「分裂」という、第3の幻想①

 神

「神と人間が一体ならば、どうして人生に失敗があるのだろう?」と、あなた方は疑問を持った。

この「失敗という幻想から生まれる謎」から逃れる唯一の方法は、『第3の幻想』を創り出すことだった。

「神と人間は一体ではない」という幻想だ。

これが、『分裂』という幻想である。

あなた方は、「人間と神が離ればなれなら、人間は神の望まない事をするかもしれない。もしそうなら、神の意志がくじかれる事(神が失敗する事)もあり得る。」と考えた。

最初の三つの幻想(必要性・失敗・分裂)が、一番重要だ。

この三つが、残りの幻想を支えている。

だから、この三つの幻想を説明しようとして、様々な『文化的な物語』が創られた。

最も有名な文化的な物語は、アダムとイヴの物語だろう。
こうした物語から、『神と悪魔の争い』が創られた。

このような文化的な物語は全て、「神は結局は全能ではない、あるいは力があっても使おうとしない」と言う。

さらに、「神の好まない事をすれば、悪魔に引き渡されて地獄に送られる」と言う。

こうした物語は、繰り返し繰り返し語られて、新しい世代に引き継がれていった。
そして、歴史に深く刻みこまれた。

「分裂が存在する」という考え方は、あらゆる幻想の中でも人間に最も影響を及ぼした。

現在の地球上では、ほとんどの人が『分裂の幻想』を真実だと思い込んでいる。

お互いに離ればなれだと感じている。

神から離れていると信じているから、神との触れ合いが困難になり、神を恐れたり神を否定したりする。

そして、「人生はコントロール出来ない」と信じて、そんな生き方に身をゆだねる。

さらには、「人生に耐え忍んでいれば、死後に天国に行き報われる」と考える。

お互いが離ればなれだと思っているから、自分にはとてもできない事を他人にする。

「他人にする事は、自分にしている事だ」というのが分からないから、好ましくない結果を起こし続けている。

だが最近は、暴力的な行動をする人は、ずっと少なくなった。
これは進化の印だ。

しかし、あなた方の社会は「行動を変える」よりも、「行動を罰する」ほうへ向かっている。

罰すれば矯正できる、と考えている。

冷静に分析すれば、『社会の在り方を変えなければ、何も矯正できない』と分かるはずだ。

それなのに、そういう証拠を無視して、殺人によって殺人を、怒りによって怒りを終わらせようとしている。

最初の三つの幻想を、幻想だと見抜ければ、『すべては一つであること』を否定しなくなり、あらゆる生命を破壊しようとしなくなるだろう。

多くの人達は、自分と世界との繋がりが見えていない。

そのために、大気を汚染しても、「全体には何の影響もない」と思っている。

さらに、煙草を吸い、肉食をし、アルコールを摂取しても、「全体には何の影響もない」と思っている。

彼らは「一人ひとりの行動が、全体に影響を及ぼすはずがない」と言う。

ところが、「ばらばらな自分勝手な行動」が、地球全体に悪影響を及ぼしている。
あなた方はだんだんと、そこに気付くようになった。

あなた方は、「なぜ、ばらばらだと上手くいかないのだろう?」という疑問を抱き始めている。

明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第3の幻想の欠陥を繕うために、『不足』という第4の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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