全面的な愛④
結果と罰の違いを解説する 愛は間違った行動さえも包み込む

ニール  あなたは、「自分にも他者にも全面的な自由を与える事が神の愛であり、私は全ての人に
     好きな様にさせる」と言います。

     あなたは、結果を問わないのですか? 罰を与えないのですか?

 神   神の王国には、罰などない。 だが、結果はある。

     この二つは、別のものだ。

     結果とは、自然な成り行きだ。 罰とは、人工的に創られた結果だ。

     罰とは、自然な結果を待つ辛抱強さがない事の、現われだ。

ニール  それでは、何をやっても罰するべきではないのですか?

 神   罰しても、平和や愛の社会は創れない。

     罰からは、ほとんど学べない。結果の方が、良い教師だ。

     罰とは、他者がする決定だ。
     結果とは、それでは上手く行かないという、自分自身の体験だ。

ニール  でも、罰も結果ではないのですか?

 神   罰は「人工的に創られた結果」で、自然な結果ではない。

     罰を結果だと言い換えても、騙されるのは未熟な者だけだ。
     とはいえ、あなた方の多くは、子供を育てる時にこの手を使う。

     いいかね。真の愛は、決して出し惜しみをしたりはしない。
     それこそが、全面的な愛だ。

     愛には、間違った行動さえも包み込む力がある。
     真の愛は、どんな行動でも「間違っている」とは言わない。

(『神との友情 下巻』から)


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