(『ラテン・アメリカ史』『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
保守党が行った一連の保守的な改革は、自由党の急進派には受け入れがたかった。
そして1899年10月に、自由党は武装蜂起をして、『千日戦争』が始まった。
1899年~1902年の千日戦争は、コロンビア史上で最も凄惨な争いであったとされている。
地上戦では保守党が勝利して、自由党はゲリラ化した。
海戦では自由党が勝ち、保守党はパナマ運河の建設を画策していたアメリカに介入を求めた。
これが、パナマの分離・独立に繋がった。
千日戦争は、1902年10月の「ネエルランディア協定」、同年11月21日の「チチコタ協定」「ウィスコンシン協定」によって終結した。
千日戦争における死者は10万人とされ、結果として『アメリカの影響下でのパナマの分離・独立』を招いた。
パナマは1903年に独立し、コロンビアはパナマという海上交易の要所を失った。
(2013.11.26.作成)