ニール
あなたは、「我が家(神の源)に戻るのには、険しくない道がある」と言いました。
険しくない道は、どうやって見つけるのですか?
神
見つけるのではない。「創る」のだよ。
多くの人は、「道を歩くこと」など念頭にない。
学ばないし、瞑想もしない。
内面に関心を払わないし、大きな現実について探ろうともしない。
だが、あなたはそうではない。
あなたは、道を探求することによって、障害の少ない道(険しくない道)を創り出している。
私がこの対話で言っているのは、『死についての真実に到達すれば、険しくない道を創り出せる』という事だ。
死について知れば、人生を充分に生きる事ができる。
人生を充分に生きれば、自分を充分に体験できるし、自分は完了したと知って穏やかな死を迎える事ができる。
これこそが、険しくない道だ。
険しくない道というのは、「あなたの人生と死を、険しくないものにすること」だ。
あなたが今回の人生で経験しようとした事が完了し、感謝して穏やかな死を迎えられるなら、あなたは死の前に安らぎを見い出す。
すべての魂は、死後に安らぎを見い出す。
だが、すべての魂が死の前に安らぎを見い出すとは限らない。
あなたが死ぬ時に、完了していないなんて事はあり得ないが、それに意識的に気づいていない事はあり得る。
『安らぎ』とは、自分が完了したと意識的に気づいている事だ。
もう成し終えた、と気づく事だ。
本当は、あなたはすでに『神と共にある我が家』に居る。
実は、自分が行きたがっている所に、もう居るのだよ。
そして驚異の秘密とは、「神と共にいる」と知ったとたんに、それを体験できるという事だ。
生きている時に、不安におののき、これから自分がどうなるか怖いと思うなら、それは自分が神と共にあるのを知らない事を表している。
ここで問題なのは、あなたの表している事が、あなたの体験になることだ。
あなたは、神と共にいる。
つまり、行きたがっている所に常に居る。
だが、それを知らないから、自分が旅の途上にいるという体験をする。
そして、「旅は必要なかった」という事を発見する旅をしなくてはならなくなる。
(『神へ帰る』から抜粋)