視点が認識を創る①
あなたは見たいものを見られるし、見たものを認識する

ニール  あなたは、「あなたの視点が、あなたの認識を創るのだよ」とおっしゃいます。

     でも、よく分かりません。

 神   葬儀を例にとって、説明しよう。

     あなたが、葬儀に参列しているとしよう。

     あなたは、とても悲しいかもしれないし、密かに喜んでいるかもしれない。

     それは、あなたの見方によって(この死をどう見るかによって)、左右される。

     あなたは視点によって、葬儀を「悲しい体験」にも「楽しい体験」にも出来る。

     あなたの「視点の選択」が、あなたが何者なのか、何を経験するのかを、決める。

     どんな状況でも、「それをどう見たいか」を変えれば、視点は変えられる。

     何を見たいかを決めて、見たいものをそこに置けば、それが見えるのだよ。

     すべては、あなたが決める。

     あなたは見たいものを見るし、見たものを得る(見たものを認識する)。

ニール  では、自分自身の葬儀が近づいた時、「死はすばらしいものだ、この死は私が自ら選んだのだ」
     と見れば、そう認識できるのですね。

 神   そうだ。

     私が言っているのは、正にそういう事だよ。

     「自分と神は一つであり、一緒になって死ぬ事を決断した」と知っていれば(その視点に
     立てば)、それを認識できて、安らかな死を迎えられる。

ニール  「自分自身が、自分の体験の絶対的な原因」なのですね。

 神   そういう世界(宇宙)に、あなた方は生きている。

ニール  でも私には、そんな風には見えないです。

 神   あなたが視点を変えるまでは、そう見える事はない。

     あなたが見ないものは(選択しないものは)、見えはしないのだよ。

     「それを見れば、信じられる」と言う人が多い。

     だが、『信じれば、それを見られる』と、私は言おう。

(『神へ帰る』から抜粋)


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