ニール
一度に複数の人を愛する事は、可能ですか?
神
もちろんだ。
ニール
でも、それは正しくないですよ。裏切りじゃないですか。
神
誰がそんな事を言った?
ニール
誰でも言いますよ。両親も、宗教も。世間だってそう言います。
神
それは、『父の罪が子に伝えられる』というたぐいだな。
全ての人を心から愛する事、それは最高に楽しい事だ。
どんな意味にせよ、ある人を「他の人に比べて特別だ」と感じた時、あなた方は他の人を裏切ったように感じる。
ニール
その通りなんですよ!
神
愛の表現を妨げようとするのは、自由の否定だよ。
それは、魂の否定でもある。魂は「人格化した自由」だからだ。
魂は、押し付けられるあらゆる制約に抵抗するし、束縛を受け入れるたびに、新たな死を経験する。
ニール
私はただ愛し、愛されたい。すべての人を愛したい。
ところが、社会には色々とルールや規制があります。
社会が同意しなければ、恋人たちは「間違っている」と言われます。
一体、これは何なのですか?
神
不安が原因だ。
全ての制約は、不安に根ざしている。
ニール
だが、その不安は正当ですよね?
制約が無ければ、例えば「68歳の夫が若い女性と不倫をして、64歳の妻を捨てる」なんて事が起こります。
神
その68歳の男は、64歳の妻をもう愛していないと思うか?
ニール
そうでしょう。
神
いや、違う。
その男は、妻を愛していないから逃げるのではなく、「自分に押し付けられた制約」から逃げるのだよ。
ニール
そんなばかな。
単純な肉欲ですよ。若さを取り戻したいだけです。
神
もちろんそうだ。
だが、どんな場合でも『制約が反抗を生む』のだ。
妻が押し付ける制約、あるいは妻と別れないなら付き合わないという不倫相手の制約、それがその男の反抗を生む。
魂は、常に制約に反抗する。
人類史上のあらゆる革命の火花は、これだよ。
ニール
では、あらゆる制約を取り払ってしまえ、とおっしゃるのですか!
神
私は善悪を決めない。ただ、観察をしているだけだ。
人生の全てについて、『自分は、どんな人間になる事を選択するのか』が、一番大事だ。
それが、すべての問いへの答えだ。
ニール
やれやれ。
その答えは漠然としすぎていて、答えになっていません。
神
あなたは、愛が分かっていないのだ。
愛とは、「無制限なもの」だ。
無制限であるから、愛とは『完璧な自由』なのだよ。
あなた方は、「愛が無制限であってほしい」と願っている。
そして、「愛を自由に表現したい」と願っている。
人は心の奥底では、『愛は無制限で自由だ』と知っている。
なぜ知っているかと言えば、あなた方は本質が愛だからだ。
あなた方は、不安を克服した時、無制限で自由な愛を経験しようとする。
子供は不安を経験しない。そして、誰でも愛せると思っている。
だから子供は裸で走り回り、誰にでも抱きつき、それを大変な事だとは思わない。
大人に同じ事が出来たら、どうだろうね?
ニール
大人がそんな無邪気さを取り戻したら、大変な事になります。
神
人間は、「無制限で自由な愛を経験したい」と切望するものなのだよ。
(『神との対話3』から)