はだしのゲンは児童に悪影響があるか、との論争について
私はマンガ史上の傑作だと思っている
(2013.8.30.)

しばらく前に、松江市の教育委員会が「はだしのゲンには過激な表現があるから、児童の教育上で問題がある。閲覧を制限する。」と決めました。

その後、「はだしのゲンは、戦争や原爆の恐ろしさや悲惨さを丁寧に描いている。表現には問題はないし、むしろ子供達に見せた方がいい。」との反論がたくさん出ました。

結果としては、松江市は閲覧制限を撤回しました。

私は、はだしのゲンを子供の頃に何度も読んでおり、その内容の素晴らしさを知っているし、多くの子供に読んでほしいと思っているので、とても安心しました。

私は、自分が子供の頃に『はだしのゲン』を読んで、作品の力に圧倒された体験があるので、思い入れが強くあります。

はだしのゲンは、『マンガ史上の傑作』だと思っています。

読者の心に訴えかける力(作者の熱い思い)がはんぱじゃないし、人間の心の深い部分にまでメスを入れて、それを真正面から描き出している凄い作品です。

「ブラックジャック」や「火の鳥」などと並ぶレベルの、歴史的な傑作マンガだと感じています。

ですから、閲覧制限の話を聞いた時には、「WHY? どうしたの? 大丈夫ですか?」と思いました。

はだしのゲンには、確かに過激な表現がたくさんあります。
しかし、それは戦争の本当の姿を描こうとしているからです。

それに、はだしのゲンには愛を描く場面だってたくさんあります。

戦争の本当の姿を教えずに、「きれいな戦争もあるんですよ」などと、アメリカの保守派や武器商人みたいな事を言う方が、よほど有害だと思います。

自民党の麻生さんも言っていましたが、もっと他に有害と思われるマンガはいくらでもあります。
もっとも、何が有害かどうかは、そんなに簡単に決められる問題ではないです。

大人が子供の接するものを規制して、子供を縛りつける方が、よっぽど有害なのではないでしょうか。

自分の体験を説明した方が、はだしのゲンのパワーが(素晴らしさが)皆さんに伝わりやすいと思うので、ここからは私の体験を書きます。

私の通った小学校の図書室や、近くにある児童図書館には、はだしのゲンが置いてありました。

そうして、私は小学2年生くらいの頃から、はだしのゲンを読み始めました。

最初の頃は、内容の深刻さ悲惨さに、読むのがつらくて、いつも1巻の途中で読むのをやめていました。

はだしのゲンは、絵にも特徴があって、そのころ読んでいた他のマンガ(キン肉マン、ドラえもんなど)よりも、はるかに濃い絵でした。

絵がスマートではなく、読んでいると「引っかかる感じ」があるのです。

だから、その絵の世界に慣れるのに、数年もかかりました。

私にとっては、かなり敷居の高いマンガで、一気に読破できるようなものではありませんでした。

何度も読み進めるのに挫折しましたが、不思議と、しばらくするとまた読みたくなるのです。

子供の頃はその理由を考えた事はありませんでしたが、今から振り返ると、『絵の持っている圧倒的な力に、心のどこかで惹かれており、これを最後まで読めるようになるのが大人への階段の1つである』と、思っていたようです。

要するに、私はマンガの細かい内容を気にするよりも、『真実を受け入れられる度量や勇気を身につけるツール』と認識していたようです。

だから、初めて全巻を読破した中学1年の時には、「俺はやったぞ! 大人になったぞ!」といった感動を覚えました。

同時に、その頃になってようやく、マンガの内容をきちんと理解できるようになりました。

正直に告白しますが、最初に読んだ小学2年生の頃は、原爆についても知らず、戦中の貧しい庶民生活も知らず、被爆者の後遺症も知らず、徴兵制も知りませんでした。

だから、ストーリーの7割くらいは、「分からん…」と思っていました。

「どうも俺の知らない日本が、かつてあったらしいな…」というのが、最初の感想でした。

私は、原爆が日本に落とされたこと、アメリカと戦争したこと、日本がアジアの各地に侵略していたこと、軍国主義の下で自由が抑圧されていたことなどを、はだしのゲンを通して初めて知りました。

処刑の場面や強姦の場面について、「教育上で良くない」と一部の人が問題視しているそうですが、私としてはそういう場面の記憶はぜんぜん無いです。

私が覚えているのは、ゲンの家族が焼け死ぬ場面や、近所の被爆したお兄さん(だったと思う)が車椅子で大暴れして最後には死んでしまうエピソード、ゲンたち戦災孤児が食べ物が無くて苦しむ場面、などです。

この記事を書くにあたって、ウィキペディアであらすじを確認しましたが、どうも後半のストーリーは記憶にないです。

読んだのに忘れているのか、私が行っていた児童図書館には前半部分しか置いてなかったのか、どちらかです。

読んだ子供の立場から言わせてもらうと、はだしのゲンからは、なによりもまず『作者の情熱と誠意』を感じましたね。

学校の図書室には、歴史上の有名人物をマンガにしたシリーズがあり、私はそれを愛読していました。

そのシリーズには、織田信長、源義経、平将門といった、戦さ(戦争)に明け暮れた人物もいました。
当然、戦争現場が多く描かれているのですが、それらのマンガからは「戦争の悲惨さ」はほとんど伝わってきませんでした。

私は、はだしのゲンを読んだ時に、初めて戦争の悲惨さをマンガから実感できました。

「なるほど。戦争とは、こういうものなのか。戦争はしてはいけないと大人は言うけど、その言葉の意味が初めて分かったなあ。」と感じたものです。

子供ながらに、「はだしのゲンの作者は、大抵の大人が目を背ける出来事を、逃げないで表現している。凄い人だなあ。」と感心しました。

はだしのゲンが、真実とはかけ離れた事を描いているとは、1回も感じた事はありません。

最初に読んだ時から、「このマンガは真実を語っている」と、理屈抜きに感じていました。

子供だったので当時は分かりませんでしたが、今から思うと、「これだけ凄い力のあるマンガは、デタラメな態度や適当な思いつきでは絶対に書けない」と、肌感覚で悟っていたのです。

前述したように、最初の頃は1巻の途中で挫折していましたが、つまらないと感じた事は1度もなかったですね。
「俺は、まだこの山を登れない。だが、いつか登頂してみせるぞ。」と思っていました。

私は、自らの体験を通して、『はだしのゲンは、マンガの大傑作である』と確信しています。

ぜひ多くの少年少女に、『はだしのゲンという偉大な山』に登っていただきたいです。


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