養父貴さんから受けたレッスンの思い出を語る記事、5回目です。
今回は、1回目のレッスンを終えた後の雑談を書きます。
勉強になる話だったから、録音機を止めずに録音したんですよ。
それもノートに書き起こしたのですが、面白い話なので紹介します。
(レッスンが終わり、雑談でアメリカの話になる)
養父
「(アメリカだと)外でパフォーマーが演奏してると、めちゃくちゃレベルが高いんすよ!」
私
「いや、僕もNHKかなんかの街紹介の番組を見て、(街頭で)ドラム叩いてる人がやたら上手いんで、びっくりした事があるんですよね。」
養父
「そう。もう底辺が違うんですよねえ。
生活の中に本当に音楽があるから。
だからパーティとかに遊びに行っても、パッとアマチュアの
人でもギターを持って、歌い始めるとそれに皆がコーラス
つけちゃう、みたいな感覚(笑)。
底辺がそうだから、ミュージシャンをお客さんが育てて
くれるんですよね。
良いプレイをすればイエイ!と言ってくれるし、良いプレイ
じゃなければ何もない。
日本だと、オレが帰ってきた時に、自分では良いプレイを
してんのに何か反応がない…。」
私 「ありますよね、そういうのって!」
養父
「そうすると、自分の中で疑問に思っちゃうじゃないですか。
それが向こうだと、全く疑問に思わないんですよ。
全く一致しているんです。」
私
「日本だと、良くなくても拍手くれたりとかもあるし、境(さかい)がないって感じありますねえ。」
養父
「その通り!
それは、ぶっちゃけて言うと、分かってないんすよ。
だからルールとして、ソロが終わったら拍手しなきゃ
いけない、みたいな。
向こうは自然発生的に、良かったら拍手するってことで。
本当に自然に音楽を分かっている。
だから、向こうで演奏してる時はすごい楽しかったんすよねえ。
すごい(反応がダイレクトに)分かったから…うん。
で、こっちに帰ってきて、う~ん、あれえ?みたいな。
向こうはミュージシャンを育てるから、相乗効果ですよねえ。
ミュージシャンが育つと、良い音楽を返すっていう土壌
ですよねえ。」
私 「はあ~(あまりに違うので茫然)」
養父
「その違いって何かっていうと、日本の場合、音楽を教育として
しかとらえてない。底の浅さっていうか。
音楽で日常生活を豊かにしようっていう部分が、まだまだ
欠けている。
だんだん良くなってきているとは思いますけど。
ジャズもそうじゃないですか。
どうやってジャズに巡り合ったんですか?」
私
「まず色んなギタリストを聴いてみようって思って。
て言うか、ジェフ・ベックとかってジャズっぽいのがかなり
あって。」
養父
「そうね、ルーツを探ってったんですよね?
全く僕も同じで。
僕らはジャズがルーツにないじゃないですか。
でも向こうは、物心つく時に親父が好きでジャズをかけてたっ
ていう感じ。
オレの生徒なんかも、学校入ってきて、難しいコード進行に
対応するにはジャズっぽいコンセプトが必要だって事で、
勉強としてジャズをやるんですけど。
向こうはジャズが土壌としてあるっていう(笑)。
入り方がもう全然(違う)。
(向こうは)音楽としてジャズをとらえている。
こっちの生徒たちは、お勉強するために、イヤイヤやってる
感じが多くて。
それって行った事はないけど、ドイツなんかも絶対そう
だろうなと思ってて。
あっちはクラシック発祥の地!なわけですよね。
て事は、彼らの生活にクラシックが根付いている中で、
その中でロックやってるとかパンクやってるっていう事だと
思うんですよね。」
私
「僕の印象というか、今まで知った中では、沖縄とかでは日常に音楽がある感じがするから…。」
養父
「ある感じがしますね!」
私
「だから昔は、日本はもっとそういうのが全国的にあったのが、無くなっちゃったのかなと。」
養父
「その通り、そうだと思うんすよ!
だからね、オレがいつも結局思うのは、戦争っていうのが
良くなかったんじゃないかなってすごい思うんすよね。
第二次大戦に負けた以降、国民性をガラッと変えさせられた
っていうとこがすっごいある気が。」
私
「僕が思ったのは、(地元の)祭りに参加してるじゃないですか。
それで、いま向こうのリズムの音楽…、よさこい踊りとかだと、
ロックビートに乗って踊ったりしてるんですよね。
で、そっちの方が皆なじんでいるのか踊りやすいっていうか。
昔のリズムより。
そういう若者を見てると、昔に戻る事はむずかしいかなと思うし、
戻ればいいってものでもないし。」
養父
「う~ん。確かにね~!
難しい所ですけどねえ。わかります。
そういう意味でいうと、実は僕、今の若者で光があるなって
いうのは、ダンスに興味を持ってる人達なかなかいいん
じゃないかって思ってて。音楽よりも(苦笑)。
何がいいかって言うと、ゲームなんかはバーチャルの世界で
やってるだけだけど、ダンスって身体を動かさないと向上
しないじゃないですか。
修練を積んで向上していく楽しさを、今の若い人はダンスとか
に見出してるんじゃないかのかな~って。
それが音楽じゃなくなってる感じが残念なんですけど。
話を戻すと、アメリカでは生活の中に音楽がある感じが
なんとも良いですよね~。」
私
「う~ん、日本だと分かんない(体験できない)ですねえ、それは。」
養父
「まあ、単純に上手い人が多いからね。
生徒たちにも言ってるんだけど、『朱に染まれば赤くなる』
っていう。
悪い意味で使うことが多いですけど、良い意味でもあって、
良い音楽環境にいると自然に良い方向に引っ張られる感じが
あって。
それを向こうですごい体験した気がしますね。
練習も、向こうの人達は恐ろしくするんですよ!
見てるとみんなしてるから、オレもやんないとまずいな、
みたいな(苦笑)。
怠けてられない!みたいな。
周りがみんな必死にやってんすよ!
また体力あるから、あの人達!(笑)
ほんと…すごいですよ。」
私
「そうか。(そういった事も養父さんは)本に書かれてて、でも読むだけじゃ実感持てない部分があるから。」
養父
「だけど、留学するとなると金がバークリー(音楽院)とかすっごい高くなっちゃったんで、年間3~4百万円ないとだめで。」
私
「そんなにかかるんですか」
養父
「もう今は行けないっすよ。
だから留学じゃなくて、少し長めのバケーションで遊びに
行くで、僕が言ってる事は感じれると思います。
インターネットとかで良いライブハウスの情報を収集して、
これ見てみたいな!のがあるタイミングで行ってみたりとか。
いま興味あるのは、ナッシュビルに行ってみたいです。
色々な情報をきくと、ミュージック・ビジネス・シーンでは
ナッシュビルが一番熱い。」
私
「そうなんですか! へえ~。」
養父
「昔だと、スタジオ系ではロサンゼルスとニューヨークって事
だったんですけど、それが今全部ナッシュビルに集まってる
んですよ!
ナッシュビルってのは元々カントリー・ミュージック…」
私 「ですよね」
養父
「そうなんですよ。
で、カントリーはオレは弾かないですけど最近よく聴いてて、
カントリーはエレキギターの全ての要素を持ってます!
恐ろしくみんな上手い! キャーもうシャレになんないっすよ!
シャレになんない!
それとスタジオ・ミュージシャンなんかのロック的なものが
融合してるんです、今。
だからオレ的には一番熱いんすよ、強力ですよ!」
私
「そうなんですか(苦笑)。(全く知らないので反応できない)」
養父
「ロサンゼルスなんかのスタジオ・ミュージシャンも、
全部ナッシュビルに移ってて。
それでミックスされてとてつもなく良い感じ。
オレにとってはとてつもなくゴキゲンな音楽がどんどん
発信されていて!(笑)
で、ニューヨークはニューヨークで孤高の都市!みたいな
感じで。
オレは我が道をゆく、金はなくても!みたいな。
ピキピキにクリエイティブな人達がいる感覚ですよね、
オレの中では。
数年前にニューヨークに行った時、10日間くらい行ったん
ですけど、レッスンを受けて、ライブを観まくって。
その瞬間リズムがすっごい良くなりました。
テレビから溢れてくる音楽ですら、カッコイイんですもん!
ビートが!(笑)
リズムの感覚が入ってくるから、そのフィーリングで弾ける
んだけど、日本に帰ってくると戻っちゃうんですよ。」
私
「僕、ヨーロッパに行った事あるんですけど、ロンドンの
ジャズクラブに行ったんですね。
そしたら黒人の方たちのバンドやってて、グルーヴが違って、
凄かったんですね!
で、帰ってきてから、それを出せてる人がいないんですよ!」
養父
「その通り。(しみじみと)」
私
「だから今でも懐かしいんですけど」
養父
「いやもう、それをくり返して下さい!
それで十分です。音楽学校行かなくても。それです、それです。
あれを日本に広めたいですよね。
頑張りましょうよ、お互いに!(笑)
オレもあれを出したくて、日々やってんですけど、これね、
言い訳じゃないけど、自分だけのせいじゃねえな、って思う
とこがあって。
やっぱりそれは同じ志を持った奴らで突き詰めるっていうか。
一番いいのはグルーヴ持ってる奴と一緒にやる事で吸収できる
んですけど、いないんすよ~(笑)。
いや~困っちゃうんすよねえ。
最終的には向こうで生活するしかないのかっていう。
まあそういう日本人も何人かいますけどねえ。
グルーヴを忘れられなくて、貧乏でもいいから向こう
行っちゃうって人もいますけど。
その生き方もありだなって思います。
僕の友達にドラムで苦労してるのがいるんですよ。
帰ってくれば仕事あんのにって言うと、イヤ~もう帰れないって。
苦労してもこの感じに換えられるものはないからって。
その生き方もわかるよって言って(笑)。
そこの違いを分かっている方なら是非(笑)。
それを日本に啓蒙していきたいですよね、ええ。
一緒に頑張りましょう!
そうです、そうです、はい!(笑)」
こうやって養父さんのレッスンの1回目は終了したのです。
いま振り返ると、初対面でこんなに話が弾むなんて、養父さんの人柄もあると思いますが、音楽観とか芸術観が似ていたのでしょう。
私は菅野さんと佐津間さんにもギターで師事したのですが、この2人は生粋のジャズ・ギタリストでジャズ以外を聴かないし評価してなかったんですよ。
ロックなどの音楽を聴かないし、バカにしている感じもややありました。
そして、ほとんどのジャズ・ミュージシャンが、同じ音楽観を持ってました。
私は色んなスタイルの音楽を聴くし、ラップとかの新しいスタイルも「面白いものを持っているなー」と感心する人間なので、ジャズ・ミュージシャンと接していて息苦しさがあったんですよ。
そういう点では、養父さんとは話しやすかったな~。
ジャズは、ラップのリズムを取り入れるとカッコイイものが作れると、ずっと思ってたんですよね。
チャーリー・パーカーのアドリブは、ラップに近いリズム・アクセントを使っている時があるし。
8ビートか16ビートでリズム隊が激しく叩き、ラップのアクセントでソロイストがメロディアスなアドリブを紡げば、かっこいいジャズが出来るじゃん、と考えていた。
その音が頭の中に鳴っていた。
でも、それを話せる相手がいなかった。
そういう新しい音楽を創造しようという空気が、今の日本ジャズ界には無かった。
養父さんから「同志」みたいに言ってもらったのに、音楽をギターを私はやめてしまった。
彼は話のノリで言った部分もあったと思うけど、それでも申し訳なく思います。
考えてみると、私が師事した養父さん、菅野さん、佐津間さんの3人のギタリストは、皆が私を「同志」的な存在として扱ってくれました。
だからこそ、こっちも敬意を持ち、信頼して教えを請えたのだと思う。
師弟関係は、同志の要素がないといけない。
私はそう思います。
近所の音楽教室でクラシック・ギターを1年くらい、習った事があります。
週1回のペースだったから、ここの先生に習った回数と時間は上記の3人よりも多かったです。
でも「ギターの教師」であり、「師匠」との認識にはならなかった。
なぜなのかと考えると、同志的な交流がなかったからだと思うのです。
養父さんと歩む道は違ってしまったが、『日本に豊かな芸術文化を築く』という目標は私は持ち続けているし、今でも彼と同志なのである。
レッスンで話した事を振り返ってみて、そう思う事にしました。
『日本に豊かな芸術文化を築く』ための手段は、様々なものがあると思うのですが、私は「日本人の日常は忙しすぎる、それでは文化を創れない」と考えているんですよ。
文化とか芸術って、心に余裕がないと華開きづらいと実感していて。
仕事や日常生活で疲れた状態だと、周りに関心を持てなくなる。
一般の人にとっては、文化や芸術は生活のど真ん中ではなく周辺にあるものなので、余裕がないと深い関心を持たないのです。
だから、「長時間労働の撲滅」と「残業しないでもきちんと暮らせるだけの賃金水準」が大切だと考えています。
これを実現すれば、かなり芸術界にも好影響が出るはずです。
そんなわけで、次の日記は長時間労働の問題を取り上げようと思います。
養父レッスン・シリーズは一旦お休みにします。