「裁き」という幻想を、幻想と見抜いて活用する

 神   裁きという幻想は、「裁かれない」という驚きを経験するのに、活用できる。

     あなた方が裁きという経験を創造したのは、『裁かない神』という驚きを経験して、
     「神の世界には、裁きなどあり得ない」と理解するためだった。

     人は、他者に裁かれた時に、「裁きは決して愛に支えられていない」と分かる。

     あなた方は裁きの幻想を信じ、裁きが期待される社会を生み出した。
     そして、『正義・司法』と呼ぶシステムを創り出した。

     だが、言っておこう。 神の目には罪人などいない。
     なぜなら、私の目はあなた方よりもよく見えるからだ。

     『本人の世界観に照らせば、不適切な事をする者は誰もいない』

     誤った行いは、誤解をしているだけなのだ。

     『罪悪感と不安、これは人間の唯一の敵だ』

     高度に進化した社会では、誰も裁かれない。
     ただ、行為の結果がありのままに観察され、はっきりと知らされる。

     裁きという形で、なぜもう一度害する事をするのか?

     もう一度傷つける事が、最初の被害を回復させる事になるのか?

     観察と裁きは違う。

     観察とは、ありのままを見抜くことだ。
     裁きとは、こうあるべきだと結論を出すことだ。

     観察とは、証人になることだ。 裁きとは、結論を出すことだ。

     裁きは結論を出すから、判決が言い渡される。

     私は、絶対にあなた方を裁かない。 私は、ありのままを観察するだけだ。

     あなた方は、「自分自身は何者か」という結論を出すのは不可能だ。
     なぜなら、自分自身を創造し続けているからだ。

     あなた方は進行中であり、決して完了しない。

     今のあなたは、さっきのあなたではない。

     私は、過去のあなたを決して見ない。

     私は、あなたが「今、何者になろうと選択しているか」を見る。

     『あなた方は、常に生まれ変わっている』

     これが理解できれば、自分を裁く事も、他人を裁く事も、無意味だと分かる。
     なぜなら、あなたが裁こうとする者は、裁いている時にはもう存在しないのだから。

     この事を覚えておきなさい。

     『 自己の創造は、決して終わらない 』

(『神とひとつになること』から)


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