックスできるし、長時間聴いていられる。
これは、スロー・テンポでも変わりません。

バラード演奏は、素人の人は「リズムがそれほど無くてもいい(あまり重要ではない)」と思っているかもしれません。
でも、すっごくリズムが大切なんです。

リズムが躍動しないと、ふわふわした味気ない演奏になってしまう。

この曲では、フィニアスのリズム感覚についても、注目してみて下さい。

そういえば、この曲はイントロが長くて、ジャズでは珍しい。

「変わったイントロだなー」と思っていたのですが、最近になってラヴェルのソナチネを引用していると知りました。

ジャズ・ピアニストは、大きな声で本人は言いませんが、クラシックの曲を家で愛奏している人が多いです。

当然ですよね、良い曲が多いのだから。

最後は、4曲目の「Dahoud 」です。

この曲は、オリジナル演奏(初演)はクリフォード・ブラウンがやりました。

そのヴァージョンだと、タメを効かした(休符とシンコペーションを活かした)内容になっています。

フィニアスは、そのヴァージョンよりもぐっとテンポを上げて、切れ味のあるスカッとしたものに仕上げています。

オリジナル演奏にあったリズムの粘り感は(横のうねり感は)、希薄です。

ドラムのフィリー・ジョーは、切れのあるプレイが大得意なので、最高の表情を見せていますね。

フィニアスのような、リズム隊をぐいぐいと引っ張っていくタイプは、サポートが難しい。

その勢いに乗せられると(付いていきすぎると)、リズムが先走ってしまう。
でも、落ち着きすぎていると、流れに溶け込めずに浮いてしまう。

ジャズの慣例とおり、大したリハーサルもなく録音したのだと思いますが、フィリー・ジョーは的確なフレーズで後押しをしており、何年も一緒にやってきた仲みたいに見えてしまう。

短い時間で曲のポイントを把握し、ベストと思えるプレイを選択できる、フィリー・ジョーの研ぎ澄まされたセンスには、いつも驚嘆します。

フィニアスは、黒人らしいタメやしなりのあるリズムを持っていますが、どんな曲でも粘らせすぎない。

私は「フィニアスとアート・テイタムは似ている」と言いましたが、ここが結構ちがう部分です。

テイタムの粘りはとても強く、どす黒いといえる位の、アクの強いリズム感覚がある。

テイタムって、激ムズの事をしていても、そこに強度の粘りを入れられる。

1つのフレーズの中で、自在に緩急を付けられます。

あれは、あの人にしか出来なかったもので、誰にも真似が出来ない。

フィニアスはそこまでの粘りがない分、テイタムよりも爽やかです。

爽やかで聴き易いけど、ピーターソンのように単調にはならない。

バド・パウエルのような危うさもなく、力まずに聴けます。

私としては、『すごくバランスのとれたピアニスト』だと思うのですが、世間であまり人気に火が付かないのを見ると、世間からは「偏ったピアニスト」と見られているのでしょう。

一般的に「バランスが良い」とされ、誰もが楽しめるとされるピーターソンやトミー・フラナガンは、私からするとクリシェ(定番フレーズ)が多すぎるし、音が軽すぎて物足りないです。

「いやっ、それはもう何度も聴いたから! それに、リズムに魔力がないしー。」と思ってしまう。

不思議なもので、フィニアスの演奏だと何回聴いても、そんな感想にはなりません。

チャーリー・パーカーの演奏はそれが顕著で、何千回も聴いてきたし、皆が彼のフレーズをコピーして使っているのに(彼のフレーズが巷に溢れているのに)、どれだけ聴いてもパーカーを聴くたびに「すげー!!」と思う。

相性もあると思うが、結局のところ『説得力の差』なのだと思います。

パーカーら真の巨匠が自分の定番フレーズを出すと、美が空間に満ちるのです。

極端な話、その場を天国にしてしまう。

そして聴き手は、自我を一時的に失い、『すべてと一体になる、悟りの境地』に入れる。

私は、「A World of piano!」などの愛聴盤を大音量で聴いていると、その瞬間は無我の境地に入れます。

だから、瞑想をしている様な感覚になる事も多い。

もちろん楽しむために聴いているのですが、自分が大好きな音楽を聴く中で徐々に、「真実の声に耳を傾ける時間」という意識になってきました。

覚悟が要るんですよね、聴く前に。

このアルバムも、聴こうと思ってレコード棚から取り出すと、思わず全身に力が入ります。

ジャケットにあるフィニアスの大きな顔を見ると、今までに体験した感動がよみがえり、「さあ聴くぞ」と身が引き締まります。

(2016年2月25日、27日に作成)


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