日米政府の密約には、基地権と指揮権の2種がある
(2019.3.7.)

(『日本はなぜ、戦争ができる国になったのか』矢部宏治著から抜粋)

日米合同委員会における密約と、戦後に日本の首相たちが結んできた密約。

これが「見えないルール」であり、それを基にして無数の嘘と誤魔化しが生まれている。

首相の密約で有名なのは、佐藤栄作が1969年の沖縄返還交渉で、ニクソン大統領と結んだ「沖縄核密約」だろう。

佐藤はこの密約を外務官僚にも知らせず、個人的な密使(若泉敬)を使って結んだため、その後の日米外交に大きな混乱をもたらす事になった。

結ばれた「沖縄核密約の原案」(1969年9月30日)は、次の内容だった。

「沖縄返還後の核戦争の支援のための、(在日米軍の)沖縄使用
 に関する最小限の必要事項

 ①緊急事態には、事前通告をもって核兵器を持ち込む権利、
  および通過させる権利。

 ②現存する下記の核兵器の貯蔵地を、いつでも使用できる
  状態に維持し、緊急事態には活用すること。

 嘉手納、辺野古、那覇空軍基地、那覇空軍施設、現存する
 3つのナイキ・ハーキュリーズ基地。」

日米政府が結んできた密約は、大きく分けると2つになる。

① 米軍が、日本の基地を自由に使うための密約(基地権の密約)

② 米軍が、日本の軍隊を自由に使うための密約(指揮権の密約)

日本政府は、①については核兵器の地上配備を除いてはほぼ全てを呑んだ。

②については、自衛隊が戦時には米軍の指揮下に入ることを認めたが、行動範囲は(新安保法制ができる2015年までは)国内にとどめた。

日米政府の密約は、ほとんどの研究者が基地権のほうを取り上げてきた。

なぜなら指揮権のほうは、日本が海外に派兵せず専守防衛しているならば、米軍のいる日本に攻めてくる国はいないので、戦時にならない(指揮権密約が発動しない)からである。

ところが安倍晋三・自公政権が2015年に成立させた新安保法によって、状況は一変した。

「指揮権の密約」を残したまま日本が海外派兵すると、自衛隊が米軍の指揮下で軍事活動する可能性や、知らないうちに戦争の当事国になる可能性が高まってしまう。

安倍内閣が安保関連法案を国会に提出したとき、「個別的自衛権の範疇か、集団的自衛権なのか」で議論が起きた。

しかしアメリカの公文書で確認されている日米密約の1つを知れば、あの時の出来事の本質が簡単に理解できる。

その密約は1952年7月と54年2月に吉田茂・首相が口頭で結んだもので、「戦争になったら日本軍は米軍の指揮下に入る」という内容だ。(統一指揮権の密約)

この密約は、その後の自衛隊の創設から今回の安保法の成立まで繋がっている。

(※統一指揮権の密約は、別ページで詳しく取り上げます)

今までの密約では、米軍の指揮下に入るのは、あくまで日本とその周辺であった。

ところが2015年の新安保法は、地域のしばりを外して、自衛隊が世界のどこでも米軍の指揮下で戦争できるようにしたのである。

ジョン・フォスター・ダレス(日米安保条約の締結を主導した人物)が、「6・30メモ」(1950年6月30日付のメモ)で設定したトリックは、日本がアメリカとの間に「国連憲章の特別協定のようでそうじゃない安保条約」を結び、「国連軍のようでそうじゃない米軍」を支援するというものであった。
(この事は別ページに詳述)

このトリックを使って日本に義務づけようとしたのが、「兵力」「援助」「便益」の3つである。

兵力と援助は「指揮権」、便益は「基地権」に繋がる。

基地権を日本を提供させるためにダレスが構築したのが、次の4つの密約だった。

①平和条約  ②安保条約  ③行政協定  ④日米合同委員会での密約

指揮権については、吉田茂・首相が口頭で結んだ「統一指揮権の密約」や、自衛隊の現状から、取り決めがあるのは分かりつつ、どのような条文かは分からなかった。

ところが指揮権密約の謎を追ううちに、「吉田・アチソン交換公文」と「国連軍地位協定」がそれだと知った。

この事実を、末浪靖司さんの『対米従属の正体』と吉岡吉典さんの『日米安保体制論』という本で知った。

さらに国連軍地位協定に関する「合意議事録」という文書に、指揮権のカギがあることを、笹本征男さんの『朝鮮戦争と日本』で知った。

この3人の先行研究により、指揮権密約の法体系の存在が、次のものだと確認できた。

①平和条約  ②吉田・アチソン交換公文  ③国連軍地位協定  ④日米合同委員会での密約  ⑤日米安全保障協議委員会(ツー・プラス・ツー)での密約


日記 2019年1~3月 目次に戻る