1922年にイギリスから独立するが、
主導権はイギリスが持ち続ける
超不平等社会が続く

(『中東戦争全史』山崎雅弘著から抜粋)

エジプトは、長らくイギリスの植民地であった。

1922年に、ようやく名目的な独立を勝ち取った。

実際には、主導権は駐カイロのイギリス大使に牛耳られており、イギリス軍は我がもの顔で駐留し続けた。

そのため、「青年エジプト党」や「ムスリム同胞団」などの反英団体が、次第に勢力を伸ばしていった。

1942年2月に、駐カイロ英国大使のキラーンは、エジプト国王ファルークに対して、「親英のナハス・パシャを首相にしろ」と命じた。

ファルークがこれを拒絶すると、イギリス軍は大砲を王宮へと向けた。

これにより、新首相ナハス・パシャが誕生した。

この事件は、王室への国民の失望感を生み、ファルーク国王の人気は急激に低下した。

当時のエジプトは、『人口の0.5%の人間が、国民所得の50%を入手する』という、超不平等の社会であった。

王室や政府高官は、汚職ばかりしていた。

(2013.12.13.)


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