都知事選挙が終わって思う事
自公政権は勝利していない
(2014.2.14.)

去る2月9日に、都知事選挙が行われました。

自公が支援する、舛添要一さんが勝利しました。

2位の宇都宮健児さんと、3位の細川護熙さんは、それぞれ舛添さんの半分弱の票数でした。

この結果を受けて、『自公(安倍政権)が勝利した』との意見が大勢ですが、私はそうは思いません。

感じた事を書いていきます。

まず思うのは、『やはり脱原発の票が割れてしまった』という事ですねー。

生活の党の小沢一郎さんは、「宇都宮陣営と細川陣営を一本化していれば、舛添氏の票と同じになる。勝てた選挙だった。」と言ったそうです。

私も、同じ思いです。
1月21日の日記で指摘したとおりに、一本化に成功していれば、大きなインパクトを有権者に与えて、勝てたと思います。

強く脱原発を打ち出した2人は負けましたが、脱原発を争点にして、人々の目を再び原発問題に向けさせたという意味では、すごく有意義だったと思います。

私が驚いたのは、細川さんの善戦ぶりです。

自民党の方などは、「元首相が出てきて負け、晩節を汚した」などと言いますが、突然に立候補をしてわずかな期間しかなかったのに、あそこまで支持を集めたのは驚異的だと思います。

細川+小泉純一郎の底力を感じました。

細川さんも小泉さんも、国会議員の頃よりも良い顔になっていますねー。

私は、小泉さんが首相だった時の政策には、ほとんど反対だったのですが、彼は変わってきていると感じます。

宇都宮さんは、「前回の都知事選の時よりも、手ごたえを感じていた。だから負けたのは残念」と発言していました。

これは、本当なのだと思います。

彼の演説映像を少し見ましたが、庶民の目線に立って考えられるタイプで、人格も立派だと見受けました。

私の感覚では、今回の立候補者の中では、人物としては一番だったと思います。

私のように感じて、彼を支持をする人々が広がってきていたのだと思います。

それが、「手ごたえ」に繋がっていたのでしょう。

宇都宮さんと細川さんの一本化については、多くの方が努力をされたのですが、実現しませんでした。

私が思うに、この一本化は『薩長連合』みたいなものですね。

幕末には、「薩摩と長州が結べば、幕府を倒せる」と考える人は多かったのですが、「あの2藩がくっつく事は、無理だよ」と皆が諦めていました。

なぜなら、薩摩と長州は犬猿の仲で、戦争すらしていたからです。

それを坂本龍馬や中岡慎太郎が誠意あふれる仲介をして、西郷隆盛と桂小五郎の2人の人間力により実現させました。

今の即時原発ゼロも、国民のほとんどが求めていながら、「でも無理だよ」と諦めている状態です。

そして、宇都宮さんは共産党や社民党が支援し、細川さんは民主党などが支援していました。

原発ゼロのために、今までの対立を水に流して連合すれば、勝てるのです。

でも、今までの対立やらしがらみやらで、連合できません。

もし、宇都宮さんや細川さんに、西郷さんや桂さんほどの器量があれば、「ここは連合しかない。新しい時代を切り拓くために、メンツを捨てて一本化する!」と決断したはずです。

『原発の即時ゼロで、再生可能エネルギーに移行する』のは、小さな革命みたいなものです。

それを実現するには、旧来のしがらみを超えた結びつきが必要なのです。

原発ゼロを求める勢力は、決して敗北していません。

冷静に見るならば、むしろ勢力は拡大してきていますよ。

だから諦めることはないし、連合を試み続けることが大切です。

自民党内でも、見識のある人は今回の結果を見て、「想像以上に脱原発が浸透してきているなあ、原発推進路線は難しいぞ…。」と思ったはずです。

もし「勝った、勝った。これで原発を推進できるぞ」と思っているならば、あまりに見識が無いし、敗北(野党への陥落)に繋がるでしょう。

さて、当選した舛添さんですが、おそらく暫くしたら独自路線に進むと思います。

つまり、自公政権とは距離をとり始めると思います。

何といっても、彼は自民党を抜けて新党を作った人物です。

その人物が、与党の言いなりになるはずがありません。

舛添さんは「平成の松永久秀」だと思います。

1年5ヶ月前の自民党・総裁選において、石原伸晃さんがボスの谷垣さんを裏切り、「平成の明智光秀」と呼ばれました。

なかなか面白い例えで、私は笑ってしまったのですが、それを適用すると今回の舛添さんと自民党の結びつきは、松永久秀と織田信長の結びつきに近いと思うのです。

松永久秀という人物は、独立心の強い人物で、織田信長に臣従したにも関わらず、2回も謀反を起こした人です。

私は、舛添さんもこのタイプで、そのうち謀反を起こす(独自路線に進む)と考えます。

舛添さんの政策は、もともと今の自民党とは違います。

エネルギー政策を見ても、彼は「再生可能エネルギーを20%に上げる」と、脱原発のエースかと見まがうような事を言っています。

だからこそ自民党から脱党したわけですが、彼は内心では「自公政権が弱ってきたら、すぐに独自路線に行くぞ」と心に決めていると思います。

謀反を起こすタイミングを、窺い続けると思います。

これが何を意味するかと言うと、『自公政権は都知事選に勝利していない』という事です。

自公政権は、自分たちから勝てる立候補者を出せなくて、勝ちそうな舛添さんを担ぐことにしました。

自分のない人物を担ぐならまだ良かったのですが、舛添さんは一時的であれ党首をしていた人です。
お飾りで満足するはずがない。

織田信長は、松永久秀の実力を高く評価し、危険な人物であると知りながら、周囲の反対を押しきって助命・登用しました。

安倍政権は、選挙で勝てないと諦めて、勝ち馬の尻に乗るようにして舛添さんを支持しました。

この行動原理の差が、超一流と三流の差ですよ。

(以下は2014年2月17日に追記)

2月15日の毎日新聞に、『舛添・新知事が、就任後初の定例記者会見で、自民党の憲法改正案に反対を表明した』と出ました。

舛添さんは改正案について、「立憲主義の観点から問題がある。今のままなら私は反対だ。」と発言しました。

そして具体的には、

① 天皇を象徴から元首に変えている 

② 家族について「お互いに助け合わなくてならない」と規定した

③ 国防軍の創設を盛り込んだ

ことを問題視しました。

さらに、国民の権利について『個人として尊重される』ではなく『人として尊重される』となっている事について、「憲法は、国家の対抗概念である個人を守るためにある。人の対抗概念は、犬や猫だ。」 と厳しく批判しました。

初の定例記者会見で、早くも自分を支援してくれた自民党に反旗をひるがえしました。

さすが『平成の松永久秀』です。

私は、「3ヶ月くらいは大人しくし、様子を見るだろう。」と考えていたのですが、当選してまだ1週間なのにもう独自路線を走り出しています。

彼は、良くも悪くも、日本人ばなれしていますよ。
普通の日本人なら、当選の恩義を感じて、しばらくはリップ・サービスくらいはします。

今回の事については、普通だったらあまりの無節操さに苦言をするところですが、私も自民党の改憲案に反対なので見逃すことにします。


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