韓国が凄い② カンソラという素晴らしい女優
(2018.3.1&9.)

韓国の素晴らしさを取り上げる記事、第二弾です。

その前に、閉幕した平昌オリンピックについて少し書きます。

前回の日記に書いたとおり、もうオリンピックに興味ないし、日本が金メダルを獲った種目もダイジェストすら見てません。

テレビ観戦したのは、テレビをつけたらやっててなかなか面白かった「女子アイスホッケー」と、そこそこ注目してた「フィギュア・スケートのアイスダンス」だけです。

なんでアイスダンスを見たかというと、『村元哉中さん』が出ていたからです。

私と同じ「ムラモト」姓なので親近感が湧いてたし、2ヵ月くらい前だったと思いますが大会に出た彼女の演技を見たら良かったです。

やってくれそうな予感があったので、チェックしてみました。

結果としては、素晴らしいダンスを繰り広げましたね。
美しかったし、格好良かった。

良いダンサーだと思ってたけど、そんなレベルに留まらず、「日本で最高のダンサーの1人」にまで成長しましたね。

演技の最初から最後まで、どの瞬間も全身すべてのラインが綺麗でした。
しぐさと表情もばっちりだったし、音楽とも相手の男性とも一体感があった。

彼女が他のダンサー達と比べて傑出してたのは、『滑らかで柔らかい振る舞い』と『華やかさ』です。

見応えあったよ。「この女、芸術家だな」と感心しました。

多くの出演者がスポーツをしてたのに対し、彼女は芸術表現をしていた。
だから目立っていたし、輝いていたよ。

完成度の高い素晴らしいダンスをしたのに、村元が15位だってのには驚きましたね。

どう見てもあのダンス表現は、メダルを獲れるレベルだったから。

ダンスの世界に生きてる人や、ダンスをよく理解してる人だったら、「あれっ? 他の人より優れてたのに、この順位おかしくない?」と思ったはず。

芸術性での評価なら、村元は金メダル級だった。

フィギュア・スケート界って、芸術点を採用しているけど、芸術について分かってないよね。

「ジャンプしてどれだけ回ったか」とか「ペアを組む相手とどれだけシンクロするか」は、芸術にとってそれほど重要な事ではないのに、それを理解してません。

村元の演技には、美があったのに。
洗練、優雅、華、愛嬌、品格、自然さ、雰囲気、豊かな情緒、滑らかさと柔らかさ、メリハリと、芸術で大切な要素が十分に盛り込まれていました。

それで15位? 何を見てるのだろうか。
がっかりしたなあ、フィギュア・スケート界のセンスの無さに。

メダルを獲った人よりも、村元のほうが芸術がありました。
とりあえず華に関してはずば抜けて一番だったし、彼女は浅田真央が引退した今、日本女子では最も華のある選手ですね。

見てて理解したけど、村元が金メダル級の素晴らしいダンサーだという事に、彼女自身も、周りの人々も、ペアを組んでる男性も、気付いていませんね。

もしかして私だけなのかな、彼女の凄さに気付いているのは。

いや、ダンスをある程度分かってる人なら気付くよね?

メダルを獲った人=素晴らしいダンサー、15位=平凡なダンサー、そんな自分の感性を放棄したような自滅的な観戦法をしてないよね?

村元哉中、君は素晴らしいダンサーだよ。
同じ種目で競演した女性ダンサーの中で、最も芸術の光を放っていました。

世界が認めなくても、世界がそう評価してなくても、私は「君が一番だった」と拍手を送ります。

えー、そろそろ本題に入りましょう。

韓国の凄さを伝える第二弾。

今回は、女優の「カンソラ」を取り上げます。

韓国ドラマのファンだと皆知っていると思いますが、韓国には素晴らしい役者がたくさんいて、日本の5倍くらいドラマの質が高いです。

日本だとろくな演技ができない奴がドラマに出てくるし、脚本もつまらないものが多い。
韓国でもそれは見られるけど、数が少ないです。

日本よりも制作力や演技力の平均レベルが高いです。
前回で取り上げた歌唱力と一緒。

素晴らしい役者は多いですが、整形顔が多いのが難点です。

特に男優が整形してると違和感で一杯になり、演技に集中できないんですよね。

「この顔、変だなー」と無意識でも常に感じているらしく、見てて白けてしまう。入り込めないのです。

歌だったら目を閉じて歌だけに気持ちを集中できるけど、ドラマや映画だと視覚を封鎖するのが出来ません。

だから顔が変だときついんだよねー。

結果として、私が高く評価する役者は、(あくまで私の感覚でですが)整形顔ではないナチュラル顔で、演技力のある人になってます。

で、チェジウ、スエ、キムテヒあたりが好きな女優となってます。

完成度の高い演技をするし、ナチュラル顔に感じるからです。
正直、顔にメスを入れてる可能性はありますが、見たところ程度が軽くて、顔が壊れてません。

この3人は、すでに大女優として評価が定着しています。

そして、「そのレベルまで育ちそうだと、大注目して肩入れしてる女優がいる。それがカンソラだ。」、これが今記事のテーマです。

私がカンソラに出会ったのは、実はドラマや映画を通してではありません。

『私たち結婚しました』というテレビのバラエティ番組があり、そこで彼女を知ったのです。

この番組は、独身の芸能人の男女が半年~1年くらいの期間、番組企画として結婚生活を送るという内容です。

企画的にはそれほど目新しくないし、バラエティ番組の中で傑出している出来とも思わないですが、見ていると韓国文化が分かるのでそこがまず面白かったです。

あとカップルによっては笑える事件が起きるので、そこも楽しかったです。

で、一時期は毎回見ていたのですが、カンソラとイトゥク(アイドルグループのスーパージュニアのメンバー)もカップルとなり仮想結婚をしたのです。

イトゥクが笑える良い奴だったのもあり、面白い結婚生活となったのですが、見ていて徐々にカンソラに魅かれていきました。

感心したのは、彼女の性格の良さ(主に純朴さ)と頭の良さです。
飾らなさや真面目さがあり、私のモロに好みの性格で、顔立ちも上品だし表情も可愛いし、「素晴らしい女だな」と参ってしまいました。

この時点では彼女の芝居ぶりを確認したことはなく、どんな役者か知らなかったのですが、「こんなに魅力的な女性なのだから、きっと役者としても有能に違いない」と予感しました。

その後、いくつかのドラマに出演する彼女を見たら、やはり輝く演技をしていて「おお、予想通りだ!」と嬉しくなりました。

そして、「彼女からは芸術の香りがするし、あの性格と頭の良さがあれば順調に成長していくだろう。だから10年くらいの間に韓国でトップクラスの女優になる」と、大きな期待を寄せるようになりました。

カンソラは、女優に必要なものを全部持っています。

演技力、華やかさ、美しい顔と身体、頭の良さ、鋭い感受性、自立心。

正直、もし彼女が日本人で日本に暮らしていたら、花總まり以来でファンクラブに入ってしまうと思います。
大好きなのです、彼女のことが。

実は半年くらい前から、「カンソラは素晴らしい女優だ」と称賛・宣伝する記事を書こうと考えてました。

でも、韓国芸能界に詳しい私の母からの情報で、「カンソラは恋人ができて、それ以来仕事が激減している」と聞いたので、引退するかもと思い記事にするのを控えてました。

それが最近になって、「恋人と別れた、そして女優活動を再開した」との新情報を得ました。

ちょうど前回の記事で紹介した歌手のノリノリ主婦(ソヒャン)を取り上げようとしてたから、『よし! こうなったら一気に2回連続で韓国の素晴らしい女を紹介してやる! そうして、日本に蔓延している嫌韓の空気をぶっ飛ばしてやるんだ!』と、私の心は燃え上がりました。

韓国のドラマやバラエティ番組を見ていてよーく理解できましたが、韓国人と日本人はとても似ています。

感性とか文化とか価値観に似通うものがあります。
当然だよね、隣国なのだし、昔から交流しまくっているのだから。

私が理解しがたく納得できないのは、ほとんど兄弟といっていい韓国と距離をとり、日本を占領して支配下に置いたアメリカにやたら近づく人が、日本人に多い事です。

完全にアメリカに洗脳されて、頭がパーになっているんじゃないかと思うくらいです。

韓国とアメリカの2択の時に、アメリカを選ぶ日本の政界やマスメディアの感覚は、日本の伝統からかけ離れていると思います。

冷静に考えると、アメリカを最優先するようになったのは、アメリカに戦争で負けて無条件降伏してからでしょ。

なんで縄文時代から交流してきた韓国を嫌って、総力戦をして負けた仇敵のアメリカを盲目的に好むのかなあ。

そして、それが伝統の保守路線だって言うのだから、もはや笑うしかないですねえ。

私は、韓国に親近感を持っているし、韓国人が好きです。

中国にも親近感があるし、中国人が好きです。

北朝鮮の政治体制は最悪なので親近感は持ちづらいが、北朝鮮人も好きです。

そして、アメリカの文化は日本と大きく違うので親近感はないが、アメリカ人も好きです。

私が嫌いなのは、嘘つきです。

安倍晋三もドナルド・トランプも習近平も嘘ばかりつくので、嫌いです。

朴槿恵も嘘つきなので嫌いですが、嘘をつきまくっていたのがバレて今では刑務所送りが確定的です。

朴槿恵と安倍晋三を比べると、安倍のほうが嘘つきだと思います。
安倍が刑務所で臭い飯を食う日も、そう遠くないのかもしれません。

話をカンソラに戻します。

私の見るところ、彼女ほどに美しく可愛くセクシーで演技派の若手女優は、日本にはいません。

こんなすてきな女優を抱える韓国が、羨ましくて仕方ないです。

好みの問題かもしれないけど、私は最近の日本の女優にはグッとこないのです。

原節子や八千草薫や三條美紀や吉永小百合にはグッとくるが、いまテレビや映画で活躍している女優との肩書きを持つ10代~40代くらいの人達を見ても、「ふ~ん、それで?」としか思えないのです。

「演技力も気品も普通だよね、君達は。
 女優って、優れた女、つまり格別の女を指す言葉なわけ。
 該当しないのに、女優と名乗るのやめてくれないかな。」

こう思う自分を抑えられません。

カンソラは(チェジウ、スエ、キムテヒもですが)、女優の条件を満たしています。

画面を通して演技を通して見る彼女たちは格別で、その美しさにうっとりしてしまう。

韓国は凄い。

日本では絶滅危惧種である女優を、充分に保有しています。
その文化力はかつての日本映画界を見ているよう。

韓国をバカにしている限り、いつまでもこの真実に気付けず、日本の文化力はどんどん衰退していきます。

成長とは、ありのままを見て、謙虚な姿勢で取り組むことから生まれるのだから。


日記 2018年1~3月 目次に戻る