ロハスは支持を得られずに、1957年に退陣する

(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)

ロハス大統領のポピュリズム路線は、2大政党制を破壊しかねないため、2大政党は1956年から手を結んだ。

そして、彼らは『国民戦線(国民協定)』を作り上げていった。

他方で、ロハスが創った「全国労働者の連合」を共産主義と見たカトリック教会は、ロハスと絶縁した。

57年5月10日には、大学生や労働者のストライキが各地で発生した。

四面楚歌のロハスは、軍事委員会を後任に指名して、大統領を辞任した。

軍事委員会は、1957年に国民投票を行い、58年に国民戦線へと政権は移った。

ロハスは1962年に、『全国人民の同盟(ANAPO)』を立ち上げた。

1970年の大統領選挙で、ロハスは立候補して僅差で敗れた。

その後、選挙に不正があったとするANAPO支持者の一部は、武装組織『M-19』を結成した。

ANAPOは、2003年に他党と合併して、その後にPDAに吸収された。

(2013.11.27.作成)


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