「条件」という、第8の幻想

 神   罪の宣告という行いは、愛のある行いではない。

     あなた方は、「神は愛である」との認識では共通している。

     神が愛であるならば、どうして罪の宣告などをするのか?
     どうして神は、永遠の苦しみを与えるのか?

     あなた方は、こんな問いかけを始めた。

     この問いに対し、あなた方は、「愛について、まだ理解していない事があるに違いない」との
     解答を出した。

     そして、「人生や愛は、条件付きだ」という幻想を思いついた。

     これが、『条件が存在する』という幻想である。

     「人生の結果は疑わしい。失敗が存在する。」との第2の幻想が、「神の愛には条件がある」
     という幻想を支える事になった。

     あなた方の人生には、条件付きの愛という体験があふれている。

     あなた方は生命についても、「ある条件のもとで現れるプロセスだ」と考えた。

     だが、宇宙(生命エネルギーで溢れる世界)には、生存するのに条件は無い。

     「ある条件では、生命は存在しない」という事はあり得ない。

     『存在するすべて(神の総体・生命エネルギー)』が存在しなくなる事は、不可能だ。

     「生命=神=愛」は永遠であり、ただ存在する。

     愛(=神=生命)が存在しない事は不可能であり、「条件付きの愛」というのは、言葉自体が
     矛盾している。

     条件と愛は、両立しない。

     「条件と愛は両立できる」との考え方が、あなた方を破壊している。

     あなた方の文明は、「条件が存在する」という幻想によって、滅亡の危機に瀕している。

     それがあなた方の選択なのか? それが意識的にした決断なのか?

     この問いについて、慎重に考えることだ。

     あなた方の宗教は、「神の王国には条件が存在する」と教えている。

     だから多くの人が、「その条件とは何なのだろう?」と考えて、一生を過ごしている。

     だが、考えても袋小路に迷い込むばかりだ。なぜなら、『条件は存在しない』のだから。

     あなた方は創造者であり、望むものを手に入れられる。
     ただ、それを選べばいい。

     これが、あなた方には信じられない。
     そのために、「そんな簡単なはずはない。課題を果たさなければ!」と考えた。

     そして、神のもとへ戻る方法をでっち上げた。赦しとか救済という考え方を生み出した。

     それが、宗教と呼ぶものを通じて説明されている事だ。

     宗教によって赦しや救済の方法が違う事実を、冷静に見つめれば、でっち上げだと
     分かるはずだ。

     だが今でも、大抵の人にはそれが出来ない。

     あなた方は、何百という宗教があり何千もの条件があっても、「神のメッセージは色々なのだ」
     とは思わず、「自分だけが正しい条件を分かっているのだ」と言う。

     そして、他の宗教を滅ぼそうとしてきた。

     明らかに、この幻想には欠陥があった。
     だから、間違いだと分かるはずだった。

     しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」
     と感じていた。

     その感じ方は正しかった。
     幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

     だが彼らは、過ちを犯した。

     幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければ
     ならない」と考えたのだ。

     こうして、第8の幻想の欠陥を繕うために、『優越』という第9の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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