ニール
どうしたら、本当にしたい事をして暮らしていけますか?
神
本当に好きな事をして暮らしている人は、そうしたいと、こだわっている人だ。
彼らは、あきらめない。
「好きな事が出来ない人生なんて、あってはならない」と思っている。
別の要素もある。
『在る事』と『行動する事』には違いがあり、大抵の人は後者に力点を置いている、という事だ。
ニール
それが、いけない事なのですか?
神
良否ではない。
『本当の充足は、行動では達成できない』というだけだ。
魂の発達は、行動では達成する事はできない。
あなたが、「人生とは、行動する事だ」と考えているなら、魂を理解していない。
あなたの魂にとっては、「暮らしのために何をするか」などは、どうでもいい。
人生が終わる時、あなたもどうでもいいと思うだろう。
魂が追求しているのは、『在り方』である。
ニール
魂は、何になりたいのですか?
神
私(神)だ。
魂は、神を経験しようと努めている。
ニール
深遠なお話ですが、私は「好きな事をしながら生きていく方法」を知りたいんです。
神
望むような『在り方』をしてごらん。
同じ様な事をしているのに、大金を稼ぐ人と、暮らしが立たない人がいる。
どこが違うと思う?
ニール
能力や場所でしょう。
神
それも一つの答えだが、本当は『在り方』のせいだ。
成功する者は、開放的で、親切で、自信があり、仕事を楽しんでいる。
失敗する者は、閉鎖的で、不親切で、自信がなく、仕事を嫌っている。
存在は存在を引き付け、経験を生む。
あなた方は、「身体によって何かを生む」ためではなく、『魂によって何かを生む』ために、この地上にいる。
ニール
あなたは、「魂は、神である事を求めている」とおっしゃった。
そうであるなら、人生の答えは一つなのですか?
神
私には、1兆もの側面がある。
神々しい面と、おぞましい面とがある。
あなた方は、『在り方』の膨大なメニューの中から、選ばなければならない。
私は、あなたの世間的な成功には関心がない。
あなたが関心を持っているだけだ。
あなたは、「暮らしを立てること」にかかずらうべきではない。
マスターとは、暮らしを立てる事ではなく、『生きる事』を選んだ人達だ。
(『神との対話1』から)