ニール
本当の生き方では、欲望や自我を無くさなければならないのですか?
神
そうだ。
なぜなら人生での真実とは、神との関係だけだから。
しかし、自己否定が求められているわけではない。
マスターは何かを諦めたりはしない。
無用なものを遠ざけるだけだ。
欲望は、克服するのではなく、もっと偉大な欲望に変えなさい。
そして情熱は、克服するのではなく、理解して受け入れなさい。
情熱を克服しようとすると、努力するあまりに、その努力自体が情熱になってしまう。
情熱を別の情熱に替えても、克服した事にはならない。
情熱は批判せず、自分に役立つ情熱かどうかを、見極めなさい。
マスターは、情熱と欲望を全て捨てているように見える。
だが実は、情熱と欲望を理解し、「自分のためにならない情熱と欲望を遠ざけている」のだ。
情熱は、創造の燃料である。決して否定してはいけない。
否定すれば、自分の可能性を否定する事になる。
悟りとは、情熱を否定する事ではなく、『結果への執着』を否定する事だ。
『期待なしに人生を生きること』、これが自由であり、神性である。
ニール
あなたは、結果に執着しないのですか?
神
決して執着しない。
私の喜びは『創造』にあるのであって、結果にはない。
悟りとは、行為を否定する事ではなく、「行為の結果には意味がない」と理解する事である。
ニール
情熱について、詳しく説明していただけますか?
神
あなた方の核心(魂)は、愛である。
ところが、「愛であること(存在)」と、「愛すること(行為)」は全く別である。
魂は「愛の存在である」が、『愛することを経験する』ために、行為を通じて愛を実現(表現)しようとする。
『愛を経験したい』という衝動は、情熱と呼ばれる。
情熱とは、「やあ、こんにちは」と言いたがっている神(あなたの魂)である。
一方で、人間は「愛したら、相手(対象)からも愛が返ってきてほしい」と思う。
これは情熱ではなく、『期待』である。
期待は、人間の不幸の、最大の原因である。
悟りとは、「結果を放棄する事」であり、「情熱を放棄する事」ではない。
マスターは、情熱こそが神への道であることを知っている。
(『神との対話1』から)