「必要性」という幻想を、幻想と見抜いて活用する①

 神

ここからは、幻想を一つずつ取り上げて、活用する方法を考えていこう。

「必要性」という幻想は、「自分は何も必要とはしない」という偉大な経験をするのに、活用できる。

この幻想から抜け出した時、あなたは「必要性は存在しない」という『究極の現実』を経験する。

究極の現実とは、「必要だと考えるすべてを、あなたはすでに持っている」という事だ。

必要性の幻想から抜け出すには、「今、必要だ」と思うものを見つめる事だ。

そして、「それが無くても、自分は存在している」と気付くことだ。

必要だと思うものが無いのに、今ここにあなたは居る。
では、なぜそれが必要だと思うのか?

何かを必要だと思ったら、「どうして必要なのだろう?」と問いかけてごらん。
この問いかけが、あなたを解放してくれる。

はっきりと見つめれば、何であれ、実は必要ではなく、「必要だと思い込んでいるに過ぎなかった」と気付くだろう。

呼吸している空気でさえ、必要ではない。
死ぬ瞬間に、あなたはそれに気付くだろう。

空気は身体が必要としているだけで、あなたは身体ではない。
身体はすばらしい道具だが、創造のプロセスを続けていくのに必要ではない。

死の恐怖を和らげる方法は、身体への執着を捨てることだ。

身体から離れれば(死を経験すれば)、それは決して恐ろしいものではなく、輝かしい体験だと知るだろう。

そして、どれだけ身体に愛着があったとしても、「身体に縛られるよりも、身体から離れる方がはるかに好ましい」と分かる。

そうなれば、身体への執着を捨てることは簡単になる。

この悟りは、身体から離れるまで待たなければならない事ではない。

身体への執着を捨てるには、「必要性という幻想」から離れればいい。

離れるには、生命と死についてもっと深く知ることだ。
なぜなら、「生命は永遠だ」と分かれば、どの経験も何度でも味わえると分かるからだ。

あなたは、この人生でも他の人生でも、愛する人達と望めばいつでも一体感を経験できる。

さらに、身体から離れれば、思考と同じスピードで望みは実現する。

これらの事は、『神へ帰る』という本の中で話してあげよう。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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