マイルス・デイビスの「マイルストーンズ」①

マイルス・デイビス。

この男は、人類史上でも最高のミュージシャンの1人で、数十年にわたってジャズ界の頂点にいました。

その人の最高傑作の1つが、これから紹介する『マイルストーンズ』です。

私は、マイルス・デイビスが最も輝いていた時期は、1953~63年だと思っています。

理由は単純で、何度聴いても飽きない作品は、この時期に集中しているからです。

マイルスは偉大な芸術家で、敬愛する存在。

だから「彼のピークは、この期間です」と語るのは、おこがましい気もする。

でも、自分が愛聴するアルバムを見ると、53~63年に作られています。
私の感性や主張が分かり易くなると思うので、思い切って書きました。

『マイルストーンズ』が録音されたのは、1958年です。

キャリアのピークの時期の、真ん中にあたる年ですが、彼が最も充実していた時でしょう。

アルバムは売れまくり、演奏するたびに会場前は長蛇の列となって、ハリウッド・スターも聴きにくる。

バンドのメンバーは豪華で、マイルスは自伝で「俺の知る限りでは、ジャズ史上で最高のバンドだった」語るほどです。

なにしろ、ジョン・コルトレーンとキャノンボール・アダレイが参加しているんですからねえ。

リズム隊も、かの有名な「ザ・リズムセクション」ですし。

私も、「この時期のマイルス・バンドは、ジャズ史上最高のメンバーが揃っていた」と思っています。

これ以上のメンバーが揃ったジャズ作品は無く、同等なのは別ページで紹介している『コレクターズ・アイテムズ』(これもマイルスの作品です)だけだと思う。

でも、コレクターズ・アイテムズは1回限りの集合でしたからね。

『マイルストーンズ』のメンバーは、きちんとバンドを結成し、いつも一緒に演奏していた。

だから、演奏に安定感があり、緊密な連係をしています。

そこがコレクターズ・アイテムズと違う点です。

この時期のマイルスのアルバムでは、1959年録音の『カインド・オブ・ブルー』を推す人が多いです。

私も素晴らしいと思いますが、彼らが日常で演奏していたスタイルとは違う、「コンセプト・アルバム」なので、完成度の点で物足りなさがあり、何度も聴くと飽きてくる部分があります。

『マイルストーンズ』は、彼らがクラブでやっていた演奏スタイルだから、無理がない。

リラックスしているし、どこまでもスウィングしていく。

爽やかで華やかで軽やかなこっちの方が、私は好きです。

このアルバムの最大の売りは、「豪華なメンバー」と「軽快で気持ちの良いリズム」だと思います。

メンバーについては少し書いたので、次にリズムを解説します。

聴けば分かるんですけど、とにかくスウィングしている。
猛烈なスウィング感です。

あまりに凄いので、ジャズを聴かない人だと「何をしているのか分からん」と感じてしまうかもしれません。

チャーリー・パーカーのバンドもそうなのですが、リズムが「フワッ」としていて、重さを感じさせません。

ドラムを初め、皆が「ドカン、バシン」とか「パラプラ、ブリブリ」と激しく音を出しても、絶対に重くならない。

これがビバップの極意なのだと思う。

1940年代の後半にパーカーのアルバムを出していた、ダイアル・レーベルの社長は、「パーカー・バンドの音は、泡みたいだった」と語っています。

これを聞いた時、「などほど、確かにそんな感じがある。上手い表現をするなあ」と感心しました。

その絶妙な、パーカーが編み出したリズムが、『マイルストーンズ』にもあります。

とても知的な雰囲気のリズムで、強烈にスウィングするのに優しさがある。

汗のほとばしる演奏なのに、野蛮さや荒っぽい感じは微塵もない。
きちんとコントロールされている。

このスタイル(表現世界)が、私は大好きなのです。

汗をダラダラ流す熱い演奏をして、激しく重いリズムになったら、普通でしょ?
それじゃあ面白くない。お洒落じゃない。

ものすっごい情熱的に演奏しているのに、爽やかに軽やかに展開する。汗臭くない。
これが粋なのです、芸術なのです。

1960年代のコルトレーンのバンドは、リズムが重いんですよ。

「私たちは一生懸命にプレイしてます! こんなに真剣なんですよ!」と訴えてくる。

この手の演奏に接すると、「頑張る気持ちは分かるけど、汗臭いし息苦しいなあ。そもそも、全力でプレイするのは当たり前の事でしょ。」と思ってしまう。

結果的に、私は愛聴できません。

チャーリー・パーカーら、ビバッパーが音楽に込めるメッセージは、深く重い。

だが、それは軽やかなリズムに乗せる。

これが、「クールさ」なんですよ。

このビパップ伝統の表現スタイルは、『マイルストーンズ』でも受け継がれています。

少し歴史の話をすると、1960年代に入るとフリー・ジャズなどが幅をきかせてきて、ロックンロールに影響された事もあり、この伝統リズムがジャズから失われていきました。

それと同時に、ファンは減少していき、ジャズは衰退した。

1970~80年代に流行したフュージョンは、軽やかなリズムを採用した点では、ビバップに回帰した部分があったと思います。

でもフュージョンには、重いメッセージが無かった。
ただ電気サウンドや最新機材の導入で新鮮味を出しただけだった。

だから今聴くと、つまらない作品ばかりです。

さて。

そろそろ各曲の解説に入ります。

まず参加メンバーと録音日をきちんと書きましょう。

マイルス・デイビス(tp) ジョン・コルトレーン(ts)

キャノンボール・アダレイ(as) レッド・ガーランド(p)

ポール・チェンバース(b) フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

1958年2月4日、3月4日に録音

繰り返しになりますが、凄いメンバーですよ。

それぞれの楽器で、ジャズ史上でもトップ5に入るくらいの名手が、顔を揃えています。

はっきりと断言できますが、これだけの面子が揃うことは、ジャズが衰退した今となってはもう2度と起きないでしょう。

ジャズが活発だった時代に君臨していたマイルスでも、これ以後は1度もこれほどのメンバーは集められませんでしたからね。

では、まず1曲目の「Dr.Jackle」から紹介します。

この曲は、ジャッキー・マクリーンの作曲で、マイルスは数年前にもジャッキーと録音しています。

過去のヴァージョンはゆったりしたテンポでブルーな雰囲気だったのですが、ここでは元気一杯にアップテンポで演奏しています。

過去のヴァージョンとは別物となっており、両者を比べると「ここまで変えてしまうのか!」と驚かされます。

マイルスのトランペットは、軽やかで美しい音色で、素晴らしい。

精神面でも技術面でも、彼はこの時期に最高潮に達していたと思う。

もの凄いオーラが出ているし、そのオーラが明るいものでキラキラしているのです。

超アップテンポで演奏され、アレンジもトランペットとドラムのソロ交換を間に入れるなど凝っているので、初めて聴く人は何が行われているのか分からないかもしれません。

正直、私も最初はついていけませんでした。
音の洪水にたじろいでいる間に、曲が終了してしまう感じだった。

この曲は、どれだけ複雑なことをしても軽快さを失わない、彼らのテクニックを聴く曲だと思います。

ソロのフレーズとかコード進行ではなく、音のうねりや情熱、すごいスピードなのに自然に流れていくリズムを感じてほしい。

テーマの時点からもの凄いテンションの高さなのですが、アドリブに入ってからもスウィング感は減退せず、猛烈な勢いで展開されていきます。

これだけのスピードで、これほど複雑なフレーズを完璧にリズムにはめて吹けるなんて、信じられない。

基本的にこのアルバムは、『人間の領域を超えたレベルでの演奏』が続いていきます。

ごくごく自然にやっているので、素人の人だと気付かないかもしれませんが、すべてのプレイが最高峰のレベルで、聴いていて「妖怪なんじゃないか」と思うほどです。

この録音の後、ピアノのレッド・ガーランドはバンドを退団し、新たにビル・エバンスが加入します。

ビルは半年くらいで辞めてしまうのですが、その理由は「超人たちの集まりで、共演するのが辛かった」です。

私から見れば、ビルも超人だと思うのですが、彼でさえ付いていけないと感じるほどの演奏内容だったのです。

バスケットボールで例えると、マジック、ラリー・バード、ジョーダン、バークレーらが揃っていた「第一期のドリームチーム」の状態です。

ジャズの世界では、もう2度とこんな豪華なバンドは現れないでしょう。

この曲では、後半になるとキャノンボールとコルトレーンが、短いソロを交互に取ります。

サックス奏者が交互にソロを取る状態を、バトルと言ったりするのですが、ここでのソロ交換はバトルを超越している。

突き抜けたレベルの2人のソロは混然一体となっており、宇宙空間(無重力で未知な世界)に放り込まれた様な感覚になります。

2人のアドリブの疾走感がハンパじゃなく、フレーズに重みが(よどみが)ぜんぜん無くて、演奏者の一体感が素晴らしいので、聴き手は別の世界に連れていかれる。

ある種の瞑想状態に入るのかもしれません。

その特別な世界を現出させることが、マイルスの狙いなのでしょう。
恐るべし、ジャズの帝王マイルス。

次は、2曲目の「Sid's Ahead」です。

この曲は、ラジオのDJとして著名だったシンフォニー・シッドに捧げられた曲です。

シッドは、1940年代の後半に、ラジオを通してビバップを世に紹介するのに貢献した人です。
当時はまだ無名だったビバッパーたちの演奏を、夜な夜なライブ中継しました。

テレビが登場するまでは、ラジオはとても影響力のある媒体でした。

当時のライブ中継は、聴いているファンが録音したものがけっこう残っていて、後に発売されたものも多いです。
それを聴くと、たまにシッドの声も収録されています。

彼のしゃべりにはテンポの良さがあり、人気があったのを納得できます。

マイルスの自伝を読むと、シッドのエピソードもあるのですが、カネに汚い奴として書かれてます。

シッドはジャズ・コンサートのプロモーターもしていたのですが、マイルスらが出演した時に嘘をついて、きちんとギャラを払おうとしなかったのです。

マイルスはかなり怒っている風なのですが、ここでは曲を捧げてますね。

演奏内容に話を移しますが、曲の形式は12小節×2のブルース曲。

ただし、一般のブルースとはコード進行を変えています。

(コード進行については、おまけで解説します)

この演奏での特徴は、ピアノをマイルスが弾いている事でしょう。

彼はたまにピアノを(後年はシンセサイザーを)弾くんですよね。

なぜこの曲で弾いたかというと、ピアノを担当するレッド・ガーランドが機嫌を損ねて、レコーディング中に帰ってしまったからです。

レッドは、一時期はプロ・ボクサーをしていた人で、ピアノを弾かせると優しいスタイルなのですが、なかなか気性の激しい所があったようです。

マイルスが我儘で激昂しやすく口の悪い人なのは、誰もが知るところ。
普通は周りが折れるのですが、レッドは我慢しなかったのでしょう。

で。ピアニストが居ないので、マイルスは自分以外の人がソロを取る時には、ピアノの前に座りコードを弾いた。

マイルスが吹いている間は、当然ながらピアノは無しです。

普通だと、レコーディングは中止にすると思うんですよ。

じゃなかったら、急いで他のピアニストを呼ぶ。

そのままレコーディングを続けて、それを発表してしまうのが、マイルスの常人とは異なる点です。

演奏の出来は、異常な状況下での録音のため、どこかちぐはくな感じがあります。

13分にも及ぶ演奏なのですが、あまり達成感や充実感はない。

でも、いつもと違う妖しい雰囲気があり、アルバム全体を通して聴くと、この曲が良いアクセントになっています。

次は、3曲目の「Two Bass Hit」です。

この曲は、ビバップが盛り上がっていた1940年代に生まれた曲ですが、それをお洒落に華やかにアップグレードしています。

マイルスは、名曲にアレンジを加えて、より聴きごたえのあるものにするのが上手い。

テーマでは、フィリー・ジョーのドラムを聴いてしまいます。

マイルスも素晴らしい音色でテンション高く吹いているが、その背後でスーパー・テクニックを連発するドラムに自然に耳がいきます。

どのフレーズも凄い切れ味で、聴くたびに「人間技とは思えん、史上最高のドラマーだったんじゃないか」と思ってしまう。

生で聴いたら、完全に我を忘れてしまい、失禁してしまうかもしれない。
それ位に、あり得ないレベルでスウィングしているし、華麗なフレーズが次々と飛び出してきます。

アドリブ・ソロは、マイルスは全くやらずに、コルトレーンとキャノンボールが担当しています。

マイルスは、自分が心から信頼できるミュージシャンがバンドに在籍している場合、自分はソロを取らずに脇役に回ることがある。

このアルバムの5曲目では、ピアノ・トリオで演奏させて、マイルスは参加すらしてません。
それだけメンバー達の能力を信頼していたのでしょう。

まだ3曲の紹介を残していますが、長文になってきたので、2回に分けることにします。

(2016年6月22~24日に作成)


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