東京オリンピック
消えて無くなってくれないかな 
(2017.1.13.)

東京オリンピック。

1964年のではなく、2020年に行う予定のほう。

私はこのオリンピックの招致の時点から、「要らない」と考えていました。

石原慎太郎が都知事の座に長く居座り、オリンピックや万博に何度も名乗りを上げるのを見て、「もっと都民生活を改善する細かい事に努力すればいいのに。アホだな~、この人。」と、いつも批判的な目で見ていた。

東京都が大イベントの誘致に失敗するたびに、「良かった」と喜んでいたのですが、なぜか2020年オリンピックでは成功してしまった。

福島原発の大事故があって、その処理が全く進展せず、日本はかつてない悪条件下なのに、なぜか誘致に成功してしまった。

普通で考えたら、あれだけの原発事故があり、放射性物質が関東まで飛散しているのだから、東京は選択肢から外れるはず。

「おそらく裏金が大量に投じられたのだろうな」と思っていたけど、やっぱり金が渡されていた。

いま劣悪な労働環境が捜査対象になっている電通が、その仲介をしていました。

私は、「東京オリンピックをしている場合ではない。日本は他にやるべき事がある。」と考えています。

だいぶ前になりますが、その想いは2013年10月4日の日記でも書いています。

最初から冷めた状態だったけど、エンブレムのパクリ、新国立競技場のずさんな設計と見積もり、その他の競技場でも建設費の見積もりが大甘、開催費が計画時の数倍まで上昇と、さらに心が冷める事態が続々と出てきた。

「オリンピックって、こんなに嫌なものなのか。こんな汚れた大会、もう見るの止めようかな」、こうまで思っています。

スポーツの素晴らしさを伝えるイベントのはずなのに、近づいてくるにつれ気分が重くなりスポーツがどんどん嫌いになっていく。

あとまだ3年もあるのに。
どこまでスポーツを嫌いになるのか、自分でも予想できない。

私にとって残念極まりなかったのは、スポーツ界の態度です。

「新たに建設する競技場の費用が巨額なので、それはやめて既存の施設を使おう」との意見が出た時に、それに賛同する人がほとんど出なかった。

「アスリート・ファースト」とか言い出して、「最高の施設を造ることがレガシーになる」と自分たちの都合ばかり述べている。

「良質のボート会場があれば、ボート人口が増える」とか、「世界トップレベルの施設があれば、競技者の意欲が増す」とか彼らは言うのだけど、見ている世界が狭いなーと思う。

この世界にあるのは、スポーツだけではない。
社会全体の事を考えて、「既存の施設を改装してもらえれば十分です」とか「もっと別の方面にお金を使ってほしい」とか言えないかなー。

「良い競技場があれば、客が来るはずだし、競技者のやる気も出ます」と言うけど、その競技場を造るのに数百億円かかるんだよ。

『それだけあれば、他に何ができるのか』も考えてみないと。

スポーツ界って、「スポーツは立派な人格に育てる力がある」と自画自賛するじゃない。

でも、立派な人が育ってないねー。
皆が自分の事で頭が一杯だもの。

一連のスポーツ界の態度を見ていて、『スポーツには人間を育てる力はない』と確信するようになりました。

たかだかオリンピック程度で浮かれてしまうようでは、人間力が付いたとはいえないと思う。

私は新国立競技場については、2015年7月24日の日記で取り上げ、「スポーツに特化したものにしよう」と「アスリート・ファースト」に近い意見も述べました。

でもそれは、すでに旧国立競技場が解体されて新しいのを造るしか選択肢がなかったのと、スポーツよりも音楽イベントを重視して設計するのはおかしいと思ったからです。

すでに競技を行える場所があったり、改修すれば問題なく使える施設があるなら、それを選べばいいんですよ。

「建設費は国民や都民の懐から捻出される」、この感覚、この理解が、スポーツ界に無い。

「最高のモノが欲しい」、そんなの誰でも当たり前でしょ。

他人の状況を見て、「我慢しよう」と思えるのが大人じゃない。

自分の欲求を満たす事しか考えず、利権を貪るのに汲々として、その行為を「レガシーをつくる」と美化する川淵三郎みたいになってはいけない。

川淵らは記者会見を開き、「競技場の計画を変えてはいけない」と小池都知事やオリンピック費用の削減を望む人々を牽制したが、あの姿は本当に醜く卑しかった。

自分達の事しか考えない人が、レガシーを口にするなんて、呆れてしまった。

多くの国民が費用が膨れ上がるのを憂慮しているのだから、スポーツ協会のトップにいる川淵さんは「国民の声に耳を傾けたい。スポーツ界としても計画をもう1度見直してみる」と言うのが筋だった。

それなのに、何なのよ、あの見直しに強硬に反対する態度は。

スポーツ界全体の評判を落としましたよ、あれは。

「震災からの復興を象徴する大会に」「日本とスポーツの素晴らしさを伝える大会に」と綺麗な言葉で飾っていたけど、そうした言葉は一握りの人の欲望にかき消され、どんどんカネ・利権の話になってきた。

そして、国民は脇に弾かれていっている。

現時点ですでに、盛り上がっているのは、利権に絡む政治家・土建業・スポーツ関係者だけじゃないの。

普通の人々は白けてきている。
ブラジルと一緒。

そのうちブラジルであった様に、「そのカネを福祉に使え」とデモ行進が始まるかもしれない。

行進が始まったら、私も参加します。

『東京オリンピック、消えて無くなってくれないかな』

こう思っているのは、私だけじゃない。

沢山の人が思っているのを感じるし、このまま行くと人数は着実に増えていくだろうなあ。


日記 2017年1~3月 目次に戻る