神
感情の基本は、「愛と不安」だ。
他には「悲しみ、怒り、羨望」があるが、これらは愛と不安から派生する。
この五つの感情は、自然な感情だ。
愛と不安は、偉大な二極性で、原始の二元性だ。
全ての思考・概念・理解・選択・行動は、どちらかに根ざしている。
しかも、究極的には『愛こそが全て』だ。
「不安さえも愛の派生物」であり、効果的に使われれば愛の表現になる。
ニール
不安が、愛を表現するのですか?
神
最高のかたちではそうだ。
最高のかたちなら、すべては愛を表現する。
例えば、道路で轢かれそうになった子供を救う親が表しているのは、不安だろうか? 愛だろうか?
ニール
両方でしょう。
子供の命への不安、そして子供を救おうとする愛です。
神
その通り。ここに、最高のかたちでは愛になる不安がある。
『全ての感情は、つながっている』のだよ。
問題が起こるのは、五つの自然な感情がゆがめられた時だ。
ニール
それでは、五つの自然な感情について教えて下さい。
神
『悲しみ』は、自然な感情だ。
悲しみを表せば、悲しみを処理できる。
「悲しい時は悲しんでいいんだよ」と言われて育った子供は、悲しみは健全だと思える。
だが、「泣いてはいけません」と言われた子供は、悲しみを抑圧する。
抑圧され続けた悲しみは、慢性的な「うつ」になる。
これは、非常に不自然な感情だ。
人々は、慢性的なうつのために、人殺しや戦争をしてきた。
『怒り』は、自然な感情だ。
怒りは、「ノー」と断るためのツールだ。
怒る事を許されて育った子供は、怒りに対して健全な態度でいられる。
だが、「怒りを表してはいけない、怒りを感じてはいけない」言われた子供は、怒りを抑圧する。
抑圧され続けた怒りは、「憤怒」になる。
これは、非常に不自然な感情だ。
人々は、憤怒のために、人殺しや戦争をしてきた。
『羨望』は、自然な感情だ。
羨望は、誰かにあこがれて頑張ろうと思う、とても健全で自然なものだ。
羨望を表すことを許されて育った子供は、羨望に対して健全な態度でいられる。
だが、「羨望を表してはいけない、羨望を感じてはいけない」言われた子供は、羨望を抑圧する。
抑圧され続けた羨望は、「嫉妬」になる。
これは、非常に不自然な感情だ。
人々は、嫉妬のために、人殺しや戦争をしてきた。
『不安』は、自然な感情だ。
自然な不安の目的は、注意をうながして、身体を生きながらえさせる事だ。
他の不安はすべて、学習された反応だ。
不安は愛から生まれる。自分自身への愛からだ。
だが、「不安を表してはいけない、不安を感じてはいけない」言われた子供は、不安を抑圧する。
抑圧され続けた不安は、「パニック」になる。
これは、非常に不自然な感情だ。
人々は、パニックのために、人殺しや戦争をしてきた。
『愛』は、自然な感情だ。
愛を表現する事、愛を受け入れる事を許されて育った子供は、それ以上は愛を必要としなくなる。
だが、「愛を表してはいけない、愛を感じてはいけない」言われた子供は、愛を抑圧する。
抑圧され続けた愛は、「所有欲」になる。
これは、非常に不自然な感情だ。
人々は、所有欲のために、人殺しや戦争をしてきた。
大抵の人は、自然な感情を抑圧している。
ニール
どうして、自然な感情を抑圧するのでしょう?
神
親や育ててくれた人から、「抑圧しろ」と教えられたからだ。
ニール
なぜ、親はそんな事をするのでしょう?
神
自分の親に、そう教えられたからだ。
(この感情抑圧の教育の歴史については、『神との対話 究極の真実(その他の事柄)』の「悪魔は男性が創った・その時から感情の表現が減った」を読むと分かり易くなります)
(『神との対話3』から)