今年の目標
文章を歯応えのあるものにする 
(2017.1.4.)

明けましておめでとうございます。

それにしても、21世紀もここまで進んだかー。
2017年と聞き、「えっ、もうそんなになったの?」と思ってしまう。

そろそろ地球人類は戦争を卒業して、宇宙人の存在も受け入れていいんじゃないか。

もう2017年だもの。

今年もこのウェブサイトを成長させていきます。

で、年始に思ったのは、「文章の質を上げたいなあ」と。

サイトを立ち上げた当初は、『神との対話』の紹介とか、ページ数を増やしてサイト全体に厚みを出すことを主目的にしてました。

1つ1つのページの質には、あまりこだわりは無かった。

でも立ち上げから4年半が経ち、ページ数では他のサイトに全く劣らない状態になって、キーボードをカタカタやって書き連ねるのにも慣れてきたら、今度は文章力を上げたくなってきたのです。

「文豪」ってやつに、近づいてみたくなった。

正直、私には文才がある。

このウェブサイトを始めるまではそんな事まったく思ってなかったが、「明らかに文才がある」と気付いた。

自分がネット上に記事を発表するようになってから、ネットサーフィンをする時間が増え、面白いサイトや記事を見つけて読む機会が増えた。

「おお、やるなあ」と感心する事もあるのだが、色んな所のを眺めていて「俺って、負けてないな。いや、むしろトップクラスじゃないか」と感じるんですよ。

「調子に乗るな」と言いたくなる方もいるでしょうけど、思っちゃうんだから仕方ないでしょ。

ほとんどのサイトは写真や動画を使っているので、その部分から見栄えがするんですけど、文章に限ればこのサイトは負けてないと思うのです。

今でも良い線にいっているなら、どうせなら頂点を目指そうと。

いや、頂点まで行っても検索数とか閲覧数で1位にならないし、一部の人から「あのサイト、切れ味がハンパねえ。カッコイイよ。」とか言われる位でしょうけどね。

文豪を目指すといっても、純文学小説を書くとかそんなんじゃなくて、読んだ人がきちんと読みつつ最後まで一気に読破してしまうとか、読んでいて今までにないエネルギーが身体から湧いてくるとか、そういう方向。

とんがったセンスの若者が、「あいつの文章、来るよ、マジで」と語り合うような方向。

自分の文章で傑出していると思うのは、「テンポの良さ」と「自然に流れる感じ」です。

読みやすさと分かり易さを重視した結果、選んだスタイルなのですが、他と比べて十分な個性になっていると思う。

私は以前はジャズ・ミュージシャンを目指していたのですが、音楽で特に大切なのは「リズム感」と「無理なく心地良く曲が流れていくこと」なんですよ。

表現手法が文章に変わっても、その感覚が染みついていて、自然に意識してしまう。

で、それが長所・個性になっている。

ジャズだと共演者がいるから、自分の意図通りの表現がなかなか出来なかったけど、文章は1人だから狙った表現にできる。

ジャズを演奏してる時はストレスだらけだったけど、今は気持ちよ~く表現できる。
だから「向いているんだな~、物書きが」と思う日々です。

このウェブサイトを始めた頃は、老若男女のあらゆるタイプを想定し、とにかく分かり易いものにしようとしてました。

それから4年半が経ち、構築されたページ達を見ると、どう見ても誰もが足を運ぶサイトではない。

自分の立ち位置を見て、「こだわる人達が訪問者にちがいない、それを前提にしてもっとテクニカルな表現にしてみよう」と決めました。

語彙を豊かにしたり、あまり使わない漢字も出してみようと思う。

時には、自由奔放に激しく傾斜し、壊れた文章にするのも良いな。

一般的には、文章力を上げるとか、歯応えのある文章を目指すとかいうと、何らかのガイドブックを読んだりするでしょう。
「文章が上手くなるための」といったタイトルのやつ。

そんな事をする気は全くない。

私なりに表現することを真剣に思索・模索・実践した結果なんですが、「表現って、やったもん勝ちだな」と。

他人の表現手法をいくら学んでも、あまり力が付かないんですよね。

自分のやりたいようにやれば1番納得のいくものになるし、その納得感が次への意欲になる。

「カネになるか」とか「評価されるか」を考えれば、色んなノウハウや優先順位がでてくるけど、そんなのどうでもいい。

カネや評価を気にしだすと、気分が悪くなる。
やる気が落ちるし、他人をライバルとか敵と認識しだすから心が狭くなる。
もう嫌なんですよ、あのネガティブな感情は。

心の赴くままに表現し、素晴らしいものになれば、それこそ頂点でしょ。

行こうじゃないの、頂点に。


日記 2017年1~3月 目次に戻る