神
あなた方はすぐに比較したがり、「善悪」や「高低」や「正邪」を決めずにはいられない。
それは、深く二元論に落ち込み、分離主義に埋もれている事を示している。
社会の進歩は、分離ではなく、一体化に現れる。
ニール
どうして、一体化が物差しになるのですか?
神
それが真実だからだよ。
分離は幻想だ。
自分たちをばらばらだと見ている限り、その社会は幻想に生きているのだ。
あなた方は、自分の国が世界で一番だと想像している。
そして、自分の家族がどの家族よりも一番すばらしいと想像している。
そして、家族の中で、自分が一番優れていると思っている。
「そんな事はない」と言うだろうが、あなたの行動がそれを物語っている。
あなた方は、神から離れていると感じ、神と一つである事を体験しても信じない。
だから、自分自身の真実から離れてしまう。
あなた方は、真実を見ていながら否定する。
ここで働いているのは、「否定というメカニズム」だ。
あなた方は、自分の中に善と共感を見ながら、それを否定する。
自分の中に知恵や無限の可能性や神を見ても、それを否定する。
ニール
私は否定しませんよ。
神
では、自分が神である事を認めるか?
ニール
そういう言い方は…。
神
そら、ごらん。
神が自分から遠い所にいると思えば思うほど、自分自身の真実からも離れる。
私になろうと努力し続けるためには、私を否定しなければならない。
あなた方は、神になる努力をしたいのだ。すでになっているものには、なれない。
だから、否定というのは、役に立つ道具だ。
だが、そうでなくなれば話は別だ。
マスターは、幻想を見続けようとする者が、否定をすることを知っている。
幻想を終わらせようとする者は、受け入れる。
(『神との対話3』から)