毒ガス兵器の登場、日本軍も開発を始める

(『毒ガスと日本軍』吉見義明著から抜粋)

第一次世界大戦中の1915年4月22日に、ベルギーの町、イープル付近で、ドイツ軍は大量の塩素ガスをフランス・アリジェリア軍の陣地に向けて放射した。

黄緑色のガス雲を見て、フランス・アルジェリア軍はパニック状態になり、多くの兵士が倒れていった。

これが、本格的な毒ガス戦の始まりであった。

その後、ドイツ軍は6月にアルゴンヌ戦で窒息性ガスの臭素を使用した。

これに対抗し、イギリス軍も同月に塩素ガスを使い、フランス軍はシャンパーニュ戦で水銀剤を詰めた弾丸を使った。

16年2月にはフランス軍が窒息性のホスゲン弾を、7月には血液中毒性の青酸を使った。

ドイツ軍も7月に窒息性のジホスゲンを使った。

17年7月12~13日には、ドイツ軍がイープルの戦場で、初めて糜爛性ガスのイペリット(マスタードガス)弾を5万発、イギリス軍に対して発射した。

この攻撃で兵士の多くが失明し、肺炎などで重症の者はやがて死亡した(死亡率は3%だった)。

18年7月には、ガスマスクを透過するガスとして開発された、嘔吐性ガスのジフェニールシアンアルシンがドイツ軍によって使用された。

以上のように、第一次大戦では毒ガス兵器が登場し、毒ガスによる死傷者は88~129万人に達したと云われている。

この新兵器の登場は、日本軍に大きなショックを与えた。

1916年の末頃から、日本陸軍の技術審査部は毒ガスに関する文献の収集を始めた。

17年10月に陸軍省は、正式に技術審査部に研究を命じた。
そして陸軍軍医学校には毒ガス研究室が新設された。

しかし第一次大戦中は、日本の化学会社は欧米から殺到する注文に応じるのに忙しく、日本軍の毒ガス研究はまったく相手にしなかった。

そんな中、18年4月に「程谷曹達(ほどがやそうだ)工場」(のちに保土谷曹達会社)が、塩素ガス開発の協力を申し出た。

日本陸軍は、ロシア革命が勃発すると(1917年11月)、ロシア帝国の崩壊を見てシベリアへの野心を増大させ、18年8月2日にシベリア戦争(シベリア出兵)を開始した。

ロシアの内戦では毒ガスが使用される可能性もあったため、18年5月9日に大島健一・陸軍大臣は、陸密第129号で「臨時毒ガス調査委員会」を設置し、毒ガスの調査・研究を命じた。

(陸密とは、陸軍大臣の秘密命令をいう)

臨時毒ガス調査委員会は、陸軍省の兵器局長である渡辺満太郎・少将が委員長となった。

そして臨時軍事費から15万円の予算がつけられた。

同委員会は、程谷曹達工場に液体塩素を製造させる契約を結んだ。

同工場は、18年9月から液体塩素を製造した。

この委員会はさらに、日本鋼管を指導し、発射管を試作した。

毒ガスの開発では、塩化ベンジルと塩化ピクリンの製造を程谷曹達工場に、塩化ピクリンとフェニールカルヒールアミンクロリドなどの製造を中村研究所に、三塩化砒素(発煙剤)の製造を足尾銅山に命じた。

陸軍衛生材料廠では、イペリットを試験的に製造した。

しかしどれも「完了の域に至らず」だった。

毒ガスの発射試験は、愛知県の伊良湖射場で18年6~8月に3回行われたが、その結果、臭素が「毒力強大」として採用が決まった。

なお略称として、塩素ベンジルが比重が軽いから「カ号」、臭素は重いから「オ号」と命名された。

1918年11月11日に、第一次世界大戦は終結した。

陸軍省は、19年4月15日に欧米の技術に追いつくため「陸軍技術本部」を創設し、その下に「陸軍科学研究所」を設置した。

同研究所は、第2課が化学関係とされ、第2課に「化学兵器研究所」が置かれた。

臨時毒ガス調査委員会は、大戦が終わったため解散するか審議したが、解散は留保となった。

そして第2期の調査として、放射用の毒ガスは塩素に決め、ガス弾用は臭素、ホスゲン、イペリット、臭化アセトンの研究が決まった。

その後、23年5月15日にホスゲンの合成に成功し、7月24日にはイペリットの合成に成功した。

一方、日本はシベリア戦争を起こしたが、戦争の大義名分がなく、何の成果も挙げられず、1922年にはシベリアから撤兵し、25年には北樺太から撤兵した。

この戦争で民衆の抵抗に直面した日本軍は、21年に毒ガスの使用を計画した。

しかし田中義一・陸軍大臣が計画を聞いて、国際的な配慮から反対したため、中止となった。

日本軍が毒ガス使用を考えた背景に、ロシア革命軍が毒ガスを使い始めた事があった。

ロシア革命政府は、黒海地方タンホフ県の農民反乱に対して、鎮圧策をとり、毒ガスも使ったのである。

とはいえ赤軍は、外国軍への毒ガス使用には慎重であった。国際問題になるからである。

結局、シベリア戦争で毒ガスが使われることは無かった。

そして日本軍がシベリアから撤兵すると共に、臨時毒ガス調査委員会も24年6月30日に廃止となった。

(2019年10月15日に作成)


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