ジュリアン・アサンジさんをマスターだと感じた
マスターについて(2013.3.11.)

ジュリアン・アサンジさんは、ウィキリークスの創始者で、しばらく前に性的暴行の容疑をかけられて活動停止になりました。

最近は、また活動しているようです。

アサンジさんについては、「ウィキリークスという暴露サイトを創って、裏情報を表に出した人。 権力者に目をつけられて捕まってしまった。最近はどうなっているのかな?」との印象を持っていた程度でした。

アサンジさんの人となりや、活動理念などは全く知らず、「機密情報をばらすなど気合がある人だが、過激な性格の人なのかな」と思っていました。

しかし、3日ほど前にユーチューブでアサンジさんのインタビューを見て、大きく認識を変える事になりました。

今回は、その事を書きます。

インタビューを見て、まずアサンジさんがまだ若い人なのに驚きました。

さらに思いっきり白人の容貌なのにも驚きました。

何となく活動内容から、苦味ばしったおじさんをイメージしていました。
それに、名前の響きから、アラブなどの血が入った人なのかと思っていたのです。

細身のやや神経質な表情で、とても知的な雰囲気のアサンジさんを見て、「へえー、こういう人なのか」と最初に思いました。

そうして彼のインタビューを聞いていったのですが、聞いていると「非常に落ち着いた人物であり、深みのある理念を持って活動している」と、すぐに分かりました。

メディアで報道されている「過激な要注意人物」という姿とは、全く印象が違います。

「メディア報道と全く印象が違うなあ」という驚きは、以前にイランのアフマディネジャド大統領のインタビューを見た時にも感じました。

アフマディネジャドさんは、過激な発言をしている場面だけが日本では報道されています。
そのために、頭の固い危険な人物というイメージが、日本では出来上がってしまっている。

しかし彼は、インタビューでは実に落ち着いて物事を冷静に話しており、内容はどれも的確であいまいさが無かった。
「これはブッシュ大統領や日本の首相たちより、数段も人物としての格が上だな」と感じざるを得ませんでした。

話をアサンジさんに戻しますが、彼はこう述べていました。

「今の世界は、情報のほとんどが隠されている。これは民主的ではない。

 私は国連で定められた基本的な人権をよりどころに、情報を人々に伝えるために
 活動している。」

そして、「情報が公開されたら、戦争の悲惨さ無情さが分かり、世界は変わるだろう」とも述べました。

私は、この発言を聞いていて、ほとほと感心してしまったのです。
彼の言っている事に、100%賛同できました。

彼の発言とその真摯な姿勢を見ていて、「彼はマスターの一人だ」と直感しました。

ここで言うマスターとは、『人々を新しい世界に導くリーダー』という意味です。

もともと私は、「徹底的な情報公開をすれば世界は変わる。なぜなら、人々は様々な事柄を考えるための材料を与えられるからだ。」と思ってきました。

だから、アサンジさんの言うことに思いっきり賛同できました。

私は、「情報を上手く隠すのが、有能な証だ」という考え方は、古いと思います。

その考え方は、自分やせいぜい周りの人しか幸福にしない、『社会の役に立たない考え方』だと思います。

アサンジさんの生き様に深く共感しました。

世界を変えようとしている同志として、愛し尊敬していこうと思います。

ここからは、『マスターはどんな人物として現れるか』について書きます。

今のアサンジさんもそうなのですが、実はマスターの多くは、誤解・迫害されます。

神との対話シリーズでは、「マスターは、異端者・冒涜者として現れる。マスターが立派な人物(社会で尊敬される人物)として現れる事は、とても少ない。だから、マスターを見逃さないように気を付けていなさい。」と説いています。

私は、この説明はものすごく本質を突いていると思います。

多くの人は、「社会で評価されている人(社会で高い地位にある人)がマスターである」と考えているのですが、それは間違いだと思います。

例えば、「ブッダ、イエス、ムハンマド」という世界を変えた思想・宗教を生み出した3人の生涯を見ても、3人すべてが活動の中で迫害を受けています。

イエスさんは、「処刑」されてしまったほどです。

世界史上最高の哲学者の一人であるソクラテスさんも、死刑判決が出されてしまい、自殺しています。

日本の幕末を取り上げても、開明的な政策を実行した佐久間象山さんは暗殺され、新しい世界を説いた吉田松陰さんは処刑されました。

歴史を冷静に見つめるなら、『新しい世界を提示して、それを実現させるために活動する者は、理解されずに迫害される事の方が多い』と分かります。

もちろん、地球人は少しずつ進化してきているので、昔ほどは迫害されないようになってきています。

多くの人は、「現代にブッダ、イエス、ムハンマドが現れたら、さっそうと登場して私たちを感動させてくれるだろう。現れたらすぐに私は気付いて、教えを請うのに。」と思っているのではないでしょうか。

というのも、彼らのかっこいいイメージが絵画や書物を通して出来上がっているからです。

しかし実際には、ブッダさんとイエスさんは乞食同然の格好をしていましたし、ムハンマドさんは強盗団の首領(テロリストのボス)だった時期がありました。

現代に彼らが現れても、ほとんどの人は外見だけで判断をして、無視をするでしょう。

彼らの言葉に真摯に耳を傾けて、その偉大さに気付く事ができる人は、一体どの位いるのでしょうか。

『見た目で(世間の評判で)判断をしてはいけない』

この教えを、今回のアサンジさんの件を通して、改めて痛感しました。


日記 2013年1~3月 目次に戻る