金日成の若き日
抗日の闘争に参加し、ソ連軍の大尉となる
ソ連で第二次大戦の終結を迎える

(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)

金日成は、1912年4月15日に、平壌郊外の万景台に、農家の長男として生まれた。

彼の本名は、金成柱である。

彼が7歳の時に、一家は満州に移住し、父は朝鮮人相手の漢方医となった。

金日成は、中国人向けの中学校に通い、中国語を使いながら育っていった。

1930年(18歳の時)に彼は、朝鮮人たちの「抗日遊撃隊」に参加した。

しかし関東軍(日本軍)の攻撃を受けて、ソ連に逃げ込んだ。

ソ連は、中国人や朝鮮人を集めて、ハバロフスク近郊に「八八特別旅団」を創設した。

金日成は、そこの大尉となり、終戦になるまで訓練を受けた。

この時代に、金貞淑と結婚し、42年2月16日に長男が生まれた。

この子が、後の金正日である。
この子は、ソ連名で「ユーラ」と名付けられた。

金日成や金正日の過去については、長らく秘密だった。

ソ連の崩壊後に、明らかになった。

長男は、ずっと「キム・ユーラ」と呼ばれていた。

1960年頃に「キム・ジョンイル」という朝鮮名が決まり、「金正一」と表記された。

1980年10月にキム・ジョンイルが公式の場に初登場した際に、「金正日」との表記に変更された。

金正日は、ソ連で生まれたが、北朝鮮の発表では「北朝鮮の白頭山で生まれた」とされている。

(2014.1.4.)


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