翁長・沖縄知事が素晴らしい
インタビューを読み感動した
(2015.6.1~2.)

5月30日の東京新聞に、翁長・沖縄県知事のインタビューが掲載されました。

私は、彼の信念を貫いた「県民のために働く姿勢」に、深く心を動かされています。

翁長さんの述べている事は、深い見識を感じさせます。
インタビューをここに抜粋し、その後に私の感想を書きます。

(2015.5.30.の東京新聞から抜粋)

質問者  あなたは訪米しますが、その狙いは何ですか。

翁長

『辺野古に新基地を造ることは、日米同盟と安保体制に相当の傷をつけますよ』と伝える事だ。

なぜなら、辺野古基地は絶対にできないからだ。
米国は「安倍首相が強引に造るだろう」と思っているかもしれないが、それは難しい。

有識者の委員会から「埋め立て承認の取り消し」が提言されれば、取り消すことになる。

辺野古移設の阻止に向けた知事の権限は、10ほどある。

国は裁判に訴えるかもしれないが、沖縄の自治の気概は本土の人と全然ちがう。

抵抗する様子が映像として世界に送られたら、日米同盟は持たない。

沖縄の自治権は与えられたものではない。勝ち取ってきたものだ。

もし普天間で米軍の軍用機が落ちたら、『普天間はダメだ』となる。
そして、矛先は次に嘉手納基地に向かう。

米国が最も恐れているのは、それだと思っている。
私たちの目が嘉手納に向いた時の恐ろしさを、米国は大変に警戒している。

質問者  本土の人の多くは、沖縄の米軍基地を地政学や抑止力の観点から見ています。

翁長

日米の新ガイドラインでは、中東まで視野に入れている。
そうすると、「沖縄の地政学的な位置づけは何なのか」となる。

日本政府は「安全保障は日本全体で」と云うが、(基地を)本土のどこも受けてくれない。
沖縄に基地があるのは、地政学的な理由ではなく、他が受けないからだ。

除染廃棄物の貯蔵施設を福島に、というのも同じ発想だ。

質問者  今の自民党をどう見ていますか。

翁長

私が沖縄県議だった時、沖縄に来た野中広務さんは、「翁長君、申し訳ない」と言って頭を下げた。

後藤田正晴さんは、「可哀相でな。真正面から顔を見ることが出来ないんだよ」と言って、沖縄入りを渋ったそうだ。

橋本龍太郎さんは、自民党総裁室の前で順番待ちをしていた私達を、行列の最後尾に回して「ごめん、沖縄を5分で帰すわけにはいかないんだ」と言ってくれた。

田中派・経世会系の人は、国民と繋がる心のひだを持っていたと思う。

中選挙区制の時代は、様々なタイプの政治家がいて、深みがあった。

小泉純一郎さんが政権を獲ったころから、自民党は変わった。

質問者  米軍の輸送機オスプレイの配備を阻止するデモを都内でした時、無関心で通りすぎる人達にショックを受けたそうですね。

翁長

あれは寂しかった。

本土の人は、「基地経済を謳歌している」とか「振興策があっていいですね」とか言う。
(実情は)そうじゃないのだが。

米兵に暴行された女の子が道端に捨てられて、犯人は無罪で本国に帰った事もある。
こういった屈辱を、沖縄県民は忘れられない。

「昔の話をしないで未来に向かって」と本土の人は言うけれど、基地が固定化している限り私たちの記憶は消せない。

質問者  安倍首相は、改憲を政治目標にしています。

翁長

改憲よりも、日米地位協定の改定(改善)が先だ。

安倍政権は、日米対等を目指すと言いながら、『日米合同委員会』では恐ろしい位の従属関係だ。

辺野古問題では、政府は「外交は国の専権だ」と言っているが、それならば『日本は本当に独立国家なのか』という点まで議論しなければならない。

質問者  安倍内閣が目指している安保法制の整備は、どう見ていますか。

翁長

中国に対するコンプレックスではないか。
中国が、軍事力だけでなく経済大国として台頭した事で、プライドを傷つけられた人々がいる。

安保法制の背景には、そんな感情があるのではないか。

もともと、尖閣問題の発端をつくったのは、石原慎太郎さんが都知事の時に「尖閣諸島を都が買う」と言ったこと。
それを受けて、野田首相が土地を買ってしまった(国有化した)。

あれが無ければ、曖昧なまま多少はしのげた。
安保法制が出てきたのは、しのげなくなってしまった恐怖心もある。

質問者  あなたが知事選に出馬した経緯を教えて下さい。

翁長

2013年10月に、自民党幹事長の石破茂さんに説得されて、(それまでは反対していたのに)沖縄の自民党・国会議員5人が辺野古移設を容認してしまった。

あれを見て、「こういう人達とは、もう一緒にやれないな」と。

県民が可哀相でしょ。

革新の皆さんには「イデオロギーよりもアイデンティティだよ」と伝え、保守の人には「県内で保革がケンカして、笑っているのは日米両政府だ」と伝えた。

保革を乗り越えないと、沖縄はどうにもならない。
それには、保守の側から近寄らないと駄目だ。

子や孫に、私達と同じ年月を過ごさせるわけにはいかない。
言うべき事を言わないと。

政治家は使い捨てでいい。
私のみじめさは何でもないが、県民のみじめさは絶対にあってはならない。

インタビューは以上です。

私はこれを読んで、翁長さんの見識の深さと冷静な分析に脱帽しましたよ。
「すごい人物だ」と思います。

安保法制が出てきた事の理由について、「中国に対するコンプレックスと恐怖心」と言ってますが、核心を突いていると思います。

多くの国民がこれを素直に認められない中、はっきりと言える翁長さんは凄い。

彼は日本政府が対話に応じないので、アメリカに乗り込んで直接にアメリカ政府と基地問題を話す事にしました。
こんな大胆な行動を、これまで日本の地方政治家で行った人はいないと思います。
素晴らしい勇気ですよ。

訪米は、正しい判断でもあります。
なぜなら、安倍内閣(日本政府)はアメリカの奴隷であり、彼らに話しても言葉を濁して逃げるだけだからです。

実際のところ、アメリカ政府と話したほうが進展する(好転する)可能性は高いですよ。
奴隷には判断力も権限もありませんが、アメリカ政府は権限を持っているし多少の理性もあります。

安倍内閣(自民党)の対米隷属っぷりは、次の日記で扱う「志位さんの国会での質問」で詳しく明らかにしましょう。

『日米合同委員会』についても、近日中に日記で取り上げます。

(2015.6.5.に追記)

本日の毎日新聞に、「沖縄知事が訪米するのは1985年から行われ、5人が計16回行っている」と出ています。

そんなにすでに行っているのですね。
そういえば、大田知事(90~98年)の時は積極的な活動をされて、色々な発言をしていました。
訪米をしていた記憶もうっすらと蘇ってきました。

大田知事の活動はメディアで大きく扱われていましたが、批判的な論調の方が強かった記憶があります。

当時はソ連が消滅してアメリカ1強の空気だったので、「アメリカ様に逆らうな、日本を守って下さっているのだぞ」という論調が多かったです。

冷静に考えると情けない考えだし、私は当時から日米同盟を疑問視していたので大田さんを応援していました。

振り返ってみると、1990年代は日米同盟絶対主義者が国民の8割以上だったと思います。

「アメリカは強いんだから、付き従えばいいのだ。アメリカに付いていけば間違いない。」と考える人ばかりでしたよ。

米軍の不祥事が発生しても、見て見ぬふりを決めこむ人が多かった。

米兵の悪事の犠牲になる人々を、国民の多くは人身御供(逆らえない存在の欲望を満たす捧げ物)のように見ている感じすらありましたよ。

当時は、日米同盟を絶対の国是みたいに捉えて、疑問をはさむ者を非国民扱いする有識者までいました。

「アメリカ様に疑問を持つのか! 世間知らずめ! アメリカが世界の勝者なのだから、すなわち正義なのである。」みたいな事を、真顔で言う評論家がかなり居ました。

あの当時と比べると、時代は大きく変わりましたねー。
右翼の方々は、あい変わらず「日米同盟は絶対の前提である」と言い続けていますけど。


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