ニール
あなたは、「ほとんどの魂は、一度は今までの人生に戻る事を選んでいる」と言います。
すると、私も、この人生に戻ってきた事があるのですか?
神
それでは、こちらから訊ねよう。
あなたは、「もう終わりだ、私は死ぬ」と思った事がないかね?
ニール
ありますとも。何度もありましたよ。
神
だが、あなたの知らない経験もある。
あなたが生まれてきた時の事だ。
あなたは2千グラムもなく、「生きられないだろう」と思われた。
ニール
でも、生き延びました。
神
そう、2度目には。
だが、1度目にはそうではなかった。
ニール
何ですって? とんでもない話になってきたな。
神
あなたは、生まれてすぐに死んだ。
あなたは最初に死んだ後に、「自分が経験しようと思った事が、まだ完了していないと感じる」と言った。
ニール
私が経験しようとした事とは、何ですか?
神
『他者に与えること』だ。
あなたは、自分が死ぬ事でベストを尽くしたが、まだ充分ではないと感じた。
ニール
ちょっと待って下さい。
私は、他者に与えるために、生まれた時に死んだのですか?
神
あなたの行いは、ご両親の課題に完璧に役立った。
ニール
両親の課題って、何だったのですか?
神
それは、時が来ればご両親が教えてくれるだろう。
あなたのこの人生における課題は、『無条件に愛する事(他者に与える事)』だ。
あなたは、人生の最初の瞬間に、それを行った。
だがあなたは、もっと与えたかった。
だから、現実から現実へとジャンプした。
ニール
はあ?
神
あなたが死から戻るというのは、『意識を別の代替現実に移行させる』だけなのだよ。
その新しい現実では、あなたは死なずに生き延びる。
死の直前に何かが挿入されて、分岐線に誘導されるようなものだ。
あなたは大人になってからも、何度も死にかけて「もうダメだ」と思った。
ニール
確かに、そういう経験はありました。
神
あなたの思った通り、ダメだったのだよ。
つまり、あの世に逝ったのだよ。
ニール
これは驚いたなあ。私は死んでたんですか?
神
あなたは死んで、死後のすべての段階を経験した。
その時点では地獄を信じていたから、あなたは地獄を創造して、その経験を通過した。
そして「地獄は存在しない」と思い出し、天国を創造した。
その後に、私と出会った。
エッセンスとの全面的な溶け合いをし、それから人生の復習をした。
私は「聖なる審問」を行い、あなたは元の人生へ戻ろうと決めた。
あなたは、「まだ完了したと感じない」と言った。
ニール
すると、人生での「危機一髪」というのは、本当は「再上演」なのですね。
私は、危機一髪の時が4回ありました。
4回も死んだのですか?
神
そうだ。
ニール
では、大人になってからも戻ってきたのですね?
神
そうだ。
あなたは、「子供たちとの関係をもっと良くしたい。愛してくれる女性たちを傷つけるのではなく、愛する経験もしたい。何よりも、神と生命についての世界の考え方を変えたい。」と言ったのだよ。
ニール
その最後の部分は、私の課題である『無条件に愛すること』と、どういう関係があるのですか?
神
あなたは、「神と生命がどういうものかを世界が思い出せば、誰もが皆を無条件に愛するはずだ、と気付いた」と言った。
そして、「世界が無条件の愛を理解するのを助けたい。そのためには、まず自分がある事を経験的に理解する必要があるのです。」と言った。
ニール
「ある事」って、何なのですか?
神
あなたは、49歳の時にホームレスになった。
何人もと結婚をして、そして離婚した。
そうした事を通じてあなたは、裏切りや見捨てられる事を学んだ。
あなたは路上生活者になり、金が無いとはどういう事かを学んだ。
ある日、あなたはある人に心を動かされて、持っていたなけなしの小銭を与えた。
その日にあなたは、真の寛容さについて学んだ。
さらに、宇宙にはたくさんあり無限に供給してくれる事を、再発見した。
そしてほどなく、大金持ちになった。
そして、あなたは神についての世界の考え方を変える事を始めた。
あなたは本を書き、それはミリオン・セラーとなった。
TVやラジオや映画にも出演している。
今では、子供たちとも良い関係になり、新しい愛し方も学んでいる。
これらの全てが、偶然に起こったと思うのかな?
ニール
私は…。
神
いいかね。
あなたが、すべてを選んだのだよ。
私が「学んだ」と言ったのは、言葉のあやだ。
本当は、「思い出した」だけだ。あなたは、どれも常に知っていた。
私はこの対話を通じて、あなたが常に知っていた事を、思い出させた。
問題は、あなたが「思い出し続けるかどうか」ではなく、「自分が思い出していないかの様な行動を、し続けるかどうか」だ。
ニール
やられたな。
○ 村本尚立のコメント
『危機一髪=実は死んでいる』という解説は、かなり衝撃的ですね。
私は23歳の時に、「危機一髪」の状態になった事があります。
風邪をこじらせて寝ていたところ、突然に猛烈に気持ちが悪くなり、胸がムカムカしてきたのです。
あまりにつらかったので、同居していた母に、「この具合の悪さは尋常ではない。救急車を呼んでくれ。」と頼みました。
すると母は、(面倒くさいなあ…)というやる気の無い態度を見せて、「少しすれば良くなるでしょ。我慢しなさい。」と言ったのです。
私は、母のあまりの無知ぶりと無関心さに、心底から怒りを覚えました。
苦痛に耐えながら何度も頼みましたが、母は動きませんでした。
私は自分で電話しようと思いましたが、その頃には動く事が出来ないほどの状態になっていました。
で、ぐったりとベッドに横になって耐えていたのですが、やがて発作状態になり、呼吸困難におちいりました。
手足が痺れてきて、意識が薄れていきます。
「これは死ぬかもな…」と、その時に思いました。
私が発作を起こして死にかけているのに気付いた母は、ようやく救急車を呼びました。
私は、母が「救急者を呼んだから。頑張りなさい。」と言うのを朦朧とした意識で聞きながら、「間に合うだろうか…」と感じました。
その後、私は意識を失い、気付いたら病院のベッドに寝ていて、点滴を受けていました。
一般的にはギリギリで助かったという展開であり、私も「いやー、今の時代のようにすぐに救急車が来てくれなかったら、死んでいたなー」と、現代日本の整備された救急制度に感謝してきました。
しかし、ここでの神の話を聞くと、私は死んでしまってから、戻ってきたのかもしれません。
もしそうならば、私は『母に殺されていた』ことになります。
随分と面白い話になります。
真相は現時点では分かりませんが、死後の世界にいった時に明らかになるでしょう。
その時が楽しみです(^-^)
(『神へ帰る』から抜粋)