シリア・イエメンと連合国を創るが、すぐに解消となる

(『中東戦争全史』山崎雅弘著から抜粋)

第2次中東戦争でエジプトがスエズ運河を守り抜いたことは、アラブ諸国を刺激して、ナセル大統領との協調を目指す国が続発した。

その1つがシリアだった。

シリアは、1954年にシシャクリの軍事政権が反政府デモに倒されて、反欧米を掲げる連立政権が誕生した。

シリアは当初、イラクとの関係を深めていた。

しかし55年に、イギリスを主体とする反ソ連の軍事同盟「バグダッド条約機構」が成立し、イラクがこれに加わると、シリアはイラクとの関係を絶ってエジプトに接近した。

57年8月にシリアで、バース党と共産党を主体とする新政権が発足すると、シリアはソ連との間に援助協定を結んだ。

シリアのサブリ・アサリ首相は、57年8月に「シリアとエジプトの合邦国」構想を明らかにした。

そしてナセルが同意したので、1958年2月1日にエジプトとシリアは統合されて、『統一アラブ共和国(UAR)』となった。

UARの初代大統領にはナセルが就任し、サブリ・アサリは副大統領となった。

UARには、ソ連が大量の援助を始めた。

58年3月8日には、イエメンも加わってきて、『アラブ連合(UAS)』へと発展した。

シリアの軍人や実業家たちは、ナセル流の農地改革や企業の国有化がシリアに適用されるのに危機感を抱いた。

そして61年9月28日に、ザハレデイン少将を首謀者とする陸軍将校団は、クーデターを起こした。

新首相となったクズバリは、すぐにUASからの脱退を宣言した。

1961年12月には、イエメンもUASからの脱退を発表した。

対イスラエルの要となるはずだったこの同盟は、わずか3年半で解消となった。

(2014年5月18日に作成)


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