神
ヒトラーという経験は、集団の意識(集合意識)の結果だ。
多くの人は、「ヒトラーが国民を狡猾に操った」と言いたがる。
こう考えれば、ヒトラーだけを非難すればすむからだ。
しかしヒトラーは、人々が協力し、服従しなければ、何もできなかった。
人類という大きなグループにも、責任がある。
人類は、ドイツ国内の苦しみに、無関心で鈍感だったのだから。
ナチを発展させた土壌は、集合意識だった。
ヒトラーはチャンスを掴んだだけで、集合意識を創り出したわけではない。
常に分離と優越を口にしている集団意識は、共感の喪失を生む。
そして共感の喪失は、必ず良心の喪失につながる。
ちっぽけなナショナリズムは、他者にすべての責任を押し付け、仕返しと戦争を正当化する。
ヒトラー経験の恐ろしさは、彼の犯した罪ではなく、『人類が彼に罪を犯させた』という事だ。
誰もヒトラーを止めなかった事だ。
ヒトラー経験は、キリスト経験と同じように、深遠な意味を持っている。
あなた方全員の中に、ヒトラーのかけらがある。イエスは最高の手本を、ヒトラーは最低の手本を示したのだ。
ニール
それではヒトラーは、どこまで人間が堕ちるかを教えるために、送られてきたのですか?
神
送られたのではない。
あなた方の集合意識が、彼を生み出したのだ。
「分裂の意識、優越の意識」が、ヒトラー経験を創り出す。
「友愛の意識、一体感の意識」が、キリスト経験を創り出す。
(『神との対話2』から)