(『そうだったのか!現代史2』から抜粋)
1980年10月の朝鮮労働党の大会で、金正日は中央委員の序列4位として紹介され、書記や政治局常務委員や軍事委員に選出された。
これだけの要職を一度に占めた人物は、金日成しかおらず、金正日が後継者である事が明らかにされた。
この時、金正日は38歳だった。
これ以降、「指導者」という言葉が金正日にも使われるようになり、「二人の指導者を戴くことになった朝鮮人民の無限の喜び」という表現が出始めた。
かつての北朝鮮では、「世襲」については、「搾取社会の慣行」と定義されていた。
「世襲は、過去の奴隷社会と封建社会で見られた。今日では、地主や資本家が労働者を支配する、資本主義社会に見られる。」と解説していた。
こうした解説は、消えた。
金正日は、金日成を讃える記念碑的な建造物を次々に建設した。
国費で父親にゴマをすったのである。
1994年7月に金日成が死去すると、金正日が北朝鮮王朝を継いだ。
(2014.1.4.)